交わされたキス 1
【25】
「ああ、ああ。分かった。そちらの対応は任せる」
あの後ヘリコプターに乗せられ、真っ赤に染まった上着を脱がされた茉莉花はベルナルトの着ていたコートを被せられた。その間も魂が抜けた様に茉莉花はキョトンとしていた。茉莉花の斜め前に座るベルナルトは様々な資料を膝に乗せ、携帯電話を耳に当て各所に様々な指示を出していた。動転していた気が少しずつ収まって来た茉莉花はそんなベルナルトを見つめていたのだ。
(あれ? あれ? 私何してたんだっけ……)
未だ呆ける頭で考える茉莉花とベルナルトは目が合った。ベルナルトは電話を掛けながらも茉莉花に微笑み掛けすぐに手元の資料を見ていた。茉莉花は熱があるように顔を真っ赤にさせ、それでもベルナルトから目を離せずに居た。
(あ、愛してる……。本当なのかな? 私の気を静めるためなのかな?)
先ほど言われた言葉に茉莉花の頭は大混乱していた。つい先ほどの衝撃的な場面すら茉莉花の中から吹っ飛んでしまった。チェンやエドモンドの事も気になる。心配はしている。だがそれ以上に目の前の人物に付いて考えてしまうのだ。
「分かった。そうか、無事でよかった。ああ、伝えておく」
ベルナルトは一旦携帯電話を胸元に仕舞うと茉莉花に視線を移した。そして微笑むと言葉を発した。
「チェンは無事だそうだ。今は意識が無いそうだが命に別状はない」
その言葉を聞いて目を丸くさせた茉莉花はポタポタと涙を流し、自身の手を濡らした。
「ほ、本当、ですか……?」
「ああ。大丈夫だ。私に任せておいてくれ」
「ありがとう。ベルナルトさん……、ありがとう」
手の甲で涙を拭いながら茉莉花は少しだけ笑顔を見せた。
(チェン、良かった……)
ベルナルトがそっと差し出したハンカチを受け取り茉莉花は涙を拭いていた。そうしているとヘリコプターは高層ビルの上に着陸し、振動が止まった。ベルナルトに手を引かれ茉莉花はヘリコプターを降りた。
「警備は万全なんだろうな?」
「はい! お任せください。このフロアは貸切ですし、他の宿泊客が間違ってくることのないよう、エレベーターも認証式です。警備員も増強しましたので安心してください」
ベルナルトは部下に小さく頷くと茉莉花と部屋に入っていった。そこはいつも通りの広い部屋だった。どこかのホテルのスイートルームの様だった。
「茉莉花。もう安心していい。怖かっただろう。もう大丈夫だから。後始末は進んでいる。君は何も心配しなくていい」
ベルナルトはそう言いながら茉莉花のコートを脱がせた。所々茉莉花が着ている服にも血の跡が付いていた。それを顔を顰めながらベルナルトは見ると茉莉花の手を引きバスルームに連れて行った。
「とにかくゆっくり風呂に入るといい。着替えは用意しておく。今着ている物は捨てておくから」
コクコクと頷いた茉莉花を見てベルナルトはバスルームを後にした。茉莉花は言われた通りに風呂に入る事にした。
(血……)
茉莉花はシャワー室の鏡に映る自身を見て口をへの字に曲げた後、蛇口をひねり勢いよく出たお湯を頭から被った。茉莉花の全身を伝うお湯は、薄い赤色だった。髪や体に付いていた血がゆっくりと流されていった。全身を伝って足元を流れるお湯を見ながら茉莉花は自身の体を抱きしめ小刻みに震えていた。
**
(なんで!? なんで取れないの!)
茉莉花は何度も体や髪を洗っては流していた。それでもこべり付いた血が取れずに何度も同じことを繰り返していた。正確には茉莉花の体にはもう血は付いていなかった。だが茉莉花にははっきりと手のひらや、首元に付いた色鮮やかな赤い血と、むせ返る程の錆びた血の匂いがしていた。それが先ほどからずっと取れないのだ。
(やだ。やだ……。嫌だ。なんで取れないのよ……)
茉莉花は目に涙を溜めまたボディソープに手を伸ばしていた。
「茉莉花。新しい服をここに置いておく」
薄い扉の向こうに聞こえたその声にビクリと反応した茉莉花は地べたに置かれていた洗面器を蹴った。その音にベルナルトは驚き扉越しに心配そうに茉莉花に声を掛けたのだ。
「茉莉花? 大丈夫か?」
茉莉花はベルナルトのその問いかけに涙を流した。ベルナルトの声を聞いていると安心できた。返事をしないで居るとベルナルトはもう一度ノックをし、茉莉花に尋ねた。
「茉莉花。大丈夫?」
茉莉花は扉に振り向き薄いクリアな扉に出来ている影、ベルナルトの手と自分の手を重ねた。
「ベルナルトさん……」
そして手のひらを握りしめ額を扉にくっつけた。
「茉莉花、開けるぞ?」
「うん……」
ベルナルトは勢いよく扉を開いた。茉莉花は大粒の涙を溜めた目でベルナルトを見上げていた。
「どうした?」
服が濡れる事も気にせずベルナルトはシャワー室に入り茉莉花の手を握った。
「血が、取れないの……。何度、洗っても取れない。血の匂いがいっぱいする」
茉莉花の腕や胸元は洗い過ぎたのか、白かった肌が赤くなっていた。ベルナルトは怪訝な顔をすると茉莉花をシャワーの下に連れて行き、体に付いている泡を流した。
「君は綺麗だ。血なんて付いてない」
「嘘! だって、手のひらこんなに……」
茉莉花は自身の手のひらを眺め涙を零した。ベルナルトはそんな茉莉花を抱きしめた。シャワーを掛かり張り付いたシャツや、乱れた髪など気にする素振りを全く見せなかった。茉莉花は顔を覆い泣いていた。
「大丈夫、全部流れた」
「だって血の匂いも……」
「しない。君の勘違いだ。茉莉花。大丈夫。もう大丈夫だから」
「ふっ、えっ、やだ……。血なんて嫌い。私の体、いっぱい血に濡れて……。いや、お父さんの血。嫌だ……」
「茉莉花……」
ベルナルトは茉莉花の腰を引き寄せ顎に手を掛けると、その唇を奪った。茉莉花はおとなしくそれを受け入れていた。唇が離されたのを感じると茉莉花は涙で濡れて腫れた目をベルナルトに向け、腕をベルナルトの首に回した。背伸びをし、もう一度今度は茉莉花からベルナルトの唇を塞いだのだ。ベルナルトは目を大きく開いて固まっていた。
「ベルナルトさん……」
唇を離し、弱弱しく言うと茉莉花はベルナルトに倒れ掛かり、意識を失った。
「おい! 茉莉花!?」
驚き抱きかかえた茉莉花を揺すったベルナルトはほっとして息を吐いたのだ。茉莉花からは安らかな寝息と寝顔が見て取れた。




