鳥籠の鳥 4
「あ……、あぁ、お父さんがくれた私の誕生日……」
「やはり、そうか……」
「分からないの! パパとママが必死で私を逃がしてくれた。銃を持った人がいた。ママとパパが必死に頭を下げてそれで……! 目の前が真っ赤で、気づいたら裸足で路地裏を歩いてた。振り返ると焦げた匂いと嫌な臭いがして、ホテルが崩れてて……。私、必死にパパとママって叫んでた。私、捨てられたんじゃない……。パパとママは命がけで私を守って……」
「茉莉花……。辛かったね。もう大丈夫だから」
ベルナルトは顔を覆い泣く茉莉花を抱きしめた。茉莉花もベルナルトの背に手を回し声を上げて泣いた。
しばらくした後、茉莉花がポツリポツリと話し始めた。
「あ、あの時も、ぐすっ、こうやって誰かが私の、視界を遮った。大丈夫、見ちゃダメって、抱き上げてあやしてくれた……。お父さんだ……。ショックで私何もかも分からなくて、そんな時お父さんが私を、拾った」
茉莉花は記憶の断片を呼び覚ましていた。
『ダイジョウブデース。ミテハイケマセン。アナタ、私ノコドモデース。イイデスカ? 私、アナタノ父親! ワカリマス? オーケーデス?』
シルヴァーニは茉莉花を抱き上げ片言の日本語でそう言い聞かせていたのだった。
『ソウ! 今日カラ私ガ、アナタノ父親デース! アナタ、名前ナンテイウ? ――オウ、茉莉花! 可愛イ名前! 茉莉花、私ハ、シルヴァーニデス。お父さん、オーケー?』
『お父、さん……』
幼い茉莉花は目の前の現実が受け入れられずに、シルヴァーニに身を任せたのだ。そうすることで自身の心を守ったのだ。シルヴァーニは茉莉花に優しく微笑み掛け、茉莉花を育てたのだ。
「お父さんが助けてくれたの。お父さんが、あの悲惨な現場から、私を助けてくれた。忘れさせてくれた。お父さんが私を拾った日。私がパパとママを亡くした日。その日が誕生日だって言われて私、錯乱したんだ。受け入れられなかった。よく分からない感情が渦巻いて平静でいられなかった。初めてお父さんと過ごした誕生日に私は、記念日を滅茶苦茶にした。それから、お父さんは記念日を祝わなくなった……」
「ああ、そう書いてあった。君が嫌な記憶を思い出さないように、記念日は祝わなくなった。君が自分を見失わないようにシルヴァーニ氏は君を守ろうとしていた」
「そんな日に、自殺したのは、なんで……? なんで自殺なんて……」
茉莉花は唇を噛みしめベルナルトのシャツをきつく握った。ベルナルトは茉莉花の頭を撫でていた。
「君を守る為」
「守る?」
「シルヴァーニ氏はずっと自身の欲求と戦っていたんだろう。でもそれを満たすためには君を犠牲にしなければいけない。偽りの愛情はいつしか本物の愛情に変わっていたんだ。自分の欲望から愛娘を守る為にシルヴァーニ氏は死を選んだんだと私は思う。成熟した君を見ていて、その内平静でいられないのも分かっていたのだと思う。全ての鍵が手の中に有るのに、欲望を捨てる事は難しいと思う。君を本当の意味で解放し、新たな人生を送れるように。新しい人生が、新しい君が産まれる日。君の誕生日。自分か君かシルヴァーニ氏は選んだんだよ」
「私を、愛してたから、死んだって言うの……?」
「あくまで私の見解だ。死んだ者の意を理解することは出来ない。他に何か理由があるのかもしれない。だが私はこの見解が一番しっくりくると思っている」
「……」
茉莉花は声を押し殺して泣いていた。自身がどれだけ守られて生きて来たのか知らなかったのだ。自分の為に死んだ人間、自分の為に怪我をした人間、自分の為に人生を狂わせた人間。そんな多くの人間に支えられ茉莉花という人物は構成され生きているのだ。
「茉莉花」
ベルナルトは優しい目で茉莉花を見つめ撫でていた。不意に茉莉花は顔を上げた。泣き腫らした目は赤くなっていた。ベルナルトはそんな茉莉花と目線を合わせ頬を伝った涙の跡を拭った。
「全部、聞かせてください。昨日の男は? エドは? ベルナルトさんは?」
「昨日の男はシルヴァーニ氏が借金をしていた会社の一つ。そこの男だ」
「どうして、借金を?」
「研究には多額の資金が要る。だが君を育て、尚且つ体の悪いシルヴァーニ氏には資金繰りが困難だ。多くの出資者に不老不死を吹き込み資金援助を申し立てていた。私が肩代わりしたのはその借金だ。不老不死など存在しない。夢物語だ。そう言って金を返し、忘れる事をお勧めした。だが中にはその夢を忘れられない者が居たようだ。どこから聞きつけたのか君の素性を調べあげ、君が最後の不死者だと思い込んだんだろう。シルヴァーニ氏の財産はもう君だけだから。君に何かしらの手がかりがあると踏んだんだろう。だが、シルヴァーニ氏の命日に待ち伏せするだなんてたちが悪い」
「暴力で片付けたんですか……?」
「仕方ないだろう? 聞き分けの無い者には制裁を加えないと。安心して? もう、君を狙うなんて馬鹿な事をする者は居ないから。全てを片付けた。エドモンドは暗殺者だよ。あいつの生まれた家は古い昔から暗殺業を営んでいて、エドモンドはそこの末っ子。だが芸術に魅了され暗殺を捨てた。家から破門されたが、絵では食べていけない半端者だ。本人もそれが分かっているから捨てたはずの術に縋りついている。そんな人生が嫌になって居る筈だ。だから私の依頼しかエドモンドは受けない。それも仕方なく。高すぎる報酬を要求してな」
茉莉花は笑顔で人を殺めたエドモンドを思い出していた。身震いをした。
「怖かった……。エド、笑顔で人を殺してた」
「そうでもしないとあいつも心が潰されるんだろう。あいつが何を考えているのかは分からない。けど、感性は豊かな筈なんだ。辛くない筈はないんだ」
茉莉花は目を閉じエドモンドのスケッチブックを思い出していた。それを嬉しそうに茉莉花に見せていたエドモンドを思い出していた。笑顔の女の子の絵を思い出していた。
「……エドは、きっと人の笑顔が好きなんだと思う。殺し何てしたくないんだと思う」
「ああ」
「でも、生きていくのって大変、だから、私、責める事なんて出来ない。助けてもらったのに、なのに……」
「分かってる。エドモンドも君の事を分かっている」
「うん。今度、会えたら謝ります。私の絵を描いてくれるって約束。まだ、覚えててくれたらいいんですけど……」
「茉莉花。君の素性がばれないように、君の事は嫁ぎ先で亡くなったという事になっているんだ。だから隣人たちにもそう伝えた。君を知る者は君が亡くなっていると思っている。君が住んでいた家を燃やしたのも、シルヴァーニ氏の研究に関する全てを消したのも私だ。君を墓に行かせたくなかったのはあの場所には、シルヴァーニ氏が居ないからだ」
「居ない……?」
「墓を起こして遺体を運び出した。代わりの骨を入れて。君のお父さんを火葬で再び葬り、その亡骸を海に蒔いた。酷い事をしたのは分かっている。責めてくれても構わない」
茉莉花は椅子に背中を預け目を見開いていた。放心していた。まさかそこまでするなんて思っても居なかった。父親があの場に居ない。会いに行けない。それは嘘ではなかったのだ。




