第八話
ポイズンディアという青黒い鹿の魔物に乗ったピタルさんが、「んっんっ」といいながらいい笑顔で近付いて来る。周りに付き従うのは、無数のポイズン系の魔物。
通り道には屍の山。吸血鬼が消えたことで、バンパイアオークも灰になりつつある。階上も、同じような有様だろう。
今回ピタルさんには、盤外のダメージディーラーを担当してもらった。盤上では、押し込まれた振りで時間を稼ぎ、盤外の駒を減らして貰う。将棋でもチェスでもないんだから、まともに付き合うだけ損だ。
炬燵ははじめ、遠くに離れられないのかと思っていたけど、それはデフォルトの設定で、いろいろ変えられるらしい。今は迷宮の中ぐらいだったら離れても平気にしてある。もっと遠くに変えられるのは眷属だけで、僕がそれ位しか離れられないからだ。
ポイズン系の魔物の調伏が多かったのは幸運だった。物理的な防御力や再生力の高い敵に、通常の攻撃は効き辛い。逆に毒には防御力は関係ないし、再生力の高い敵に、毒というのは特効になる。体内が活性化すれば、毒は更に回りやすくなるからだ。バンパイアハーフに毒が効くかは賭けだったけど、たくさん揃えた毒のどれかが効いたみたいで、良かった。今度ばかりは、ピタルさんの性癖に感謝だ。
炬燵の前まで来たピタルさんは、鹿の魔物から降りる。
それからそそくさと、パンツを履いた。
「あんた戦ってる時に何やってんだ!」
流石にこれは声を荒げる事案ですよ。
「鹿の毛ぇて、寝とるやろ?それがこう、動いたときに、逆毛になって、ゾリィッてなるのんがええんや。こう、いろんな窪みにゾリィッとな。今回は激しう動かれて、気ぃ失うかと思たわぁ。」
頬を染めてくねくねすんな。
「ええと、他人の性癖を嬉しそうに説明される事ほどイラっとするすることはないので、黙っててもらえませんか。」
「他人の性癖を見てるのも結構な精神負荷なんじゃがな。」
魔王さんがここぞとばかりにつっこんできた。
「いい大人なんだから我慢くらいして下さい。INTカンストしてますよね?」
「ぐぬぬ……。」
「そんな事よりー、鍋まだー?」
「お兄ちゃんお腹すいたー。」
うちの絞り担当と癒し担当がせっついてくる。
そうは言うが、流石にこのまま鍋は嫌だ。瓦礫は転がっているし、天井は半壊、累々たる屍の山。
「というか、これ、戻るんですか?」
魔王さんに聞く。
「んん?ああ。通常であれば壁も再生するのじゃがな、ここの破棄が決まった段階で、メンテナンス機能を止めてある。エネルギーが勿体無かったからの。その辺の屍を取り込んだら、迷宮としての機能も完全に止めるつもりじゃ。」
迷宮が脆かったのも、そういう理由なのかな。いくらなんでも簡単に壊れすぎてたもんな。
「では、後始末が終わったら、ピタルさんの迷宮にでも飛んで夕飯にしますか。」
落日は最後の光を放って、西の空に消えた。徐々に色褪せていくオレンジ色の空が、哀しげに一族の最期を見つめていた。静かに、静かに、屍と灰は、迷宮に沈んでいく。夜はやって来るけれど、彼等の夜はもう来ない。悲しい事に。
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「豚しゃぶを食べます。」
「オークあれだけ殺しておいてまあ……。」
後始末が終わって、ピタルさんの迷宮に転移した後、そう宣言すると非難がましく魔王さんが見てきた。それはそれ。これはこれ。
メニューを選ぶと、独特な形状のしゃぶしゃぶ鍋、大盛りの野菜、一人一人に、お重に入った薄い肉が出て来る。タレはポン酢と胡麻ダレ。ほかほかの白いご飯は、もはや定番だ。
がっつりいきたくなったら、しゃぶしゃぶです。しゃぶしゃぶというと、いやらしいサービスを併用した風俗店が昔流行ったせいで、何故か未だにいかがわしい響きがして、なんとも言えない気持ちになるんだよな。全然関係ないんだけど。
自分用の肉を盛り付けたお重から、贅沢に二三枚まとめて掬い、そのままお湯にくぐらせる。しゃぶ、しゃぶ、しゃぶ、と。一口目は胡麻ダレで、こってりした味を楽しむ。たぷ、とタレにつけたら、ほかほかご飯を巻いて、大きな口で一口に食べる。相変わらずいい肉で、いい脂だ。胡麻ダレと脂の合わさった絶妙な甘さは、たっぷりつけると少し濃い味になるけれど、そのための白米だ。暴力的なタレと脂のコンビが蹂躙した口の中を、白米の優しい甘さが止めを刺していく。正に甘々虐殺小隊。こんな虐殺なら、幾らでも相手になれる。お肉はまだまだある。ミッションは始まったばかりだ。
「これっ、美味っ、蕩ける〜。」
まさに、蕩けるという顔をして、息をつく妹。そこには桃源郷がある。桃源郷と蕩けるよぅ、はよく似てる。にーちゃんは支持する。全面的に。びくんびくん。
「今回は早かったな……。」
魔王さんが精神抵抗をしながら言う。
「日々進化してるのではー?」
補佐さんがどうでもいいように言う。
進化か……。ステージアップは望むところだ。超とか、上級とか、妹偏愛につくなら冥利に尽きる。時代はパワーインフレだからな。修行が必要なら甘んじて受けよう。
「ああっ、これぇっ、ぞりぞりぞりって、鱗が動くっ、動くわあっ、刺激的ぃいいいっ」
補佐さんの鱗が、太ももやお腹、腕を、ずりずりと凄い勢いで滑っている。鋼鉄の防具もへし折る強度なのだから、生皮が剥げる程の攻撃力があるはずなのに、変態は実に嬉しそうだ。マジで変態の防御力には不思議が多い。
