鳥籠の鳥 3
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「それが、私……?」
茉莉花の喉はカラカラに乾いていた。知らなかったのだ。父親との出会いなど。どうして父親が自分を引き取ったのか、全く知らなかった。
「そう君だ。シルヴァーニ氏は幼い君を運命の子として育てた。自身の野望の為に」
「待ってよ。なんでベルナルトさんが知ってるんですか? そもそもこんな話信じられない。おとぎ話か何かで私を誤魔化そうとしてるんじゃないんですか? そんな非現実的な話……」
「だが、事実だ」
ベルナルトの真剣な表情、低い声に茉莉花は背筋が凍る思いがした。こんな話、信じられなかったのだ。
「事実として、なんでベルナルトさんがお父さんの事を知っているの? おかしいでしょ? だって貴方はその頃まだ子どもじゃない」
「ああ、そうだ。知ったのはつい最近。シルヴァーニ氏が亡くなった後だ。彼の遺産の全てを私が相続した。遺書も、日記も、研究記録も全て」
「……」
「その全てを私は知り、君の事を知った。だが全て破棄した。こんな話誰も信じない。当の本人である君ですら信じていない。馬鹿馬鹿しい話だ」
「じゃあ、じゃあ、なんでお父さんは死んだの? 今の話じゃ不死者になる為に私を引き取ったって……」
「死ぬ間際の事は書かれていなかった。研究記録もある日を境にぱったり書かれていなかったんだ。そうだな。それは君を愛していたからじゃないか?」
「愛……?」
茉莉花は怪訝な顔を見せていた。
「私はシルヴァーニ氏が借金をしたあるひとつの企業を傘下に置いていた。そこでたまたま彼の手がかりを受け、彼を見つけ出した。シルヴァーニ氏は驚いていたよ。まさかあいつに息子が出来ていたなんて、こんなに立派に育っているなんて、と。そして嬉しそうに笑い私に握手を求めた。私は彼が理解できなかった。父と仲違いをしたはずなのに、その息子の私を受け入れてくれるなんて、理解できなかった。憎み合い不死者を取り合っていたのではなかったのかと思った。彼の人間性が理解できず、恐れた」
「お父さんはきっと友達を失った事、悔やんでいたんだと思います。目標は一緒だった筈だから。不死という事の解明。ただそれをどう使うかという目的が違っただけで、根本的に二人は似ていたんだと思います。きっと親友だと思っていたんだと思います。だからベルナルトさんに会えて、嬉しかったんだと思います。そうじゃないと貴方に全てを託さない。私ではなく貴方にお父さんは全てを託したから」
「彼は、ずっと苦しんでいたんじゃないか? 君はシルヴァーニ氏を善き父親だと言っていたじゃないか」
「善い父親でした。私をいつも一番に考えてくれていました。優しかった。怒られた事、何て、一度も無かった」
茉莉花は鼻を啜りベルナルトから視線を逸らした。父親を少しでも疑った事を恥じていた。どんな目的があったにせよ、父親と過ごした時間を疑った自分が許せなかった。茉莉花だけがシルヴァーニの近くに居た。それなのに一番近くに居た自分が父親を肯定することが出来なかった。茉莉花は酷く自分を責めていた。例えベルナルトの話が事実だとしても、シルヴァーニが茉莉花と過ごした時間は変わらないのだ。茉莉花にしてくれた全ては変わらないのだ。本当の両親を覚えていない茉莉花にとってシルヴァーニは唯一、愛してくれた家族だという事に何の変わりも無かったのだ。
「……彼は生前、私と契約した時迷っているようだった。私に不老不死に付いて聞いて来た。それが正しい事だと思うか。幸せだと思うか」
「ベルナルトさんは、何て答えたんですか?」
「間違っていると。正しくない。幸せじゃない。人として産まれて来た者にとっての地獄だと。誰も幸せにはならないと。現に私は巻き込まれてこうして一生を捧げていると。そう伝えた」
「ベルナルトさんは幸せじゃないと……?」
「さぁ。関わった事で人生を変えられたのは事実だ。幸せかどうかは置いておいて、関わらなければこんな厄介な事には巻き込まれずに済んだ」
「そう、ですよね。私だって、そう。こんな場所には来なかった。日本人のままだったのかも……」
茉莉花は拳を作り俯いていた。だが関わった事を悔いてはいなかった。もしもの話しをしても仕方がない。関わらなければシルヴァーニに出会えなかった。ベルナルトとも出会う事は無かったのだ。
「……シルヴァーニ氏は私の答えを聞いて笑っていたよ。何か吹っ切れたようだった。そしてその約三か月後彼は亡くなった」
「……」
「そこで茉莉花。聞きたいことがある」
ベルナルトは席を立ち茉莉花の前に跪いた。そして固く握られた茉莉花の手を握りじっと茉莉花を見つめた。ベルナルトの手の温かさに茉莉花は安心していた。ベルナルトを見つめ返していた。
「なんですか?」
「昨日は何の日だ?」
「……お父さんの命日」
「本当に? それだけ?」
「何が言いたいんですか?」
「君は忘れている。君には誕生日が無いと言ったな? それは本当か? 本当は誕生日があるんじゃないか? シルヴァーニ氏が君と記念日を祝わないのは何故だ?」
「それは、お父さんは無頓着な人で……」
「違うはずだ。茉莉花思い出してごらん。十八年前の昨日、君に何があった?」
茉莉花の心臓はドクドクと早鐘を打っていた。茉莉花の呼吸も早い物になっていた。ベルナルトの言わんとしている事が分からなかった。だが、茉莉花の中で確実に何かが連想されていた。封じ込めていた記憶が茉莉花の頭を駆け巡っていた。
「っ! 嫌! 思い出したくない!!」
「茉莉花。思い出してごらん。君の大事な記憶の筈だ」
「嫌! 嫌!! 怖いっ、思い出したく何てない……」
「茉莉花、大丈夫、私が傍に居る。怖い事も一緒に乗り越える。だから話して欲しい」
「っ……」
茉莉花はキュッと目を瞑った。凍えるほど冷たい季節。冷たくて痛い足。遠くで聞こえる罵声、悲鳴。鼻に着く嫌な臭い。目の前で真っ赤な何かが崩れ落ちた。茉莉花の中で記憶が渦巻いていた。




