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鳥籠の外へ 6

***



 茉莉花は自室のソファに座り膝を抱えうずくまっていた。屋敷に戻り濡れて汚れた体をシャワーで流した後、少し腫れて赤くなった足首を治療してもらった。ベルナルトはそれを見届けた後、部屋を出て自身の怪我の治療に向かったのだ。


 以前茉莉花の体調が優れない事があった時、ベルナルトは常駐の医者を雇う決意をし実行していた。屋敷の片隅に作られた簡易治療室でベルナルトは治療を受けていた。

 そのベルナルトの帰りを茉莉花は配置換えされた部屋でじっと待っていたのだ。


 ガチャリと扉の開く音がした。茉莉花はぱっと顔を上げ開かれた扉を見つめた。


 「ベルナルトさん……!」


 ベルナルトの姿を確認すると茉莉花は立ち上がりベルナルトに駆け寄った。眉を下げベルナルトの左側、茉莉花から向かって右側の額に当てられたガーゼを心配そうに見つめた。


 「数針縫っただけだ」


 ベルナルトは扉を閉め茉莉花の手を取ると、先ほどまで茉莉花がうずくまっていたソファに連れて行き隣に座らせた。


 「茉莉花、足は痛くないか?」


 茉莉花は首を横に振るとベルナルトの手をギュッと握り頭を下げた。


 「ごめんなさい!」


 下がった茉莉花の頭に手を置き、ベルナルトは優しく茉莉花の頭を撫でた。


 「もう謝らなくていい」

 「でも! ちゃんと償いはします。貴方の言う事聞く……。もう、あんな風に逃げ出したりしないから……」


 俯いたまま茉莉花は目に涙を溜めていた。ベルナルトは茉莉花の顎を掴むと自身と目を合わさせた。


 「逃げ出そうとしていたのか?」


 眉を下げたまま気まずそうに茉莉花は頷いた。


 「そうか……」

 「怒らないの……?」

 「……エドモンドに言われて、君の事を考えた。……私から逃げたかったんだろう?」

 「……家に、帰りたかった。でも、こんな事になるなんて思わなかった。貴方に怪我をさせるなんて思わなかった。ごめんなさい」


 ベルナルトは立ち上がると置いてあった自身の黒い鞄の中から数枚の写真を取り出した。それを手に持ち茉莉花に渡した。


 「私の、家……?」


 茉莉花は目を見開くとポロポロと涙を流した。そこには見間違えることのない、見慣れていた風景が映っていた。その風景の中から一つだけ切り取られたように、茉莉花の住んでいた家は無くなっていたのだ。


 「君の家はここだ」

 「私には、もう、帰る場所もないんですね」


 涙を腕でごしごしと拭いながら茉莉花は自嘲気味に笑い、焼け野原と化したかつての住まいの写真を見つめていた。


 「シルヴァーニ氏の遺産を相続して、あの家も片付けさせていた。……誰も住んでいないのを良い事に放火されたようだ」

 「何もかも、もう私には無いって事ですね……。馬鹿みたい。帰る場所も、行く当ても、もうなかったなんて」

 「茉莉花……」


 ベルナルトは茉莉花の小柄な体を両腕で抱きしめた。茉莉花は驚き手に持っていた写真を落とした。驚きはしたもののベルナルトの抱擁に抵抗しようとはしなかった。ベルナルトは片手を茉莉花の後頭部に添え、自身の胸に茉莉花の耳を押し当てた。茉莉花にはベルナルトの心臓の音がトクン、トクンと聞こえた。


 「茉莉花、私は生きている。どこも悪くない。怪我もすぐ治る。君には私が居る。君の家はここだ。君の夫は私だ。君が望むもの全てを私が揃える。その努力をする」

 「ベルナルトさん……」

 「償い何て必要ない。君が無事ならそれだけでいい。私に君を守らせてほしい。だから遠慮なんてしないで欲しい。罪悪感を持たないで欲しい。手遅れかもしれないが、私は君に歩み寄る努力をしたい。それを許して欲しい」

 「う、ん」


 茉莉花は涙を流しながらベルナルトの背に自身の手を回していた。


 「君が川に落ちて心臓が止まりそうになった。咄嗟だった。あの時の私は何も考えていなかった。君の事だけしか頭に無かった。君が居なくなるのは嫌だと、そう思った。……君は大切な私の妻だ。だからこれからも傍に居て欲しい。君にも私を理解して欲しい。今までの無礼を許して欲しい」

