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安息の日へ向けて 4

**


 「失礼します」


 扉をコンコンとノックしチェンは茉莉花が待つ彼女の自室の扉を開けた。茉莉花はチェンが部屋に入るのを確認すると扉から顔を出し廊下を見渡した。廊下には誰もおらず、茉莉花は自室の扉の鍵を閉めた。


 「とりあえずそこに座って」


 茉莉花は普段ベルナルトが眠っているソファを使う事に抵抗があった。そのソファに座ることでベルナルトの事を思い出してしまうのだ。そこに置かれているクッションやカバーからもベルナルトが普段付けている香水の爽やかな香りが、ほのかにするのだ。

 チェンに勧めたのはリビングに置かれた丸テーブルとそれを囲むように置かれた椅子だった。チェンはその丸テーブルにポットとカップを並べ茉莉花に勧められた通り椅子に座った。茉莉花はチェンと向かい合わせの場所に座った。


 「カップは一つしか持って来なかったの?」


 茉莉花は笑みを浮かべチェンに問うた。チェンは委縮し困惑した表情で、はい、と答えた。茉莉花は立ち上がると、簡易キッチンの上の戸棚を開けマグカップを一つ取り出した。


 「とりあえずお茶でも飲みましょう。あ、それともジュースの方がいい? 一応冷蔵庫に何種類か入ってるけど……」


 茉莉花はマグカップにチェンが運んできたポットから紅茶を注ぎ、チェンを見た。チェンは訳が分からないのか頭にはてなマークが浮かびそうな表情で茉莉花を見ていた。


 「チェンもお茶でいい?」

 「え、は、はい」


 茉莉花はチェンが持ってきたカップに紅茶を注ぎそれをチェンに差し出した。


 「あ、あの……」

 「どうぞ?」


 茉莉花はマグカップを両手で掴み口を付けた。チェンは唇を噛むと手をテーブルに付き立ち上がった。


 「あの! ど、どういうおつもりですか!?」

 「どうって……。お茶を一緒にどうかと思って」

 「そうではなくて!! さ、先ほどの事!」

 「その話はもう少し落ち着いてからでいいかなって」

 「あ、あの、訳が分かりません。わ、私を追い出すんじゃ……」


 茉莉花はマグカップを置き眉を下げた。再び座るように視線を投げ、チェンが椅子に座ると茉莉花はチェンの手を握った。


 「大丈夫。貴方は何も盗ってないんでしょ?」

 「はい」

 「ベルナルトさんには言わない」

 「ほ、本当ですか……?」


 チェンは涙を浮かべた目で茉莉花を見た。茉莉花はニコリとチェンに笑い掛けた。


 「うん。でも事情を説明して欲しいな。それが条件」

 「わ、分かりました……。それで許していただけるとは思っていません。じ、自分でも分かっているんです。最低な事をしたのだと。気の迷いだなんて、そ、そんな言い訳通じない事も、許されない事も……」

 「うん。どうしてあんな事したの?」


 茉莉花はチェンの手を離し首を傾げた。チェンは眉を下げたまま茉莉花を真っ直ぐに見つめて話し始めた。


 「弟がいるんです……」

 「弟さん? へぇ、歳は近いの?」

 「いえ、まだ、お、幼くて」

 「そう言えば出稼ぎで来てるって言ってたよね? それにこの間実家に帰ってたんでしょ? 元気だった?」


 茉莉花の言葉にチェンは顔を曇らせ俯いた。


 「わ、私の家族は人数が多くて……。祖父や祖母もいます。きょ、兄弟も他にもたくさん。でも、その……、末の弟が、病気、なんです」


 茉莉花は目を見開いてチェンを見た。


 「小さいときは元気だったんです。でも、ここ一年程、その、あまり、よ、良くなくて……」

 「もしかしてチェンがここに来たのは弟さんの為?」


 チェンは涙を浮かべた目で茉莉花を見て頷いた。


 「私、役立たずだから、家の事も、農業も何も役に立たなくて……! お金を稼ぐ方法も知らなくて……。お、弟の事助けたいのに何も出来なかったんです。弟はそれでも私を慕ってくれています。でも、か、家族は役に立たない私が邪魔で、ただでさえ弟がそんな状態なのに、け、健康な私が何も出来なくて……。弟の代わりになれるなら、わ、私喜んでなります。私が病気だったら、皆幸せだったのに……!」


 チェンは唇を噛みしめていた。


 「そんな事ない!」


 茉莉花が声を荒げたことにチェンは驚いたように顔を上げた。茉莉花はハッとしたように手で口を押えた。


 「ご、ごめん……。チェンは私にとっては大事だから。貴方が病気だったら私は悲しい。貴方がここに来てくれたから私は何とかやっていけるの。私には貴方が頼りなの」

 「奥様……」

 「弟さんを助けたいんだよね?」

 「はい。手術をすれば治るって、お、お医者様は……。で、ですが家にそんな莫大な手術費を払える余裕はなくて。弟は病状が悪化すれば、いつ死んでも、おかしくないんです。か、家族は一番役に立たない私を、身売りに……。それでも手術費には足りなくて、わ、私は買われた家にも役に立たないと追い出され、家族は私を売ったお金を返せと言われて、私は家族からも見捨てられ路頭に迷っていました。それを旦那様が、ひ、拾ってくださって。それなのに! わ、私……。あ、あんな方法間違っています。旦那様から何かを盗むなんて事……! わ、私は自分が許せません!」


