鳥籠の外へ 1
【11】
「エド!!」
玄関口から入って来たベルナルトとエドモンドを茉莉花は笑顔で迎えた。厳密にはエドモンドを見て顔を輝かせ、まるで子どものように小走りでエドモンドに駆け寄ったのだ。
「やぁジャスミン」
「久しぶり! 元気だった?」
茉莉花はついつい嬉しくてエドモンドの両手を取り挨拶をした。それを見ていたベルナルトが茉莉花の腕を掴み、エドモンドから引き離した。
「あ……」
茉莉花は一瞬体を強張らせると小さく呟き掴まれた腕を見た。
「ベル、もう少しくらいいいじゃない」
「良くない。茉莉花、はしたない」
ベルナルトは軽く茉莉花を睨むと掴んでいた腕を離した。茉莉花は困ったように眉をひそめベルナルトを見上げると、さっと何事もなかったように視線をエドモンドに戻した。
「はい。ジャスミンお土産」
エドモンドはニコリと微笑むと茉莉花に小さな紙袋を渡した。
「何?」
ガサゴソと茉莉花はその紙袋を開き覗いた。中にはフルーツをチョコでコーティングした物が入っていた。
「わぁ、美味しそう」
「気に入った? 苦手じゃない?」
「うん! 私フルーツ好きだよ? 甘いもの好き! ありがとうエド!」
茉莉花はニコニコとエドモンドに笑い掛け、エドモンドもつられたように微笑んでいた。
「……茉莉花」
エドモンドと話していると不意にベルナルトに呼びかけられ、茉莉花はビクつくとベルナルトに振り向いた。ベルナルトは玄関を指差していた。茉莉花は背の高いベルナルトを避けるように身を捩りそちらを覗いた。そこには何人かの男が何かを運んでいた。
「……何ですか?」
訳が分からず再びベルナルトを見上げると、ベルナルトは口角を上げた。
「私から君への贈り物だ」
「……はぁ、今度は誰ですか?」
茉莉花は溜め息を吐き、チェン同様新しい使用人かと思い問いかけた。だがベルナルトは首を横に振っていた。
「違う。君の傍に男なんて付けない。贈り物は彼らが運んでいる物だ」
「あれは一体?」
茉莉花はもう一度何かを運び込む男達を見た。何か大きな物を額に汗を浮かべ重たそうに階段を登り運んでいた。
「見てのお楽しみだ。きっと君も気に入る」
「はぁ……」
「しばらく部屋には戻らないでくれ。彼等も作業しにくいだろうし」
「はぁ」
「私とエドモンドはあれの設置を手伝ってくる。君は自由にしていてくれていい」
「はぁ。って、え? エドも行くの?」
茉莉花はエドモンドを見つめた。エドモンドは困ったように笑っていた。
「ごめんねー。ジャスミンの相手もしてあげたいけど、ベルの手伝いもしなきゃだし、それに俺、ベルと話しておきたい事があるからさ!」
「えー! エドが来るの楽しみにしてたのに……。それに部屋にも行っちゃいけないならやることないよ」
「ごめんジャスミン! 本当にごめん! すぐ相手してあげるからさ? ちょっと散歩でもしてきなよ? 久しぶりにいい天気なんでしょ? ずっと雨が降ってたってベルが言ってたから」
「うー、分かったよ」
茉莉花は口を尖らせ渋々了承した。ベルナルトはふっと笑うと足を進め、エドモンドも申し訳なさそうな顔をして茉莉花を見るとその後を続いた。一人玄関ホールに残された茉莉花は溜め息を吐き、片手にエドモンドから渡されたお菓子を持ち、エドモンドに言われた通り散歩に出る為大きな扉を開いたのだった。
**
屋敷の前の地面はまだぬかるんでいた。茉莉花が足を進める度に、ぬかるんだ地面は跳ね茉莉花の綺麗に磨かれた黒い靴を汚した。茉莉花はそれに目をやったが気にすることなく歩き続けた。
茉莉花が足を止めたのはお気に入りの場所だった。川辺の大きな岩を背に腰を下ろし、流れゆく川を見ているのが茉莉花にとっては心安らぐ時間だったのだ。だがその川もここ数日の雨により色は淀み、流れは少し速くなっていた。
小さな溜め息と共に茉莉花はごつごつと転がる石を平らにして腰を下ろした。いつもより流れの速い川を眺め手に持ったお菓子の袋を開いた。その中から一つ摘まみ口に放り込んだ。
(美味しい……! 周りのチョコもあんまり甘くなくていい感じ。オレンジの爽やかな味が口に広がる)
