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縮まる筈だった距離

【17】



 「んぅ! 美味しい」


 茉莉花は大階段に座りジェラートを口に含むと足をバタつかせてそう言った。ベルナルトは頬杖を突きそんな茉莉花を優しい顔つきで見守っていた。


**


 ヴェネツィアを発ってフィレンツェに寄った茉莉花達は、エドモンドに勧められたウッフィツィ美術館で絵画鑑賞をした。その美術館にはヴィーナスの誕生など茉莉花でも知っている絵が飾られていた。絵画鑑賞を終え、フィレンツェの街を観光した二人は一泊し、今はローマに入ったのだ。


 スペイン広場の観光をしていた時に茉莉花の目に、丁度ジェラート店が入った。その店は茉莉花が読んでいたガイドブックにも載っている店で、まだ昼前だと言うのに行列が出来ていたのだ。


 「ベルナルトさん!! あそこのジェラート食べたい!」


 そう言った茉莉花にベルナルトは渋い顔をしていた。


 「ジェラートが食べたいなら――」


 ベルナルトの言葉を最後まで聞かずに茉莉花は言ったのだ。


 「あそこのがいいの!! ほら! これにも載ってる!」


 そう言いベルナルトにガイドブックを突きつけ渋々黙らせたのだ。並びながら茉莉花はワクワクとしていた。色とりどりのアイスがショウケースの中に並べられていた。イタリア語で書かれたそれらは読めなかったがベルナルトが助けてくれた。


 「迷っちゃうなぁ……。ピスタチオはお勧めって書いてあったし、うーん」

 「何と迷ってるんだ?」

 「レモンか、桃か、ウイスキーってのも気になる。でもチョコも食べてみたいし、うう、全部食べてみたいけど、どうしよう」


 順番が回ってきそうになっても茉莉花の心は決まらないでいた。ベルナルトは溜め息を吐き、回って来た順番で店員に茉莉花が気にしていた全てのフレーバーを頼んだ。茉莉花は驚きベルナルトを止めようとしたが時既に遅く、二つのカップには三種類ずつ盛られたアイスが出された。


 「ん? この赤いの何?」


 茉莉花は自分が言った物では確実に無い物を指差しベルナルトに尋ねた。


 「ブラッドオレンジだ。私にも選択権があってもいいだろう?」


 茉莉花は苦笑いを浮かべ出されたカップを受け取ったのだ。


**


 「溶けない内に一口ずつでも食べておくんだな」

 「ふぁい」


 口にジェラートを含みながらも茉莉花は返事をし、ベルナルトの持っていた手の付けられていないカップと自身の物を交換した。茉莉花は不思議そうに一口も食べていないベルナルトを見ていた。ベルナルトは交換したカップからジェラートを掬い口に含んだ。


 「だが、安いな。その割には美味い」

 「ん、やっと分かってくれましたか? 美味しい物は高い物だけじゃないって事!」

 「あくまでコストと比較しての話しだ。あの値段でこのクオリティなら悪くはないという話だ。勿論、味だけならば一流のレストランには敵わないさ」

 「む! また金持発言!」

 「何だそれは?」

 「ベルナルトさんはお金持ちだから庶民の苦労が分からないんですぅ! 一般人はこうやってちょっとした幸福を糧に生きてるんですぅ! 特別感動するほど美味しい物でなくても、こうやって大事な人と一緒に食べたり、話したりするにはちょうどいいじゃないですか。わざわざ高いお金出して緊張しながら食べるよりよっぽど楽しいし、美味しいし、幸せなんですよ!」


 ベルナルトは訝し気な顔で茉莉花を見た。茉莉花は少し拗ねた様にジェラートを口に入れ続けた。


 「なるほどな」

 「ほら、周り見てくださいよ」


 茉莉花にそう言われベルナルトは辺りを見渡した。同じく大階段に座っているのは楽しそうな笑顔を浮かべる家族や、愛おしそうに相手を見つめている恋人たちだった。


 「こういう場所、あんまり来ないんでしょうけど、こうやって地べたに座って食べるのも悪くないでしょう?」

 「……そうだな。君も嬉しそうだし」


 ベルナルトはそう言うと茉莉花の頬を指でなぞった。


 「ん」

 「付いてた」


 指に付いたジェラートを口に含みベルナルトもカップの中身を食べた。


 「こっちの食べてないんでしょ? 美味しいですよ?」


 茉莉花は無意識に自分の使っていたスプーンにジェラートを取り、ベルナルトに差し出した。ふっと笑みを零しベルナルトはそれを口に含んだ。


 「美味いな」


 そう言い微笑むベルナルトに茉莉花は少し嬉しくなり笑顔を見せた。




***



 ローマではサン・ピエトロ大聖堂やフォロ・ロマーノ、コロッセオを観光しながら出ている商店などを覗いて歩いた。移動は全てベルナルトが用意した高級車だったが、茉莉花はもう何も言わなかった。

