変化した生活 2
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「おはよう。ジャスミン、ベル」
食堂にはナイフとフォークを持ちパンケーキを食すエドモンドの姿があった。
「おはよう、エド」
茉莉花は笑顔でエドモンドに挨拶をし椅子を引いた。
「エドモンド、お前いつまで居るつもりだ?」
ベルナルトは怪訝な顔をしてエドモンドを見ると椅子を引き座った。
あの日以来食堂にも変化が生じていた。無駄に大きなテーブルは他の部屋へと運ばれ、今は小さな四人ほどでしか囲めない上品な丸いテーブルが置かれていた。その為食事をする際の他者との距離がグンと縮んだのだ。これはベルナルトの命令だった。茉莉花に歩み寄ると決めたベルナルトは形から入ることを決めたのだった。
「へ?」
エドモンドは呆気に取られたようにベルナルトを見つめた。
「だからいつまで居るんだ?」
「決めてないけど? 今絵の仕事もないし」
「じゃあしばらく居られるね!」
ニコニコと微笑む茉莉花とは対照的にベルナルトは頭を抱え溜め息を吐いた。
「だめ? ジャスミンは喜んでるよ?」
「ただ飯食いを置いておくほど私の心は広くない」
「えー? いいじゃん。ベル金持ちなんだしさぁ。けちくさい事言うなよ」
「自分の立場が分かっているのか? お前何もしないでもう二週間もここに居るんだぞ? そろそろ新しい仕事を取り付けて来たらどうなんだ」
「だってそれは、ベルが……」
「その話は今は関係ないだろう? 今私にはエドモンド、お前は必要ない。好きに働いて来い」
「ちぇっ。折角の休暇を楽しんでたのに。ここに居れば至れり尽くせりなのになぁ」
流石に茉莉花も苦笑いを浮かべエドモンドを見ていた。エドモンドは子どものように口を尖らせ拗ねていた。
「あ、そうだ! じゃあ」
茉莉花の発言に男二人は視線を茉莉花に注いだ。
「何か絵を描いて? 画材道具はあるんでしょ? ほら私の部屋殺風景だし」
エドモンドは口角を上げベルナルトを見た。
「高くつくよ?」
「チッ!」
「そうなの? ベルナルトさん、それじゃダメ?」
「あんな悪趣味な絵を飾るのか?」
「悪趣味? 前に見た時はそんな事なかったと思うけど……。それにベルナルトさんだってエドに私の絵を描くように依頼したんじゃないんですか?」
「私は事細かに頼んだんだ。君のそのオーダーではエドモンドの個性が出る」
「個性?」
「芸術を理解出来ないなんてベルは悲しい奴だね! 心配しなくても大丈夫だよジャスミン。君なら芸術を理解できる! 君の部屋にぴったりな可愛らしい絵を描いてあげよう。勿論支払いはベル持ちでね?」
ベルナルトは眉間に皺を寄せエドモンドを見ていた。
「ベルナルトさん、お願い。ダメ? 私の為にエドの絵を買ってくれませんか?」
「……君の頼みなら」
ベルナルトは呆れた様に茉莉花に微笑み掛けた後、顔つきを変えてエドモンドを軽く睨んだ。
「支払いと言うなら、お前のこの滞在期間中の食事代や部屋代全て差し引いた差額で手を打ってやろう」
エドモンドはギョッとしたようにカップを持つ手を震わせた。
「それって実質儲けゼロって事!?」
「それどころかマイナスなんじゃないか? この屋敷の宿泊費は高いぞ?」
「ベル、酷い!!」
「何がだ。私達の関係はギブ&テイクだろう? 言い出したのはエドモンド、お前だ」
「くそっ、足元取られた……!」
「この数日の礼に、茉莉花に絵を描くくらいの気持ちは持てないのか?」
「……ベルだったらいい商売になると思ったのに」
「まぁ掛かった材料費ぐらいは出してやろう」
エドモンドは拗ねた様にナイフで切ったパンケーキをフォークで刺し、口に放り込んだ。
「仕方ないなぁ!」
「それはこっちのセリフだ」
そんな二人を見ながら茉莉花は微笑みを浮かべていた。
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食事後三人は別々の行動をとった。ベルナルトは仕事へと出かけて行き、エドモンドは早速部屋に籠り絵を描き始めた。何もやることのない茉莉花は先日ベルナルトにプレゼントされた映写機で映画を見たのだった。
映画を一本見終わった茉莉花はウトウトとしだし、そのままソファで昼寝をしていた。目覚めた頃にはもう日が暮れていた。喉の渇きを潤すため冷蔵庫からジュースを取り出し、もう一本映画を見ながらベルナルトの帰りを待つことにした。
「茉莉花、ただいま」
ゆっくりと部屋の扉が開けられ、茉莉花は映し出されていた映像から目を離しベルナルトを見た。
「お帰りなさい」
ベルナルトは鞄を部屋の奥のテーブルに置くと上着を脱ぎそれを椅子に掛けた。そして茉莉花が座るソファに近づき、ソファ越しに身を乗り出し茉莉花を抱きしめた。
「うわ!」
「何を驚いているんだ?」
「止めてください! 離して!」
