鳥籠の外の世界 1
【14】
「茉莉花、忘れ物をしてももう遅いぞ? 何をそんなにそわそわとしている?」
茉莉花は空港の専用のラウンジでフカフカのソファに座ったり、立ったりを繰り返していた。ベルナルトは呆れた様子でウイスキーを片手に茉莉花を見ていた。
「いや、だって……! あの! 私、普通の旅行がしたいって言いませんでしたか!?」
茉莉花は新婚旅行の計画を立てている時、ベルナルトにお願いをしていた。豪華なお金のかかった旅行よりも、一般人が行う些細でほんのちょっと奮発した様な可愛らしい旅行がいいと言っていたのだ。
だがベルナルトの事だ。そうは言っても、国際線のファーストクラスくらいは取ってしまうのだろうと茉莉花は思っていた。だが、実際連れて来られたのは専用のラウンジ、はっきり言うと、ベルナルト専用のラウンジだったのだ。つまりまた、プライベートジェット機でイタリアへと旅立つのだ。
「何か問題でも?」
「ああ、もう! これだから金持は……!」
茉莉花は出かける前の事を思い出していた。それは茉莉花が荷物を詰めていた時だった。
**
「これでいいかな? 忘れ物ないかな?」
一か月という長旅に備え茉莉花は大きなスーツケースに必要な物を詰め込んでいた。
「えっと、服に下着、服は何度か洗って着回せばいいよね? クリーニングサービスあるよね? それでも一週間分くらいのは欲しいよね……。毎日同じ格好ってのも何か、折角の旅行だし……」
茉莉花はうーんと唸りながらスーツケースとクローゼットを見比べていた。どれを持って行くのか吟味していたのだ。
「あとは、あんまりしないけど、化粧品とか、アメニティ、それから、それから……」
茉莉花があれもこれもと思い荷物を詰め込んでいるところにベルナルトが帰って来たのだ。
「あ、ベルナルトさんお帰りなさい」
ベルナルトは茉莉花のスーツケースを見るなり、眉を寄せ顔をしかめたのだった。
「何をしている?」
「何って旅行の準備。だってもう明後日ですよ? そろそろ詰めないと」
「……はぁ」
「何ですか? その溜め息! 嫌な感じです!」
ベルナルトは呆れた表情のまま茉莉花が詰めた荷物を一つずつ片付けて行ったのだ。
「え! ちょっと! 何してるんですか!」
「必要ない。そんな大荷物。スーツケースももう二回り小さい物でいい」
「は!? 入らないよ!」
「最低限の物だけ持っていけ。服もあちらで買えばいいだろう? 化粧品も二、三日分あればいい。その他の物もだ。そんな重い荷物を持っていくつもりか?」
「……」
茉莉花は目と口を開き言葉が出ずに、ベルナルトを見つめるだけだった。結局荷物を用意したのはベルナルトで、スーツケースどころかボストンバック一個に収められてしまったのだ。
**
茉莉花は思い出し頬を膨らませてベルナルトの横に座ったのだ。
「君も飲むか?」
「要りません!」
「そう言わずに」
「……私、ジュースがいいです」
「分かった。すまないがリンゴジュースを用意してくれ。フレッシュな物をだ」
「はい」
ベルナルトは給仕にそう言い、給仕は手際よく茉莉花の前に搾りたてのリンゴジュースを出したのだった。むっとしながらも茉莉花はそれを飲んだ。
(美味しいし……)
「楽しみだな」
くつくつとベルナルトは喉で笑い茉莉花の肩に腕を回したのだった。
***
『これと、後これと、そうだなそれも頼む』
『はい! かしこまりました!!』
茉莉花はムスッとした表情でソファにちょこんと座りベルナルトと、ベルナルトに付き従う店員を見ていた。店員は何人もベルナルトに付き、言われた商品を手にしていた。
「奥様どうぞご試着を」
「……はい」
茉莉花はベルナルトが連れて来た専属の通訳にそう言われ、店員が持っていた多くの服を試着したのだった。
(選び過ぎ……!)
イタリアに着いて三日目、茉莉花達はミラノに滞在をしていた。その三日間と言うものベルナルトはずっと買い物を続けていた。高級ブティック街の店を連日梯子し、茉莉花に似合う服を全て買っていたのだ。今日もその続きだった。
(だから金持は……!)
