心を汲んで 1
【15】
(うーん、やっぱりか……)
茉莉花はもう何も言う気にもならず佇み大きく溜め息を吐いた。何を言っても無駄だと分かっていたのだ。溜め息を吐いた後、ショルダーバックを下ろしソファに腰掛けた。フカフカ過ぎるソファは思った以上に沈み茉莉花は慌てて姿勢を正した。
「少し小腹が空いたな。何かルームサービスを取ろう。茉莉花、君は何か食べたいか?」
「……甘い物」
「分かった」
ベルナルトはそう言うと受話器を取りフロントにルームサービスを頼んだ。茉莉花はその後ろ姿を見ながらもう一度溜め息を吐いたのだ。
茉莉花とベルナルトはミラノでの観光を済ませ、ヴェネツィアに移動していた。早めの食事を取った為か、ベルナルトは小腹を空かせているようだった。
「先に風呂に入って来るといい。風呂は沸かしてある筈だ。到着時間を言っておいたからな」
「はい」
「一緒に入るか?」
茉莉花は赤い顔をしてベルナルトに振り返った。ベルナルトはソファに座り足を組みクスクスと笑った。
「冗談だ。ゆっくり入るといい」
茉莉花は恨めしそうにベルナルトを見た後広い脱衣所の扉を勢いよく閉め鍵を掛けた。ベルナルトによって見繕われた高級な服を脱ぎ、ゆっくりと湯船に足を入れ浸かった。
(はぁ、気持ちいい。泡風呂……)
茉莉花は頬を緩ませた。
(それにしてもこの部屋、スイートルームだよね? ミラノのホテルもそうだったけど、確かプレジデンシャルスイート? なんかスイートルームよりも更に凄い部屋だった。このホテルはもうこの部屋しか空いてなかったってベルナルトさん悔しそうだったけど、十分すぎるよ……)
茉莉花は眉を寄せ頭の中で考え事を巡らせていた。
(普通がいいって言ったのに。きっとベルナルトさんには分からないんだな。これがあの人の普通なんだな。まぁ、私も歩み寄るべきだし……。ああ、でも本当に楽しかったなぁ。観光。ベルナルトさんも嫌な顔はたまにしてたけど付き合ってくれたし)
茉莉花は一人ふふっと笑いミラノでの観光を思い出していた。
ミラノでは買い物を終えた翌日から茉莉花が手に持つガイドブックに載っている名所を回った。ミラノのシンボル、ドゥオーモやサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。そこにある最後の晩餐を茉莉花は見るのを楽しみにしていた。
だがそれを確実に見るためには事前の予約が必要だったのだ。大抵一か月前には申し込みをするものだが、茉莉花がそれに気づいたのは二週間前だった。もう見られないだろうと諦めていた茉莉花にベルナルトがコネと金を使い、数十分だが貸し切りで係員の説明を交えてじっくり見せてくれたのだ。その事に茉莉花は色々な意味で驚いたが、見たかったものを見られた感動は計り知れなかった。
(ベルナルトさんやり過ぎだけど、いい所もあるよね)
茉莉花の願い通り、ガイドブックに載っている様なカフェのテラス席に座り休憩をした。ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ二世のアーケードでは牡牛のモザイク画を左足のかかとで踏むために、観光客の列に並んだ。願い事を込めて反時計回りで三回転した茉莉花はベルナルトを呼び一緒にやろうと言ったのだ。だがベルナルトは眉を寄せそれを断った。それを茉莉花が必死に腕を引っ張り無理矢理やらせたのだ。しかめっ面で回転するベルナルトを茉莉花はクスクスと笑って見ていた。
二人で街を見ながら何をするわけでもなく散歩もした。そんな観光を二日続けた後、茉莉花達はヴェネツィアに入ったのだ。
水の都ヴェネツィアに茉莉花は呆気に取られキョロキョロとしながら歩いた。そんな茉莉花の手をベルナルトがずっと握っていた。茉莉花はそれが嫌だとは感じなかった。ベルナルトの手の温度に安心して観光を楽しめたのだ。