 「うん。私こそ、ごめんなさい。ベルナルトさんは私とお父さんの恩人なのに、意固地になってた。ごめんなさい。助けてくれて、ありがとう」


 ベルナルトは茉莉花を抱きしめる力を強めた。


 「ああ。妻を助けるのは当然の事だ。茉莉花、どうしてあんな危険な場所に居たんだ?」


 茉莉花はビクリと体を震わし顔を上げベルナルトを見た。ベルナルトは優しい顔つきで茉莉花を見つめていた。


 「…………。川の向こう。フェンスに、穴が開いていました。太ったタヌキが出入りしてて、それで……」

 「そこから君も逃げ出そうとしたのか……」

 「ごめんなさい」

 「いいんだ。君が逃げ出したいと思う原因を作ったのは私だ。君を責めたりはしない。フェンスも直さない」

 「え?」

 「大きな穴なのか?」


 茉莉花はタヌキの抜けた穴を思い出していた。太ってはいたがタヌキの大きさは知れていた。自分が通れる確証もないほどの大した穴ではなかったと思い、首をフルフルと横に振った。


 「ならそのままにしておく。君がまた逃げたいと思うならどうぞ」

 「もう逃げ出しません」

 「危険な獣が入って来ないならそれでいい」


 ふっと笑うとベルナルトは片手を茉莉花の頬に当て顎にかけて何度も撫でた。茉莉花はそれを目を細め受け入れていた。


 「無事でよかった」


 ゆっくりと近づいてくるベルナルトの顔に、茉莉花は目を閉じた。頬に確かな感触がした。額にも同じ感触がしたのを確認して茉莉花は目を開けた。ベルナルトは優しい笑みを浮かべ茉莉花を見つめていた。


 (キス……、しないんだ)


 「茉莉花、一つだけ願いを聞いて欲しい」

 「何ですか? 私に出来る事なら何でも……」


 ベルナルトは唇を茉莉花の耳元に寄せ力強く茉莉花の体を抱きしめた。


 「今日は君の横で眠らせて欲しい」


 茉莉花は目を見開き顔を赤くさせた。


 「ダメか?」

 「だ、ダメじゃない、けど……」

 「何もしない。それは誓おう。今更だが君が警戒するなら間に枕を敷き詰めて、壁を作ろう」

 「そこまでしなくても……」

 「約束する。何もしない。ただ君と同じベッドで眠りたいんだ」


 体を離され真っ直ぐに瞳を見られた茉莉花は真っ赤な顔で頷いた。ベルナルトは満足げに笑っていた。茉莉花は恥ずかしさを誤魔化すために口を開いた。


 「あ、あの、どうして私があの場所に居るって分かったんですか? 探してくれたの?」


 ベルナルトは茉莉花の右手を取り、そこに輝く腕輪を一撫でした。


 「これは私が作った最新式の追跡機だ」

 「なぁっ!?」

 「だから君が気に入ってくれないと困るんだ。はずれないんだからな」

 「私を監視してたの!?」

 「監視はしてない。そもそも試作品だ。使ったのも今回が初めてだ。だが上手く作動していてよかった。これが無ければ君の居場所も分からなかった」

 「むぅ……」


 茉莉花は口を尖らせ軽くベルナルトを睨んだ。


 「私からは逃げ出せないという事が分かったかな?」


 ベルナルトはニヤリと笑った。


 「やっぱり最低……」

 「そう言わないでくれ。君はもう逃げ出さないと言ってくれた。私はそれが嬉しい。次にこれを使う時は君を守る時だ。だから許してくれ」


 ベルナルトは茉莉花の右腕に輝く腕輪に口づけを落とした。茉莉花は複雑な心境でそれを見ていたが、困ったようにクスリと笑った。


 「ところでこれは気に入ってくれたか?」


 ベルナルトは自信満々の笑顔で、昼間男達に作業させていた物を両手を広げ茉莉花に紹介した。


 「ソファの位置とか変わってますけど……、今度は何をしたんですか?」


 茉莉花は呆れた様にベルナルトを見つめていた。


 「映写機を買った」

 「映写機?」

 「ああ。これでいつでも映画が見れる。君は物語が好きなんだろう? 私のいない間退屈しているそうじゃないか。これなら君も気に入るだろう?」


 茉莉花は呆れた表情のままもう一度クスリと笑った。


 「そうですね。ありがとう、ベルナルトさん」


 ベルナルトは満足げに笑うと立ち上がり茉莉花に手を差し伸べた。茉莉花はその手を取り立ち上がった。


 「夕食にしよう」

 「はい」

 「今日は君の故郷、日本の伝統料理だ。ちゃんこ鍋と言うものを作らせた」

 「ちゃんこ鍋?」

 「日本人は鍋に具材を全て放り込み煮込むそうだ。ものぐさな民族なのか? それを直接つつき合って食べるそうだ」

 「へぇ……。もしかしてエドが言い出したんですか?」

 「よく分かったな。親睦が深まるからとそう言っていたぞ」


 茉莉花はクスクスと笑いながらもベルナルトの手を握ったまま食堂への道を歩いた。食堂では既に湯気を放ち準備の整えられた鍋を前にエドモンドが待ち構えていた。三人は温かい鍋を囲み楽しそうに話しをしながら夕食を取ったのだった。



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