補佐さんはケタケタ笑いながら、魔王さんを絞めたり、ピタルさんを絞めたり、お酒を飲んではまた、ケタケタ笑っている。魔王さんも楽しそうに、鍋をつつき、妹と笑いあっている。
食べるうち、飲むうち夜は更けて、補佐さんは少しだらしない格好で寝てしまった。そっと、炬燵布団をかけてあげる。ピタルさんは、だらしないってどころじゃない格好で幸せそうに寝ていた。パンツは顔にそっと被せておいた。
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ノートPCの炬燵メニューから、テーブルの上の後片付けをする。そのまま片肘をついて、ぼーっとメニューを眺めていた。
「眠れんのかや?」
さっき迄突っ伏して寝ていた、魔王さんが起きて言う。僕は膝で寝ている妹を起こさないように、さらさらの髪を優しく撫でた。
「いえ、もう寝ます。」
見ていた炬燵のメニューを落とす。
そこには、妹のステータスが並んでいた。
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名前:猫野 蜜柑
種族:渡来人
職業:炬燵警備員
状態:警備中
HP:なし(37600/37600)
MP:なし(28200/28200)
STR:なし(2280)
VIT:なし(4040)
DEX:なし(4020)
INT:なし(3080)
AGI:なし(6200)
異能:炬燵警備
警備中は管理者から権限を移譲される。
称号:
「魔王の円卓」「魔軍師団長」「豚鬼の天敵」「真祖斃し」
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妹の通常ステータスが上がるのに気付いたのは、勇者を倒した時だった。「魔王の円卓」の称号が付いたのも、その時だ。「魔王の円卓」は、魔王軍を編成するか、勇者を倒すパーティにいると取得し、勇者パーティに与えるダメージが特効になる。
まあ、効果はどうでもいいんだけれど、「魔王の円卓」の称号が付いたのはまずかった。これでは、街や都に行った時に、何かのはずみでそれが暴露ると、大変なことになる。そのため、命が軽く扱われるこの異世界で、もしものためにパワーレべリングをする必要が、僕らにはあった。妹には内緒だけど。
「苦しいのかや?」
ふわりと抱き寄せられて、頭を撫でられる。熱をもった胸の柔らかな感触と、その奥から聞こえる鼓動は、モヤモヤした気持ちを暖かく包んでくれた。
僕は苦しかったのだろうか?ステータスの上がらない僕は、僕が強くなって妹を守ることは出来そうにない。だから、妹を強くするのに、躊躇いはない。だけど、その対価を得るのに犠牲はあった。そして、それに対して、僕は何も支払っていない。その収支に、関わることが出来ないのだ。まるで、見守ることしか出来ない神様のように。
「妹のために、魔物とはいえ、敵対したとはいえ、生き物を殺すには、呵責に耐えねばならん。それは、食うためでも、金のためでも、生きるためでも、強くなるためでも同じことじゃ。感情のある生き物が、生き物を殺す限り、ついて回る感情ではあるな。それが無くなれば犬畜生に劣ってしまうわ。だから、お前の気持ちもわからんでもない。わからんでもないが……。」
ぎゅうっと抱き締められたはずみに、魔王さんの胸元が少しはだけて、頬が直接胸元の肌に触れる。天魔族という種族の魔王さんの肌は、人と変わったところはまるでなく、柔らかく、しっとりと汗ばんでいて、女性特有の安心する体臭がした。
「自分を責めんでも良い。お前は妹想いの、良い兄じゃ。」
「ご助力には、感謝してます。だから魔王さんの居場所も、きっと作ります。」
僕は顔を埋めたまま、挑むように言う。きっとこの人は、出来る限り僕らを助けてくれるだろう。異世界で途方にくれている僕らを。最初に見つけたとき、起きるまで待っていてくれるような、優しい人なのだ。だから、甘えたままでなく、僕が出来ることは、この人に返したいと、そう思ったのだ。きっと僕は、この人に対等に見られたいと思っている。そのために精一杯背伸びをする。
「くくくっ。ちょうど迷宮核も、たんまりポイントを稼げた訳じゃ、次の居場所作りには、此方も都合が良かったからの?」
見上げると、大人はずるいじゃろ?という顔で僕を見る。そうやって、自分の理由を作る事で、僕らの負担を減らしてくれようとしている。確かに、大人はずるいみたいだ。
「お前は優先度を間違えてはおらん。だから、それ以外のものに囚われすぎるな。」
「……わかりました。努力します。」
コタツちゃんは寒くも暑くも無いように、炬燵の温度を調節してくれる。炬燵の周りのある程度の範囲なら、室温も冷えないよう調整されていて、ピタルさんのように、炬燵から出て転がっていても、風邪を引くことはないだろう。寒々しい迷宮の中で、ぽつんと、でも確かなものとして、寄る辺のない僕らを優しく包んでくれている。まるで世界の縮図の様に。
僕は、なんとなく妹の横に潜り込んで、妹の肩まですっぽりと布団で覆い、寄り添うようにして眠りについた。
これで、一章完結です。
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