安息の日へ向けて 5
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「ただいま、茉莉花」
茉莉花はムスッとした表情で一人用のソファに座ったままベルナルトを見上げた。ベルナルトの肩は所々濡れていた。
夕方になり天気は崩れポツポツと降っていた雨は、今は豪雨となり仕切りに降り注いでいたのだ。茉莉花はそんな天気の為外に出ることは無く一日中部屋の中で過ごしていた。
「……おかえりなさい」
そう言うとベルナルトから視線を外し持っていた本に目を向けた。
「読書か? 珍しいな?」
「チェンが貸してくれました」
「では彼女の本なのか?」
「はい。私が前にこの屋敷で暇だからって言ってたのを覚えててくれたみたいで、何冊か私の為に小説を貸してくれました」
「そうか。物語が好きなのか?」
ベルナルトはスーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めると茉莉花の前に立った。茉莉花はピクリと体を震わせ視線だけをベルナルトに映し、上目遣いに彼を見ていた。
「物語は好きですけど、……何ですか?」
ベルナルトは何も言わずに、自然な動作で茉莉花の頬に手を添えるとゆっくり屈み、そこにキスを落とした。茉莉花は驚き持っていた本を落とし、大きく目を見開いてベルナルトを見た。
「読書をしている姿があまりにも愛らしくて」
「い、意味わかんないです!!」
慌てて茉莉花は落とした本を拾いパンパンと埃を払った。ベルナルトはクスクスと笑い立ち上がると茉莉花に手を差し出した。
「今度は何ですか?」
茉莉花は疑わし気な目でベルナルトの手を見た。ベルナルトの手には何か引っかかれたような傷があった。
(怪我したの……?)
「食事にしよう」
そう微笑むとベルナルトは茉莉花の手を取り立ち上がらせた。茉莉花はビクッと体を震わせた。ベルナルトは微笑むと茉莉花の体を抱きしめた。
「ちょ! 嫌! 離して!」
「……茉莉花、お願いだから」
茉莉花の耳元でベルナルトは元気の無いように囁いた。茉莉花は必死に押し返そうとしていたベルナルトの胸板に、力を込めるのを止め眉間に皺を寄せてベルナルトの顔を見た。ベルナルトは目を瞑り少し苦しそうな表情で茉莉花を更に強く抱きしめた。ベルナルトの体温と鼓動に茉莉花は戸惑いを感じた。
(どうしたの?)
しばらくしてベルナルトは何事も無かったように茉莉花を解放すると、もう一度微笑み茉莉花の手を取った。茉莉花はムスッとした表情のままベルナルトの後ろを歩いたのだった。
「お酒でも飲んだんですか?」
ベルナルトは茉莉花に振り返るとニコリと笑った。
「飲んでいないが?」
「随分とご機嫌なんですね? こんな雨なのに」
「そうか?」
「……」
「君のせいだな」
「は?」
茉莉花はベルナルトの言っている意味が全く分からずに訝し気な顔でベルナルトの背中を見つめた。ベルナルトは前方を向いたままクスクスと笑いだした。
「言っただろう? 君の愛らしい姿を見たから機嫌が良くなったようだ」
「……」
「それに君はおかえりなさいと言った」
「それが?」
「私の、君への躾の成果だな」
茉莉花は更に頬を膨らませてベルナルトの背中を睨んでいた。ベルナルトは依然クスクスと笑い掴んだ茉莉花の手を強く握りしめた。
「さぁ着きましたよ。お嬢様」
「気持ち悪いので止めてください」
「それは残念」
ベルナルトは扉を開き茉莉花を通すと茉莉花の席を引き座らせた。いつもと違い機嫌のいいベルナルトのエスコートに茉莉花は戸惑うばかりだった。
(何かあったのかな……?)
ベルナルトが席に付き料理が運ばれてきた。温かい料理を口に運びながらも茉莉花は前に座るベルナルトをそーっと見ていた。
「私の顔に何かついているか?」
見ていた事がばれていたのに少し恥ずかしくなり茉莉花は頬を染め俯いた。
「何も……」
「ところで茉莉花。私がプレゼントしたアクセサリーは付けないのか?」
茉莉花は心臓が跳ねたような気がした。ドキドキと高鳴る心臓を何事もないように、気にしないようにしてベルナルトを見た。ベルナルトは小首を傾げて茉莉花を見つめていた。
「どうしてですか?」
「いや、君が付けているのをあまり見たことがないからな。気に入らなかったか?」
茉莉花はベルナルトから視線を逸らして頷いた。
「そうか。なら何か新しい物を……」
「い、いらない!!」
茉莉花は咄嗟に声をあげそう叫んだ。ベルナルトは少し目を見開いて驚いたように茉莉花を見た。
「何故だ?」
「何回も言ってますけど、私、あんな高価な物いらない。だからもう止めてください。それに前に貰ったのだって、その、そう! 川で落としちゃって……。ごめんなさい」
茉莉花はドキドキとしながらベルナルトを見ていた。宝石をチェンに譲った事がばれているのかもしれないと、内心冷や冷やしているのだ。
(私の事試してるの? 怒ってる?)
「そうか……」
「そ、そうなんです! 私注意散漫だから、折角ベルナルトさんがくれても失くしちゃうの! その度に高価な物だから私の気が持たないの!」
「なら高価なものでなければいいのか? 普通の、君の様な年頃の娘が自分で買う様な、……あまり高くないアクセサリーなら付けるのか?」
「だから! そうじゃなくて! もう贈り物はいらないんだってば! ……どうしたら分かってくれるのよ……」
茉莉花は溜め息を吐いた。ベルナルトは眉を寄せ分からないと言いたげに茉莉花を見つめていた。
「妻に何か贈りたいと思うのはいけない事か?」
「いけなくはないけど……」
「なら君は受け取っていればいい。気に入らなければ身に着けなければいいのだから」
「はぁ……」
茉莉花は盛大にため息を吐いてそれ以上言うのを諦めた。ベルナルトは何食わぬ顔で食事を続けていた。
「ああ、そうだ」
「どうしたんですか?」
「今度エドモンドが来る」
「エドが? 本当?」
「ああ」
茉莉花は今までのムスッとした表情を一転させパァッと明るい笑顔を見せた。それを見ていたベルナルトは茉莉花とは対照的に眉間に皺を刻みムスッと表情を曇らせた。
「嬉しそうだな」
「はい! エドと居ると楽しいし!」
茉莉花は、ふふっ、と笑った。ベルナルトは一瞬悲し気に表情を崩すと、すぐに元の表情に戻し食事を続けていた。




