歩み寄る気持ち 1
【16】
茉莉花は目を輝かせ手を胸の前で組みキラキラとした視線を投げかけていた。
「うわぁ……! ここがあのロミオとジュリエットのジュリエットのモデルになった家……! ジュリエッタの家なんだ!」
茉莉花はベルナルトの手を掴み駆け足でジュリエッタ像へと近づいた。
朝も早くにホテルを出発した二人はヴェローナに来ていた。茉莉花がイタリアで一番訪れたかった場所だった。そこにはロミオとジュリエットのジュリエットのモデルとなった娘が住んでいたと言われるカプレーティ家の住居があった。
茉莉花は少し混んでいる銅像の前でウキウキとしながら人が散り、自分の順番が回ってくるのを待っていた。
「君は一体何をそんなに興奮しているんだ?」
「だってあのロミオとジュリエットのモデルになった場所ですよ!? 知らないんですか!?」
「知っているが、何がそんなに珍しいと言うんだ? それに今から何をしようとしている?」
「あの銅像の右の胸に触ると恋が成就するって言われているんです!」
「物語へのこじつけか……。それにしても、仮にも銅像だが、女性の胸に触るなど……」
「一緒にやりましょうね?」
茉莉花は悪戯っぽく笑いベルナルトを見上げた。ベルナルトは溜め息を吐いていた。
「私は結構だ。そもそも君ももう私と結婚しているというのに、何を成就させるつもりだ? 他に好きな男でも居るのか?」
「そう言うのじゃないですけど……。折角来たんですし、えっと、そう! 願掛けみたいなものですよ! 別に恋に限った事だけのお願いじゃなくてもいい筈でしょう?」
「この間から願掛けばかりじゃないか? 君は一体何にそんなに不満があるんだ?」
「いいじゃないですか! 女の子はそう言うの好きなんです! 不満があるとかそう言うのじゃないの! ほら、行きましょう!」
茉莉花は先に居た観光客が散ったその隙を狙いベルナルトの手を引いて、ジュリエッタ像に近づいた。そして右胸に自身の手を当て嬉しそうに心の中で願い事を込めた。その後ベルナルトに勧めたがベルナルトは首を振り、茉莉花は頬を膨らませてベルナルトの手を取り無理矢理触らせた。
「ほら、何でもいいですからお願い事! ロマンチックなやつにしましょう!」
「……。ふむ。彼女は君よりも胸が大きいんだな?」
ベルナルトは茉莉花を見下しニヤリと笑った。茉莉花は口を開け言葉を失った。
「それに形も良いようだ」
手を離したベルナルトは茉莉花の手を取り道の端に寄った。真っ赤な顔をした茉莉花の耳元に唇を寄せ、低く甘い声で囁いたのだった。
「だが所詮銅像だ。君の胸の方が何百倍も気持ちがいい」
「……!! へ、変態!!」
「素直な感想を述べたんだ。私は君を褒めただけだが? 何をそんなに恥じらっているんだ? ん? どうした?」
「っ!!」
茉莉花は恨めしそうにベルナルトを睨み握った手にありったけの力を込めた。
「それで全力か?」
「うぅ!」
両手でベルナルトの手を掴み握ったがベルナルトは涼しい顔で茉莉花を見ているだけだった。
「可愛らしい事だな」
「ベルナルトさんの馬鹿!! 大嫌い!」
「そう言わずに。私は案外君の事を気に入っている」
「もう、知らないっ! 馬鹿! 馬鹿! 変態!」
「はいはい。見学に行くんだろう? お供しますよ、お嬢様」
ベルナルトは依然睨んでくる茉莉花を気にも止めず、カプレーティ家の見学へと足を進めた。
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「ああ。ロマンチックですね……。物語のワンシーンを思い出します! 特にあのバルコニー。いいなぁ。私もあんな純愛憧れます」
茉莉花は満足げに見学を済ませ、再びベルナルトと共にジュリエッタ像がある中庭へと降りてきていた。
「それは残念だったな。君はもう結婚している身だ」
「ベルナルトさんが無理矢理にね!」
「だが悪くはないだろう? 私が夫で嫌ではないだろう?」
「……」
茉莉花は少し頬を赤らめベルナルトから目を逸らした。
「どうなんだ?」
「…………。い、嫌です。でも、でも、もうどうしようもないし、思ってたよりは、その……、何て言うか、ベルナルトさんは……」
「何だ?」
「……」
「おい、ジャスミン」
「そのジャスミンって言うの嫌。そういうのは嫌い」
「で?」
「……。あ! あそこだ!」
茉莉花は人が集まっている場所を見つけ駆けだした。ベルナルトは不服そうな顔をしたまま茉莉花の後を追った。
茉莉花が辿り着いた壁には沢山の手紙や便箋が貼りつけられていた。その壁の前に居る女性達も皆必死に手紙を張り付けていたのだ。茉莉花は自身の鞄の中から一つの封筒と、用意していたシールを取り出し空いている場所を探した。まだ午前中の為かスペースは余っていて茉莉花は適当な場所に手紙を張り付けた。
「何をしている?」
「ジュリエットへの手紙です。ここに張っておくとジュリエットの秘書が持って帰ってくれるんです。で、ジュリエットから手紙が返ってくるんです。でも私のは返ってきません。自分の住所知らないし」
「……」
「でも、いいんです。ジュリエットにお願い事を書きました。それが成就するかは分からないけど、あの偉大なジュリエットに見守って欲しいって、そう言う様な事書いたんです。だから返事は要らない」
「すまないな」
茉莉花は驚きベルナルトに振り返った。ベルナルトは真っ直ぐに茉莉花を見つめていた。
「本当は返信が欲しいんだろう?」
「……でも、いいんです。どうせイタリア語は読めないから」
「ここには語学の堪能なスタッフが居ると聞く」
「知ってたんですか?」
「君が行きたがっていた場所だから」
(気に掛けてくれてたんだ……)
「だからすまない」
茉莉花はニコリと笑いベルナルトの手を掴んだ。
「ベルナルトさんが謝るなんて不吉です。もう次に行きましょう? 近くにアレーナがあるみたいです。見に行きましょう?」
茉莉花はベルナルトの手を引いて歩き出した。
(やっぱりお願い事間違ってない。昨日ベルナルトさんがお風呂に入ってる間にこっそり書き直したけど、それでよかった。もう私の力ではどうしようもない事だし、こうなっちゃったのも仕方のないことだって思える。それならいっそう受け入れてしまいたい。私はベルナルトさんともっと仲良くなりたいんです。出会い方は最悪だったけど、この人をちゃんと知りたいって思ったの。だからジュリエット、上手く行くように見守っていてください)
ベルナルトも茉莉花に歩調を合わせその肩を抱いた。
「ああ」
そして二人はゆっくりと観光を楽しんだのだった。