そうは思う物の茉莉花はおとなしくベルナルトに従い服を試着し続けていた。着る度にベルナルトに見せ、ベルナルトが首を縦に振ると買い物が成立するのだ。だが中々ベルナルトは首を縦には振らなかった。沢山選んだ服の中でも買うのは三分の一にも満たなかったのだ。そんな事をこの三日間ずっと繰り返していた。
茉莉花はベルナルトが選んだ服を着て試着室の扉を開けた。開けた先にはソファに腰掛け、飲み物を飲んでいるベルナルトが居た。茉莉花はムスッとした表情でベルナルトに見えるようにくるりと周りその服を見せた。
「ふむ、中々似合っているな。だがその表情は頂けない」
「むぅ。だって疲れました! いつになったら観光に連れて行ってくれるんですか!?」
「旅の分の服が揃えば」
ベルナルトはそう言うと隣に立っていた店員を呼びつけ何かを言った。茉莉花にはイタリア語は分からなかった。ベルナルトは流暢にイタリア語を話し、会話を成立させていたのだ。
『彼女の服に合う靴や装飾品を見繕ってくれ』
『かしこまりました』
「君はしばらくそのままで」
「はい……」
(すごい着心地のいい服……。一体どれくらいするんだろう? 値札何てこっち来てから見てないよ。値札張らないくらい高いんだろうな……)
茉莉花は呆れて溜め息を吐いた。ベルナルトは全く茉莉花のお願いを聞いてはくれていないのだから。
(普通の大量生産の服でいいのに)
だが楽しそうに茉莉花の服を選ぶベルナルトの顔を思い出して、茉莉花は人知れずクスリと笑い、追加で持って来られた靴やらスカーフを試着した。
**
「あの店は中々君に合うものが多かったな。今度からあの店を候補に入れておこう」
支払いを済ませたベルナルトは買ったもの一式をホテルに送るように手配し、手ぶらで次の店へと向かっていた。
「次はどの店に行くんですか?」
「アクセサリーを取りに」
「? じゃあ今度はベルナルトさんの物を買うんですね?」
「まぁそうだな。君も欲しい物があれば言ってくれ」
「いえ、結構です……」
高級車の中でそんな会話をしていると次の目的地に着いた。
「品物を取りに行くだけだ。お前達はここで待機していてくれ」
「はい」
そう言い残すとベルナルトは茉莉花の肩を抱いて店に入った。
『あ! ローゼ様!! お久しぶりでございます。皆さん、ローゼ様のご到着ですよ』
『いらっしゃいませ! ローゼ様! お待ちしておりました!』
店員が全員で綺麗に腰を折りベルナルトを奥の部屋へと通した。茉莉花は目を見開いてそれを呆気に取られたように見ていた。
奥の部屋でソファに座りシャンパンを渡された茉莉花は、キョロキョロと辺りを見渡した。慣れないことだらけで落ち着かないのだ。
『ローゼ様ご注文の品を……』
『彼女には秘密だからあちらで見せてもらおう』
『かしこまりました』
『彼女には新作を見せてやってくれ』
『そのように』
ベルナルトは立ち上がり茉莉花に振り返った。茉莉花は少し不安げにベルナルトを見ると立ち上がろうとしたが、ベルナルトにそれを止められた。
「少しここで待っていてくれ。すぐに戻る。君には新作を見せてもらうように言ったから、欲しい物があれば言ってくれ」
それだけ言い残すとベルナルトは茉莉花から離れて行った。言葉の分からない茉莉花は次々に勧められる新作のアクセサリーを戸惑いながら見ていた。
(わぁ、どれも綺麗……。でもやっぱり値札は無いや。どれくらいするんだろう? なんか怖くなってきたな。ベルナルトさんどれだけお金持ってるんだろう……)
今までの世界とは違う、お金持ちの世界にあてられ茉莉花はくらくらとした。
(あ、この星の形の可愛い……)
茉莉花が目を引かれたのは小さな星がいくつも連なったネックレスだった。それをじっと見ていた為か、店員がそれを手に取り、茉莉花の首元に掛けたのだ。茉莉花は慌てて手を横に振ったが、ニコリと店員に笑われ鏡を勧められたのだ。
「あ、やっぱり可愛いなぁ」
茉莉花は自分の胸元に輝く星のネックレスをみてそう呟いたのだ。
「なら、買うとしよう」
「ぅえ!? ベルナルトさん!?」
『これも頂く』
『ありがとうございます』
「ちょ、ちょっと待って! いいです! いりません!!」
「だが君が可愛いと言ったんじゃないか」
「言いましたけど!」
「今まで贈ったアクセサリーは付けてくれなかっただろう? 君はそう言うのが好きなのか。覚えておこう」
「え! ベルナルトさん! 本当にいいですって!!」
ベルナルトは茉莉花の話しも聞かずに会計を済ませた。
『彼女のネックレスはそのまま貰おう』
『かしこまりました! タグを外します』
『ああ』
茉莉花の後ろに店員が回り、付いていた小さなタグを取りそのまま茉莉花はそのネックレスを着けて店を出た。
『ありがとうございました! またのご来店お待ちしています』
店員総出でのお見送りに茉莉花は委縮してベルナルトに手を引かれ車へと戻った。




