芽生えていた感情 4
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陽が暮れ二人で夕焼けをプールに入りながら見た後、夜景を眺めながらベルナルトはプールの中でワインを片手に、座るように作られた段差に腰を下ろしていた。茉莉花は嬉しそうに夜景に目を奪われていた。
「綺麗ですね!」
「だな。帰ったらこんな景色は見れないから」
「そうですね。チェン元気かな? 何かお土産買って行かないと。そうだ、エドにも何か……」
「まぁ焦るな茉莉花。ちゃんと手配済みだ」
「早っ!」
「パスタやワインなど送っておいた。帰ってからもしばらくイタリア気分に浸れる」
「んー、でもしばらくは普通の料理がいいかも」
茉莉花は苦笑いを浮かべベルナルトを見た。ベルナルトもふっと笑っていた。
「そうだな。……こうやってプールというか水に入っていると子どもの頃を思い出す」
「ベルナルトさんの子ども時代?」
「ああ。……父は忙しい人でな。一代にして会社を立ち上げ大きくしたんだ。そのせいか、ほとんど家には帰って来なかった。母は病弱で何処かに遠出をすることは心配で。だが毎年父は、夏だけは私をバカンスに連れて行ってくれた。たいして何もないところだった。ピピリという小さな漁業が盛んな街で毎年夏を過ごした。魚を釣ったり、自然豊かな田舎町で過ごす時間は好きだった。そこで何か出来るから、というよりも父と一緒に居られる事が私には喜びだった」
「じゃあ、ベルナルトさんはあんまりお父さんと時間を過ごせなかったんですね……」
「子どもの頃はな。大人になってからは会社を継ぐため毎日一緒だったよ。正直うんざりした事もある。思春期も反抗期も遅れてやって来た」
ベルナルトは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「お父さんは気難しい人? お母さんは?」
「父は家族思いだった。特に母に対しては、それはもう子どもの私から見ても溺愛していたよ。正直呆れるほどに愛していた。母の為なら何でもする様な人だった。だが私には厳格な人だった。男児たるもの、とよく言われ躾けられた。真っ直ぐでそのせいか、……母の事になると周りが見えない人だった。母は朗らかで優しい人だったよ。自分が病気で苦しい時も笑顔を絶やさなかった」
「いいご両親ですね……」
「ああ。もう会えないのが残念だが、思い出はちゃんと私の中にある。ああ、そうそう。昨日の君の様に私も父に対し一度だけせがんだことがある。夏の間は仕事は無しだと言う約束だったのに、父は仕事に行ってしまったんだ」
「昨日と全く同じ状況ですね……」
「だから君の気持ちは痛いほど分かったよ。失望、不安、裏切られた気持ち。父は一週間帰って来なかった。貴重な夏休みを私は一人でピピリに残された。だが友達が出来たんだ」
「友達?」
「ああ。私はその頃世界を斜めから見ていた。今も真っ直ぐに見ているとは言い難いが……。つまらなかった。学校の勉強も、周りの同年代の子どもも……。自分で言うのも何だが私は頭が良くてな。誰も私の考えを理解出来る者なんていなかった。いつも一人だった。それを寂しいとは思わなかった。だってつまらない話しを無理に笑顔で聞いている事の方が無意味だと思っていたから」
「ああ、ベルナルトさんらしいですね。自信過剰って言うか、周りを馬鹿にしてそうな子どもですね」
茉莉花はクスクスと笑った。ベルナルトは少しムッとして茉莉花を見た。
「どういう意味だ?」
「今と変わらないって事です。今も強引だし、人の話しなんてあんまり聞いてないじゃないですか。まぁ今は大人だから世渡りも出来るし然程浮かないでしょうけど、子どもの時からそんなんじゃ友達は出来ないでしょうね?」
「ふん。君だっていじめられていただろ」
「いじめられてはいましたけど友達はいましたぁ。残念ですね! ベルナルトさんとは違うんです! 私は人付き合いは上手なんですよ!」
茉莉花は勝ち誇ったような笑みを見せ、ベルナルトはコホンと咳ばらいをした。
「まぁとにかく一夏の友人が出来たという話だ」
「そんな変り者のベルナルトさんと友達になるなんて、その人も変わってますね? あれ? もしかしてエドですか?」
「違う。エドモンドとはもっと昔から、知っては居たけど仲良くは無かったな。その人は、そうだな、かなりの変り者だった。だが話は面白くて、色々な事を知っていた。彼の話しを聞いていると、そんな風に世界を見ている自分が馬鹿らしくなった」
「じゃあベルナルトさんは更生したんですね!」
「いいや? 学校では相変わらず。仲良くしたいとは思わなかった。そんな小さな規模よりも、私は世界を相手にしたくなったんだ。世界は不思議な事で満たされている。それを知る手立てには権力や金が嫌でも絡んでくる。だから父の会社を継ぐことを決意した。そのための努力もした。そのおかげで我が社はどんどん成長しているがな」
「なんだ……。よかったですねー。ビジネスの希望を貰えて」
「そうだな。君にも会えたし」
「関係ないでしょ?」
「関係はあるだろ? 金も権力も無ければ君をここに留まらせることなんてできない」
「……」
(それってどういう意味なんだろ? 期待、してもいいって事? 私が望んでここに居るって言えばどうなるの? もう構ってくれないのかな? 私が反抗的だからベルナルトさんはゲーム感覚で私を留まらせようと……?)
茉莉花の額には皺が寄っていた。
「どうした? 難しい顔をして?」
「へ? え、いや、別に……」
「茉莉花?」
「あ、あーあ。もう少しでこの旅行も終わっちゃいますね? 私いい思い出が出来ました。イタリア来てみたかったし。ありがとう、ベルナルトさん」
茉莉花はベルナルトに微笑み掛けた。
「そうだな。あっという間だった。次は何処に行こう?」
茉莉花はキョトンとした。ベルナルトは微笑み茉莉花の返答を待っていた。
「次……?」
「何処か行きたい場所は?」
「え、でも、ベルナルトさんは私をあの屋敷に閉じ込めておきたいんじゃ……」
「どうして? 私は君に逃げられたくないだけだ」
「逃げる……」
「もう、逃げないんだろう? ああ、そうそう。屋敷から出たければ使用人と一緒なら出てもいいぞ? 何かあっても困るからそれは聞いてくれ」
「え、ちょっと待って! いいの?」
「いいよ。君が外に出たいなら。出来ればお供に私を選んで欲しい。だが私も仕事がある。いつも君の傍に居られるとは限らない。君を守れるとも言い切れない。だが一人よりは誰かと一緒に居てくれ。頼む」
「うん、それはいいけど」
茉莉花は目を丸くしてベルナルトを見ていた。今までベルナルトは、理由は分からないが茉莉花をあの屋敷に置いておきたいものだと思っていたのだ。ベルナルトの監視下に置かれていないといけないものだと思っていたのだ。腕輪があると言ってもそれでも外に出る事を許すとは思っていなかった。ベルナルトは微笑み茉莉花の頬を撫でた。
「いい子だな。で、次は何処がいい?」
「い、いきなり言われても……。それにそんなホイホイ休めないでしょ! ベルナルトさんちゃんと働いてください! 私は休日に映画見に行ったり、遊園地に行ったりとかそう言うのでいいです。こんな豪華な旅行しょっちゅう連れ出されても困ります。罰が当たっちゃいますよぉ」
「罰は当たらないさ。当然の結果だからな。持てる者の為せるわざだ」
「ほら出た。また金持発言」
「おや、これは失礼」
クスクスと笑うベルナルトを茉莉花は呆れた様に見た後ふっと笑ったのだった。




