鳥籠の外へ 2
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「早乙女家」
腕を組み茉莉花の部屋で作業を進める男達を見ていたベルナルトにエドモンドはそう言った。ベルナルトは訝し気にエドモンドを見ると視線をもう一度作業を進める男達に戻した。
「聞いたことがない」
「だろうね」
エドモンドは小ばかにしたようにクスリと笑った。その事に気分を害し、口を開きかけたベルナルトに男達が言葉を掛けた。
「この辺でいいですか?」
ベルナルトはエドモンドに対し出かけた言葉を飲み込み男達に指示を出したのだった。
「ソファを置けるようにしたいから、そうだなこのテーブルをそっちに運んでここに設置してくれ」
「分かりました」
ベルナルトはちらりとエドモンドを見たがエドモンドは腕を組み壁にもたれ掛かっていた。
「先にこれ終わらせちゃおうか」
「話しはその後だ」
口角を上げエドモンドは組み上げられていく茉莉花への贈り物を見つめていた。そのエドモンドを眉間に皺を寄せベルナルトは見ていた。
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「じゃあ、これでいいっすかね?」
一際体格の良い男にそう問いかけられベルナルトは頷いた。
「あざっす! またお願いします!!」
「ああ、サロンで一服していくといい。代金は今でいいか?」
「何でも大丈夫っす!」
「なら使用人に持って行かせる。休憩しながら待っていてくれ」
「分かりました!」
その男はベルナルトに金額を書いた紙を笑顔で手渡し部屋を後にした。ベルナルトはその金額を見て鼻で笑った後、使用人を呼びつけ支払いを済ませるように言い、扉を閉めた。部屋にエドモンドと二人になったベルナルトは真剣な面持ちでエドモンドを見た。
「で?」
「早乙女財閥。十五年くらい前に倒産しちゃったんだけどね、その時代では幅を利かせてた貿易会社だったんだよ。戦後すぐに立ち上げられた会社で、日本で有数の一流企業だったんだけど……」
「何故、倒産した?」
「厳密には吸収されたみたいだよ」
「だから何故?」
「社長とその家族、数名の役員が殺された。後は能無しばっかりだったんだろうね。経営が上手く行かずにすぐに会社は多額の借金を背負い、その名を日本人すらも忘れて行った」
「そうか」
ベルナルトはソファに深く腰掛け天井を仰いだ。エドモンドは小さな冷蔵庫から缶のジュースを取り出しそれを口に含んだ。
「覚えてる? 十六、七年前のロシアのオリンピアホテル、テロの事」
ベルナルトは眉を下げ腕を組み俯いた。
「覚えている。あのテロが起こる前は父に連れられてあのホテルによく滞在していた。そのニュースを見た時背筋が凍った」
「彼女はおそらくあのテロの生き残りだよ」
ベルナルトはばっと顔を上げ目を見開きエドモンドを見た。
「そんな報道は……」
「見つかってないんだろうね? ホテルに居た者は全員死亡。生き残りは誰一人いなかった。悲惨な事件現場が連日連夜、流された。夜中に崩壊したホテルからは火が立ち上り、それを消火するのにも何日もかかった。必死に逃げようとした宿泊客は高層ホテルから飛び降りたり、玄関ホールや裏口から抜け出そうとした多くの者は銃で撃たれ死体の山が出来た。当時の資料を見ていても気分のいいものじゃなかった」
「かつてないほどの大規模な最悪のテロだった」
「そう最悪。計画的に行われた犯行。荒れたロシアの情勢に物申したかったテロ組織の暴挙。でも、その事件だって三か月もすれば誰からも忘れ去られた。そんな物さ。どれだけの死者を出したって世の中何も変わりはしなかった」
「夜中に占拠されたホテル。あのホテルは世界の著名人が宿泊するような一流ホテルだった。私もよく父に連れられ泊まった。様々な国の様々な資産家が集まっていた。その為、警備が一流なのは誰しもが理解していた。安全だと思い込んでいた。そこを狙うとはその時は誰も警戒何てしていなかった。私もその一人だ。ここなら安全だというよく分からない確証があった」
ベルナルトは溜め息を吐いた。
当時のロシアは幾度となくテロや暴動が起こっていた。終戦後、情勢は緩やかに落ち着いて行ったが一部の過激派は行動を起こし続けていた。立てこもり、人質、殺人、連日何処かで何かが起こっていた。流れる暗いニュースをベルナルトは見ていた。その中でも一際目立ったニュース、一流国際ホテル立てこもりテロ。
そのホテルがある地域は治安が抜きんでてよかった。今まで一度もテロや暴動が起こってはいなかったのだ。夜中に占拠されたホテルからは人質となった宿泊客は出る事が出来ず、不安だけが募っていった。逃げ出そうと試みた一人の男性の行動で事態は動いた。その男性は銃で撃たれ、見るも無残な姿にされた後ホテルの外に放り出され事態はパニックと化した。人質となった人々は、まともな判断が取れずいくつもの死体が出た。テロ組織は集団自害を決行し、ホテル内のダクトから独自に開発した毒ガスを流しその後、火を放った。
その当時のロシア当局はその事件の生存者は無し、全員死亡と発表したのだ。数少ない見つかった死体は損傷が激しく、それが誰なのか判定することも難しかった。
「早乙女夫妻と三歳になる娘、早乙女財閥の重役もそのホテルに泊まっていたみたい。仕事でロシアを訪れるついでに家族旅行をしていたそうだ。良いご身分だよね? そんな幼い娘と妻を連れて仕事だなんて。……データに残っていた宿泊客名簿に日本人の名前は数人しか乗っていなかった」
「どうして死んだと言い切れる?」
「生きてるって思いたいのは分かるけど、でも黒焦げの早乙女夫人の死体が見つかってるんだ」
「違う日本人かもしれないだろ」
「それは無いって言い切れる。その死体は右半身が吹っ飛んでて右足も右腕も無かった。俺もちゃんと写真で見たから間違いないよ? でも左手は残ってたんだ」
「……だから?」
「結婚指輪! 日本人は左手に着けるんだよ! その当時では珍しい形のを付けてたみたいで、早乙女財閥に勤めていた何人もの証言が取れてる。間違いなく夫人の物だってね。夫人は左手を固く握った状態で発見されたんだ。手の中には成人男性の、おそらく旦那である早乙女社長の指が三本残ってた」
「……」
「夫と娘の遺体は見つかってない。けどあの状況で生きてるなんて思うやつはいない。そうでなくてもその他にも各国の著名人が集まっていたんだ。それ以上の捜査なんてしない。日本当局もそのホテルに居た日本人全員を死亡したものとして扱ったそうだよ。俺が調べられたのはここまで!」
「……分かった。短期間でそこまで調べてくれて感謝する」
ベルナルトはもう一度溜め息を吐き頭を抱えた。エドモンドはジュースを口に含むと喉を鳴らしてそれを飲んだ。