ベルナルトが多めのチップを払い二人でゴンドラに乗り水上観光をした。少し長めの観光と夕陽に照らされた水の都を、茉莉花は楽しく思っていた。狭い水路を曲がる時のドキドキ感や、行き交うゴンドラの漕ぎ手が手を振って来るのが楽しかった。漕ぎ手が急に歌いだす事にも茉莉花は驚き拍手をした。すると漕ぎ手はお辞儀をし、茉莉花の手を取りそこにキスを落とした。茉莉花が顔を赤くさせる横でベルナルトはムッとした表情をしていた。
夕食は地元で有名なレストランの海鮮料理を食べた。ムール貝やアサリを蒸したものやエビのグリルなど。ベルナルトは店の雰囲気に少し戸惑っていたようだが、味は悪くないと、たまにはこういうのもいいと言った。茉莉花はそれに微笑みで返し、ホテルへと散歩をしながら歩いたのだ。
荷物は事前に送られていて既に部屋に置かれていた。部屋の扉を開けた茉莉花は溜め息を吐き、今に至るのだった。
(まぁでもいい旅行だよ。至れり尽くせりだし……。こんな生活夢にも思ってなかった。旅行、楽しいな……)
茉莉花は口角を上げバスルームを後にした。
**
「もう上がったのか?」
「はい。泡風呂、気持ちよかったです」
髪をバスタオルで軽くふきつつ、バスローブを羽織り茉莉花はベルナルトの横のソファに座った。ソファの前のローテーブルにはルームサービスで頼まれた様々な物が置かれていた。ベルナルトはワイン片手にチーズを始めとしたおつまみを食べていた。
「これは君に」
茉莉花の前に出されたのはプリンアラモードだった。真ん中のプリンを脇役にさせるかのように周りに飾られたフルーツは大きく、それに量も多かった。ベルナルトはフォークでその周りに飾られているイチゴを刺し茉莉花に向けた。
「どうぞ?」
「自分で食べられますぅ」
お風呂に入り温まった事もあり、茉莉花の頬は少し赤くなっていた。ベルナルトからフォークを奪い取り、それを口に含んだ。
「んー、美味しい」
「それは何より」
「ベルナルトさんもつついていいですよ? 甘い物嫌いじゃないでしょ?」
「まぁな」
「私一人じゃ食べられないし、遠慮しなくていいですよ?」
「遠慮はしていない」
「はい。どうぞ」
茉莉花は違うフォークに綺麗に向かれたメロンを刺しベルナルトに渡そうとした。だがベルナルトは茉莉花の手ごと掴みそれを口に含んだ。
「どうも」
「自分で食べてよ!」
茉莉花はふて腐れながらもそのフォークをベルナルトに押し付け、残りのプリンアラモードを頬張った。ベルナルトはふっと笑うとワイングラスを傾けた。
「ああ、茉莉花」
「はい?」
「明日はガラス工房に行こう」
茉莉花はふて腐れていた顔を明るくし、ベルナルトを見た後勢いよく頷いた。
「うん!」
「ガラス細工を作る体験が出来るように手配しておいた」
「本当!? あの細い筒から息を吹き込んで形作ったりできるの!?」
「ああ。やはり君はそう言うのが好きなんだな」
茉莉花は嬉しそうに微笑むと立ち上がり、自身の鞄の中に手を入れごそごそと何かを探し出した。探し出したそれをベルナルトにグイッと近づけ見せた。
「ベルナルトさん!」
「ガイドブック?」
「はい! べたな観光、しましょう!」
ニコニコと笑いヴェネツィアのページを開き茉莉花はベルナルトにガイドブックを渡した。ベルナルトは眉をひそめペラペラとページをめくり読んでいた。
「分かった。なら手配を……」
「違うの! もう!」
茉莉花はまた頬を膨らませ、上目遣いにベルナルトを睨んだ。
「普通がいいって意味分からないんですか!? 貴方と私じゃ感覚が違うの! 私はそこに載っている通りの観光をしたいんです! 一緒に散歩がてら観光したいって言ってるんです! どうして分かってくれないんですか!!」
赤いままの頬を更に膨らませた茉莉花の頭にベルナルトは手を置いた。茉莉花はその事にムスッとしてベルナルトを見たのだ。
「分かった」
「本当?」
「君のしたいようにすると言う約束だ。明日は歩きやすい靴を履くように」
「うん! 楽しみ」
目を細め笑う茉莉花にベルナルトも口角を上げふっと笑い、乗せたままの手を動かして茉莉花の頭を撫でたのだった。