 一日の観光を終えホテルに入った茉莉花は言葉を失った。と同時に呆れて自嘲気味に笑った。


 「気に入ったか?」


 自信有り気に口角を上げ笑い掛けてくるベルナルトに茉莉花は薄く笑い何も言わなかった。


 「ローマで一番いいホテルの一番いい部屋だ。見てみろ茉莉花。ローマの街が一望できる」


 ベルナルトに腰に手を当て連れて来られたバルコニーを見て茉莉花はまた驚愕した。


 「プール……?」

 「ああ、そうだ。温水プールだ。君の水着を買うのを忘れていたな。明日にでも買いに行こう」

 「でも明日はヴァチカンに行くって」

 「水着を買う時間ぐらいあるだろう。それよりもどうだ? この夜景。綺麗じゃないか」


 高層ホテルの最上階から見渡す景色は遮るものはなく、茉莉花もその夜景に目を奪われた。


 「……綺麗」

 「気に入ってくれたようだな」

 「でも、一回くらい普通の部屋でよかったのに」


 茉莉花はまた自嘲気味に笑った。


 「これが私だ」


 ベルナルトは茉莉花の腰を引き茉莉花の額に掛かる少し伸びた前髪を別け、そこにキスを落とした。茉莉花は顔を赤くさせていた。それを見たベルナルトはふっと笑い、茉莉花を部屋の中へと入れたのだ。


 「先に風呂に入るといい」

 「……うん」


 茉莉花はその足で風呂場へと行った。


 シャワーを頭から浴びながら茉莉花は考え事をしていた。


 (もうすぐ帰らなくちゃいけないんだよね。一か月ってあっという間だった。何だか寂しいな。もう旅行にも行けないのかな。またあの屋敷で閉じ込められるのかな。嫌だな。またベルナルトさんとこんな風にどこかに……)


 茉莉花はハッとして顔を上げた。


 (私、今、ベルナルトさんと一緒がいいって、思った……?)


 茉莉花は首をぶんぶんと振りその意見を頭から払おうとした。


 (いやいや、仕方なく来た旅行が思った以上に楽しかったからついそう思ったんだよ。きっとエドやチェンと来ても楽しめたんだよ。そう! たまたま今回はベルナルトさんと一緒だっただけ! それだけ!)


 茉莉花は自分にそう言い聞かせ体を洗い湯船に浸かった。疲れた体に熱いお湯は沁み込んで心地が良かった。


**


 「ああ、ああ、分かった。だが私は今新婚旅行中なんだが」


 ベルナルトは電話越しに苛立たし気に話していた。


 「チッ! どうしても適当に断れなかったのか? ――ああ、分かった。もういい。仕方ない。大事な取引先だ。だが明日だけだ。ああ。――ああ。分かった。要件はそれだけか?」

 「ベルナルトさん?」


 風呂場から上がった茉莉花は苛立たし気にベッドに腰掛け、足を揺らすベルナルトの後姿に声を掛けた。


 「妻だ。もう切るぞ。何かあればそちらで対処してくれ」


 電話を切ったベルナルトは立ち上がり茉莉花の元へとやって来た。


 「お風呂空きましたよ?」

 「ああ。茉莉花」

 「なに?」

 「すまないが急遽仕事が入ったんだ。明日は一緒に居られない」


 茉莉花は目を見開きベルナルトを見た。ベルナルトは申し訳なさそうに眉を下げた。


 「すまない」

 「じゃ、じゃあヴァチカン一緒に行けないの? 水着は? 明日一緒に買いに行こうって……」


 茉莉花は必死にベルナルトに訴えた。だがベルナルトは首を振り申し訳なさそうにするだけだった。


 「すまない。埋め合わせはする」

 「そんな……。仕事は無しだと思ってたのに」

 「そのつもりだった。だが、どうしても断れないんだ。大事な取引先の重役が今ローマに居るらしくて、どうしても私に会いたいと言われたんだ。ヴァチカンは部下に頼むから君一人で行ってくるといい。水着も……」

 「やだ! ベルナルトさんと一緒じゃないなら行かない! なんで……? わ、私よりも……、大事なの? だって新婚旅行なんだよ!?」

 「茉莉花?」


 茉莉花も自分の発言にハッとし、口を手で押さえた。


 (何言ってるんだろう私。仕事なのに。ベルナルトさんは会社のトップで色々大変なのに、分かってるのに。私、どうしてこんな事言っちゃったんだろう……)


 「ご、ごめんなさい。仕事なんだもんね。仕方無いよ。お仕事頑張って? 私適当に過ごすから」

 「……すまない」


 ベルナルトが伸ばした手を茉莉花は一歩後退り避けて、ベルナルトに微笑んだ。


 「いいの。気にしないでください」


 そう言って茉莉花はベッドに向かった。ベルナルトは怪訝な顔つきで風呂場へと行き、時期にシャワーの音が聞こえて来た。


 (何言ってんだろう私……。ベルナルトさんと一緒じゃなきゃ嫌だなんて、何考えてたんだろう……)


 茉莉花はベッドに横になりぼーっとそんな事を考えていた。



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