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【18】



 茉莉花は横向きに寝ていた体で、ゆっくりと目を開け隣に居る筈の人物の姿を確認しようとした。だがそこには誰の姿もなく、大きなベッドには茉莉花一人が眠っていたのだった。


 (……行っちゃたんだ)


 茉莉花は小さく溜め息を吐き布団を深く被るとごそごそと身を捩った。


 (何しよう。何にもやる事ないや。言葉も通じないし、一人で観光に行くのもなんだかな……)


 昨日までの事を思い返していると気持ちがどんどんと重たくなっていった。今まで避けて来た筈のベルナルトと共に旅をした事、茉莉花は楽しいと思っていた。ベルナルトという人物をようやく理解出来そうな気がしていた。ベルナルトもようやく茉莉花を受け入れてくれた様な気になっていた。


 (仕事、行っちゃうなんて……。何だかんだで私の事大切にしてくれてるんだと思ってたのに。いつも強引だけど、でも、私の為だって思ってたんだよね? 私の事嫌いじゃないんだよね? なのに、新婚旅行って言ったのに……。結婚した事後悔してないって言ったのに。それなのにこんな大切な時に仕事を取ったの? 結局私よりも仕事がいいの?)


 茉莉花は自身の中に渦巻く疑念に頭を振り勢いよく飛び起きた。


 「ああ! もうっ! 何なの私!! 変!!」


 茉莉花は自身の頬を叩き目を醒ました。手加減せずに叩いた頬は赤くなり茉莉花の目には薄らと涙がにじみ出ていた。


 (痛い……)


 滲む視界でベルナルトが寝ていた筈の場所を見た。茉莉花は首を傾げベルナルトが使っていただろう枕の上に置かれている紙を手に取りソファへと移動した。そこには流れるような綺麗な文字で茉莉花へのメッセージが綴られていた。


 〈おはよう。

 急な仕事で君の機嫌を損ねた事、埋め合わせは必ずする。君の願いなら何でも聞こう。出来るだけ早く君の元に帰りたい。こんな時に君と共に居られない事を残念に思う。だから一秒でも早く君の元に帰れる努力をする。君も私を待っていてくれると嬉しい。

 ホテルだがレセプションにはロシア語を話せるスタッフが居る。スポーツジムや様々な施設も用意されている。気晴らしに使うといい。何かあれば問い合わせるといい。私の部下も待機させている。頼ってくれ。少しだが現金とカードも置いておく。何か欲しい物があれば使ってくれ。くれぐれもいい子にしているように〉


 「子どもじゃないんだけど……」


 そう零しながらも茉莉花はふっと微笑み大事そうにその手紙をたたみ、鞄の中へとしまった。鞄の中からはガイドブックを手に取り、辺りの観光施設の情報に目を通した。茉莉花はあるページに目を止め微笑むと、そのページにしおりを挟み身支度を整えたのだった。


**


 「奥様、おはようございます。ベルナルト様はお出かけになられました」

 「うん。手紙が置いてあった」

 「それにしてもいきなりですよね? 新婚旅行だと言っているのに、先方の方は娘にローマを案内して欲しいだなんて……」


 茉莉花はその言葉に訝し気な顔をしたがベルナルトの部下は気づいていなかった。そのまま笑顔で言葉を続けたのだ。


 「ご朝食ですか?」

 「はい。一階のカフェでいいんですよね?」

 「ええ。案内しましょうか?」

 「大丈夫! ご飯食べるだけだから」

 「左様ですか。何かあれば気軽にお声がけください。もし、外に出られるようなら私をお連れください」

 「うん。……散歩に行こうかと思ってるんだけど、一人で大丈夫ですから」

 「ですが……」

 「大丈夫! 一人でも平気! だから付いて来ないで! そんなに遠くには行かないし、すぐに帰って来るから! だからお願い」


 ベルナルトの部下は渋い顔をし首を横に振った。


 「いけません。ベルナルト様が心配されます」

 「……じゃあ、おとなしくしてます。出かける時は声を掛けるから」


 ベルナルトの部下は恭しくお辞儀をすると茉莉花をエレベーターまで案内し、扉を手で押さえて茉莉花を乗せた。


 「ありがとう」

 「ごゆっくり」


 エレベーターが閉まると同時にニコリと微笑み、ベルナルトの部下はもう一度深くお辞儀をしたのだった。


 (仕事って、女の人と一緒に居るの……? どうして黙ってたの?)


 茉莉花はもやもやとした気持ちを抱えエレベーターを降りたのだった。


**


 カフェで朝食を取った茉莉花はそのままレセプションに向かい、ロシア語も話せるという女性にガイドブックを見せて行きたい場所を指差した。


 「ここからはどうやって行ったらいいですか? 遠い?」

 「そうですね。地下鉄で二駅程離れたところみたいです。ホテルから地下鉄の駅は歩いて五分もかかりませんし、この地図で見る限り目的地も駅の近くですね」

 「じゃあそんなに迷ったりはしませんか?」

 「地図があれば大丈夫かと。お客様のお持ちの地図は大分細かいところまで書かれているようですし、通りの名前を間違えたりしなければ平気だと思いますよ? 待ってくださいね。今ホテルから地下鉄への行き方をメモに書きます」


 そう言って女性は白い紙に丁寧に最寄り駅までの道案内を書いてくれた。親切に道を曲がる場所の店の名前や外観までも書いてくれたのだ。茉莉花はそれを見て迷う事は無いだろうと思った。


 (近くだし、すぐに帰って来られそうだし一人でも、いいよね?)


 「ですがこの辺りスリも居ますのでお気を付けください。明るいうちは注意していれば平気でしょうけど、暗くなってからは女性一人で行かれるのは危ないかと」

 「分かりました。ありがとうございます。丁寧な地図まで書いてくれて」

 「いえ。お気になさらずに。そのお店のお菓子は評判がいいですからね。プレゼントですか?」

 「えっと。……そうですね」


 茉莉花は頬を染め小さな声で答えた。それを見た女性は小さくクスリと笑い笑顔で茉莉花に手を振ったのだった。


 一度部屋に戻り必要な物を鞄に入れた茉莉花はこっそりと部屋を抜け出した。


 (付いて来られるの嫌だし、一人でも平気だもん。イタリアにも何となく慣れたし)


 そう心の中でぼやきホテルを後にしたのだった。


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