変化した生活 1
【12】
「ん……」
茉莉花は朝の陽ざしを感じて目を開けた。ベッドに横向きに寝ていたその視線の先には、同じように横向きに寝ているベルナルト姿があった。
(まつげ長いなぁ……)
まだ眠りの中に居るベルナルトの顔を茉莉花は寝ぼけ眼で見つめていた。ベルナルトは規則正しく寝息を立てて起きる気配はなさそうだった。茉莉花はベルナルトを起こさないようにベッドから抜け出すとリビングに向かった。
リビングの小さな冷蔵庫から水を取り出すと、それをポットに移し沸かした。戸棚からドリップ式の簡易コーヒーとマグカップを二つ取り出すと、お湯が沸くのを待っていた。
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ベルナルトとベッドを共にした日、ベルナルトは約束通り茉莉花に手を出すことは無く、二人の間には高く枕を積み上げ茉莉花が風呂から上がって来るのを待っていた。茉莉花は高く積み上げられた枕に溜め息を零し、それを崩した。結局二人の間には抱き枕用の少し長い枕を置いて眠ったのだ。
翌日茉莉花が目覚めると既に目を覚ましていたベルナルトと目が合い睨まれた。寝起きながらもその眼力にビクついた茉莉花に、ベルナルトは溜め息を吐き苛立たし気に茉莉花の名を呼んだのだ。そして掴んでいた茉莉花の手首を離した。茉莉花は訳も分からず掴まれていた手首を見ていた。
境界線を枕で引いたにも関わらずどうしてベルナルトが自身の手を持っていたのかと思ったが、その境界線である枕を通り越していたのは他でもない自身だと茉莉花は気づいた。手だけではなく片足も枕を超えてベルナルトの陣地に侵入していたのだ。
『君の寝相が悪いとは知らなかった』
『なっ!』
ベルナルトにそう言われ茉莉花は顔を赤くしてシャワーを浴びに行くベルナルトの背中を見ていたのだった。
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(別に寝相悪くないもん。今日だって枕超えてなかったし)
お湯が沸くのを見つめながら茉莉花はベルナルトの一言を思い返していた。そんな風に言われたのは初めてだったのだ。その事が何だか癪に感じていたのだ。
あの日を境に茉莉花とベルナルトの関係は少し変わっていた。茉莉花はベルナルトがベッドで共に寝る事を許していた。ただし枕で境界線を作ることは変わっていない。茉莉花は日常生活でもベルナルトに対して反抗的ではなくなった。ベルナルトも茉莉花に対し強引な手段に出なくなった。茉莉花の意見を尊重する様になったのだ。二人は険悪な関係から良好な関係へと変わりつつあったのだ。
(あの日は、そうだよ、疲れてたんだよ! じゃなきゃベルナルトさんの陣地に侵入なんかしない! あの日以外してないし)
茉莉花は湧いたポットの火を止めた。失態の理由を自分に言い聞かせコーヒーにお湯をゆっくりと注ぎ始めた。ゆっくりとマグカップの中に落ちていくコーヒーを待ちながらポットを台に置いた。
「おはよう、茉莉花」
「わぁ!!」
茉莉花はマグカップの中のコーヒーが出来上がるのを見ていたせいか、ベルナルトが起きリビングに来ている事に気が付いていなかった。ベルナルトは簡易キッチンに佇む茉莉花を後ろから抱きしめ、耳元で朝の挨拶を囁いたのだ。その事に驚いた茉莉花は悲鳴にも似た声を上げてギロリと後ろを振り返った。
「おはよう」
「危ないじゃないですか!! 私がポット持ってたらどうするんですか!」
「持っていなかっただろう? 私の分も淹れてくれ」
「そう言う問題じゃない! もう止めてくださいよね。心臓が縮みます!」
ふん、と鼻を鳴らしながらも茉莉花は、ベルナルトに抱き付かれたままベルナルトの分のマグカップにもコーヒーを作り始めた。
「もう、邪魔です。退いてください」
一向に離そうとしないベルナルトを茉莉花は肘で小突き離れるように促した。だがベルナルトはそれでも茉莉花を離すことなく、更に茉莉花に体重を乗せ伸し掛かった。
「重いっ!」
「いいじゃないか」
「駄々っ子ですか!? 邪魔なんです。離して! それに危ないし」
「君に危険が及ばないようにギリギリのラインで抱きしめている。安心していい」
「ギリギリって、全然安心できませんよね? ほら、もうコーヒー入ったんで飲んでください」
茉莉花はグイッとベルナルトを押し返し、ベルナルトの分のマグカップを手渡した。ベルナルトは少し残念そうな顔をしてそれを受け取るとソファに座り口を付けた。
「はぁ……」
茉莉花は朝から疲れたと言いたげに盛大に溜息をつきベルナルトの横に腰を下ろした。
「シャワー浴びるんでしょ?」
横目でベルナルトを見ながら茉莉花もコーヒーの入ったマグカップに口を付けた。
「ああ。シャワーを浴びないと一日が始まらない」
ベルナルトはコーヒーを飲み干すとマグカップを手前のテーブルに置いた。
茉莉花がベルナルトと一緒に寝るようになって気付いた事、それはベルナルトが朝にシャワーを絶対浴びる派の人間だという事だった。今まではどうしていたのかとふと疑問に思い聞いた事があった。風呂場へはベッドルームを通らないと行けないのだ。だが茉莉花は眠っている最中に誰かが入って来た気配も、シャワーの音も聞いたことがなかった。ベルナルトはわざわざ茉莉花より早く起き、別の部屋でシャワーを浴び戻っていたのだった。
(通りで朝が早いわけだよね)
今同じ部屋で寝るようになってからのベルナルトは、茉莉花に気を使う必要が無くなったためか朝もゆっくりと目覚めていた。
ソファから立ち上がり風呂場へと向かうベルナルトを、マグカップを持ちながら茉莉花は眺めていたのだった。