「嫌だ」
暴れる茉莉花など気にもせずベルナルトは更にきつく茉莉花を抱きしめ、その首筋に顔を近づけて大きく息を吸った。
「いい匂いだな」
「変態! 離して!」
「そうあしらわないでもいいだろう?」
ベルナルトからそっと解放された茉莉花は頬を膨らませ、ベルナルトを見た。ベルナルトはソファを回り茉莉花の隣に腰を下ろした。
「もう、何なんですか! 最近! 変ですよ!?」
「私がか?」
「まるで子どもみたい。そんなに私に構って欲しいんですか? 止めてくださいよ、いい大人が。エドに構ってもらえばいいじゃない!」
「大人だろうが関係ない。私が子どもだったら構ってくれるのか?」
「子どもじゃないでしょ!?」
「もしもだ」
茉莉花は更に頬を膨らませベルナルトから視線を外し、目の前に映し出されている映画を見た。
「そういうところが変だって言ってるんです! ベルナルトさんの子ども時代なんて想像も出来ません」
「普通の子どもだ。茉莉花、私はもう君が言うように大人だが、君に構って欲しい。エドモンドではない。君に、構って欲しいんだ」
「はぁ!?」
茉莉花は驚き目を見開いてベルナルトを見つめた。
「もっと私に構ってくれてもいいだろう?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。何言ってるんですか! 十分構ってるでしょ!? 今日だって朝から纏わりついてくる貴方の相手をしたし、今だってこうやって話してるじゃないですか。だいたいこの屋敷に居る時点で、私は貴方と大抵の時間を一緒に過ごしてるんですよ!? これ以上どうして欲しいんですか! 甘えん坊何ですか!?」
ベルナルトはムッとした表情を見せた後、小さく溜め息を吐き茉莉花に手を伸ばした。茉莉花がビクつくのをお構いなしに腰に手を回して顔を近づけた。
「ちょ、近い!!」
「そうだ。私は甘えん坊何だ。そう言えば構ってくれるのか?」
「もう、分かったから止めて!」
「嫌だ。君が私に構ってくれるまで止めない」
「だから構ってるじゃん!?」
「言い方を変えよう。そうだな、私は君に甘えて欲しいのかもしれない」
「は!?」
「もっと私に甘えろ。欲しい物は? 食べたいものは? 行きたい場所は? 私にして欲しい事は? 何かあるだろう? どうして何も言わない? 求めない? 君にとって私はそんなにも不必要か?」
茉莉花は間近に迫って来るベルナルトの整った顔に、自身の顔を赤らめ必死でベルナルトの胸板を押していた。
「だ、だったら!」
「なんだ?」
「離してください! 近い!」
「それは聞き入れられないな」
ベルナルトはニヤリと口角を上げた。茉莉花は眉を下げ目を潤ませていた。
「私のお願い何て聞いてくれないじゃない! 家に帰りたいって何度言っても聞いてくれなかったし! いらないって言ってるのに贈り物いっぱいするし!」
「物にもよるだろう? 私は今君を離したくない。私の好意を受け入れてくれてもいいだろう?」
「ベル、ベルナルトさん」
「なんだ?」
「やっ、嫌……。あ、貴方の顔カッコいいから近くにあると嫌。落ち着かない!」
茉莉花は潤んだ瞳と真っ赤にさせた顔でベルナルトを見ていた。
「お、お願い。離して、緊張するの……!」
「それは可愛らしい事を」
目を瞑り顔を背ける茉莉花をベルナルトは口角を上げ見つめた。茉莉花の頬を撫でそこにキスを落とすとベルナルトは茉莉花から腕をようやく離した。
「ひゃっ」
「可愛い声だな」
「うぅ!」
「唸っても無駄だ。そんな赤い顔で睨まれても怖くもなんともない。それよりも、またこの映画を見ていたのか? 何度目だ?」
「いいでしょ! 好きなんだもん!」
茉莉花はふて腐れてソファの上で膝を折りそこに顎を乗せ映画の続きを見始めた。
「ヨーロッパの話しだな」
「イタリアですぅ。偶然会った男女が一緒にイタリアで過ごして、その数年後運命的な再開を果たすんです。ロマンチックですよねー。出会い方も運命的って言うか、何よりも数年間相手の事忘れずに思っていたって言うのが感動的です。見た目が変わっても惹かれあうなんて素敵」
「ふむ、そうか。君はラブロマンスが好きなんだな」
「好きじゃない女の子何ていないと思いますよ? それにイタリアって言う土地がまた何て言うか、素敵じゃないですか。あ、ジェラート美味しそう」
茉莉花は目を輝かせジェラートを食べている、最終的には恋人になる二人を眺めていた。ベルナルトはそんな茉莉花の横顔を見て一人ふっと笑っていた。
「見終わったら食事にしよう。エドモンドも籠りきりだそうだ」
茉莉花は立ち上がり映画を止めた。ベルナルトは茉莉花を不思議そうに見つめていた。
「もういいのか?」
「何回も見てるので。ベルナルトさんもお腹空いたでしょう? ご飯にしましょう」
「ああ」
ベルナルトは立ち上がると茉莉花の手を取り、長い廊下を歩み出した。