茉莉花は人知れず頬を緩め、エドモンドに貰ったお菓子を次々と口の中に放り込んでいた。小さな袋の中身はあっという間に無くなってしまった。茉莉花はお菓子が無くなった事に残念そうな顔をしたが、すぐに満足そうに一人微笑んでいた。
(今度エドにお願いしてもっと買って来てもらおう。食い意地張ってるて思われるかな? でも美味しかったしなぁ……)
茉莉花は一人唸りながらそんな事を考えていた。しばらくそんな事を考えていると川の向こう岸に何かガサガサと動くものが見えた。茉莉花は驚き立ち上がり警戒しながらその方向をじっと見つめていた。
(何だ、タヌキか……)
茉莉花の視界に入ったのは丸々とし、口に餌を銜えたタヌキだった。タヌキは屋敷の残り物でも食べているのか野生動物にしてはふくよかな体系だった。茉莉花はほっと胸を撫で下ろして苦笑いを浮かべていた。そんな茉莉花の視線も気にせずにタヌキは地面を嗅ぎながらのっそりと動いていた。やがて屋敷を囲うように作られたフェンスに行き当たると、動きを止めた。
(前は聞きそびれたけど、あっち側はコンクリートの壁じゃなくてフェンスなんだよね? どうしてなんだろう? 川があるからかな? 川の中にもフェンスが続いてるみたいだし……。何だか急にあつらえたみたいな……)
茉莉花は目を細め対岸に居るタヌキを見つめていた。タヌキは餌を地面に置くと大きく口を空け、甲高い鳴き声を出した。茉莉花は驚きビクついた。タヌキは仕切りにフェンスの外に向かって鳴き声を発していた。そうしているとフェンス越しからガサゴソと小さな音がするのが茉莉花にも聞こえた。
フェンスを挟んで丸々としたタヌキと野生の普通のサイズのタヌキ、それから小さい子タヌキが鳴き声を放ち意思の疎通を図っていた。
(ああ、家族なんだね。可哀想に。あの太った子は出られないんだ……。こっち側に閉じ込められちゃったんだろうな……)
茉莉花は眉を下げタヌキを憐れんで見ていた。見ていたタヌキは餌を器用にフェンスの隙間から向こう側のタヌキに渡していた。
(でも、餌には困らないんだろうな。せめてもの救いだよね。フェンス越しでもああやって家族に会えるんだし……)
茉莉花はタヌキの家族から目が離せなくなっていた。餌を受け取った子タヌキがまだ小さな前足をフェンスに掛けていた。太ったタヌキは前足で器用にフェンスの下の土を掻いた。ぬかるんだ土は跳ね返りタヌキの体を更に汚していた。太ったタヌキはその行動を少しずつ移動しながら何度も行っていた。
(無駄だよ。逃げられないよ……。――!?)
茉莉花は抜け出せないと思っていた太ったタヌキが瞬きをした瞬間、フェンスの外に出たのを確認した。何度も瞬きを繰り返しその光景を見つめていた。そうしているとタヌキの家族は足早に茉莉花の前から立ち去って行った。
茉莉花は目を凝らして太ったタヌキの居た場所を見つめた。
(あそこ! 穴が開いてる!! あのタヌキ達知ってたんだ! 出入りしてるんだ)
茉莉花の視線の先には穴の開いたフェンスがあった。地面に転がる岩や、生い茂る緑で茉莉花が居る側からは見えにくいが確かにフェンスに綻びが生じていた。その綻びはさっきの太ったタヌキも難なく通れる大きさだった。
(……私も通れる? フェンスの穴を手で広げれば、抜け、出せる……? 私に出来る?)
茉莉花は目を見開いた。茉莉花の目には光が宿っていた。希望を見つけた様に茉莉花の顔は輝いていた。
(ベルナルトさんは今エドと一緒に居る。別れてしばらく経つけど、まだ大丈夫な筈。川さえ渡ってしまえば……)
茉莉花は流れの速くなった川をちらりと見て唾を飲み込んだ。そして対岸に続くように置かれている岩々を見た。岩は川の水が跳ね返り濡れていた。
(大丈夫……。ベルナルトさんが私を探し出してもまだ大丈夫な筈。すぐに見つけられない。……きっと大丈夫。きっと渡れる)
茉莉花は胸の前で固く自身の手を握りそう言い聞かせ、対岸に続く岩々の前まで歩みを進めた。陽は沈み掛けもうすぐ辺りが赤く照らされる頃だった。岩々を眺め覚悟を決めた様に頷いた茉莉花の額には汗が滲んでいた。