 チェンは顔色を青くして唇を噛みしめ俯いていた。茉莉花は眉を下げチェンを見た後立ち上がり、リビングを離れベッドルームに入って行った。チェンは茉莉花が席を離れた後、顔を覆い泣いた。


 茉莉花はベッドルームの扉を閉めると、扉に背を預け重たい気持ちを吐き出すように大きく溜め息を吐いた。ゆっくり目を瞑り深呼吸をすると、もう一度ゆっくりと目を開け自身のクローゼットを眉を下げて見た。そちらに歩み寄り、その扉を開くとガサガサと大きなクローゼットの中を物色し茉莉花は目当ての物を見つけた。


 (ちゃんと整理しとくんだった……)


 乱雑に置かれていたそれを見つけ出し手に取るとチェンの居るリビングの扉を開いた。


 「チェン……」


 顔を覆い泣くチェンの肩を茉莉花は優しく撫でた。チェンは茉莉花を見上げた。


 「大丈夫? これ使って?」


 茉莉花は微笑むとポケットから薄黄色の花柄のワンポイントが刺繍されたハンカチを取り出しチェンに渡した。チェンはおずおずとそれを受け取ると、流れ出た涙を拭いていた。チェンが少し落ち着きを取り戻したのを見ると、茉莉花はチェンに先ほどクローゼットから取り出したものを差し出した。


 「これあげる」


 チェンは目を見開き何度も茉莉花の手のひらの上の小さな箱と茉莉花の顔を見た。そして大きく首を横に振ったのだ。


 「い、いけません!! 頂けません!!」

 「いいから。私には必要ない。いらないの」


 茉莉花は押し付けるように、チェンに持っていた鮮やかな赤い宝石が印象的なネックレスや、その他光輝くジュエリーが入った箱を渡した。チェンもそれを茉莉花に押し返そうとしていた。


 「奥様!」

 「お願い貰って!」

 「いけません! わ、私、こんなの受け取れません! わ、私はこんな事、盗んだりもう、しないって……」

 「違うの。チェン、これは私が貴方にあげるの。さっきは、あれはベルナルトさんの物だから、それはいけない事だと思う。だからもう絶対にしないで」

 「ですが! 受け取れません! そ、それにこれ、旦那様の贈り物じゃ……」


 チェンは困惑した表情で茉莉花を見た。


 「そうだよ。あの人が私にくれたもの」

 「なら、尚の事! 旦那様も、お、お怒りに」

 「怒ったりしないよ。だってきっと気付かないもん。私が失くしたって言えば、そうか、で終わる。あの人はその度にまた新しい物を買ってくる。いくら私がいらないって言っても、欲しくないから止めてって言っても聞いてくれない。あの人にとって私への贈り物は全部、私の為に贈ってるんじゃない。ベルナルトさんが自分の為にしてることよ。私はそんな事してもらっても嬉しくもない」

 「ですが……」

 「だから身につけもしないのに色んなものがどんどん増えていくの。私にとってはガラクタだよ。こんなところに閉じ込められて、着飾っても、高価な宝石を貰ってもどうしようもない。この贈り物に価値なんて、私にはない」

 「で、でも旦那様がお、奥様の為に選ばれた物です!」

 「そんな事頼んでもない。私は欲しくないの! それでも私に渡すんだもん。だから気にしなくていいよ。これはもう私の物だし、それをどうしようと私の勝手だし。これが貴方の役に立つのなら私はそうして欲しい。これで少しでも弟さんを助けられるなら、貴方が持つべきだよ」


 茉莉花は真っ直ぐにチェンを見つめた。チェンは涙を溜めた目を茉莉花に向け、その箱をゆっくりと受け取った。


 「……私の話しを、し、信じるんですか?」

 「だって嘘じゃないんでしょ?」

 「……はい。嘘、ではありません。で、でも、奥様、こんな簡単に人を、信じたりしては……」

 「分かってる。世の中にはこうやって人を騙す人だっているって言いたいんでしょ? でも、いいんだよ。チェンなら。信じてるから」

 「お、奥様を騙すつもりなんてありません。ですが……」

 「いいんだよ。チェンになら騙されたって。貴方の話し嘘じゃないって信じてる。例え私を騙すための演技でも私はそれを信じるよ?」

 「……」

 「これは弟さんの為によ」


 チェンは涙を浮かべるとその箱を握りしめ深く何度も茉莉花に頭を下げた。


 「お、奥様! なんと言っていいか……!!」

 「うん。でも他の人には秘密だよ?」

 「はい! 誰にも言いません! この、ご、御恩は絶対に忘れません! いつか、どんな形でも、きっと、絶対に返します」

 「いいよ、そんなの。私がしたくてした事だから」

 「そういう訳にはいきません! お、奥様のご厚意で、私の弟は、命を繋げられるんです」

 「チェン……。あの、どうしてもって言うならお願いを聞いて欲しいんだけど」


 チェンはバッと顔を上げ茉莉花を見た。茉莉花は照れくさそうに頬を掻いていた。


 「何でしょう?」

 「あの、これからもここに居て欲しい……」

 「それは、も、勿論!」

 「私、この屋敷で肩身が狭い。貴方に味方になって欲しい。あ、勿論私も貴方の味方になる。何か困ってるなら何でも言って欲しいし」

 「はい! わ、私どんなことがあっても、もう、奥様の期待裏切ったり、し、しません。奥様、ありがとうございます……。こんな、わ、私が傍に居る事を許してくださって」


 チェンは涙を溜めながらも目を細め茉莉花に笑い掛けた。茉莉花もその事に安堵したようにふわりと笑った。



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