安息の日へ向けて 3
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茉莉花は自室へと続く屋敷の廊下をキョロキョロとしながら歩いていた。広い屋敷ですれ違う使用人は皆同じ服装で、茉莉花を認識するなりニコリともせずに立ち止まり軽く会釈をする。茉莉花は顔をしかめながらも廊下を進んだ。
あの後ベッドルームに戻りもう一度眠りに就こうとした茉莉花だったが、すっかり目は冴え眠ることは出来ずに布団の中で過ごしていた。そうしていると時間は茉莉花が思っていた以上に進みベルナルトが茉莉花を朝食に誘う為、ベッドルームの扉を開いたのだ。
茉莉花はベルナルトと共に食堂へ行き朝食を取った。そこにはいつもなら居る筈のチェンの姿が見当たらず、茉莉花は不思議に思った。朝食後ベルナルトは出かけて行き、茉莉花は他の使用人にチェンの居場所を知らないかと尋ねたが、誰も知らないと答えたのだった。
(チェンは何処だろう?)
少し寂しい気持ちを抱えながら茉莉花は溜め息を吐き立ち止まった。茉莉花がこの屋敷で未だ心を許せるのはチェンだけだったのだ。
廊下の先から差し込む温かい日差しを見た茉莉花はクルリと体を反転させた。
(折角のいいお天気だし、やることもないし散歩でもしようかな。ベルナルトさんがあの部屋で寝るようになってからは、あの人が居なくても何だか部屋に居る事が落ち着かないし……。そうだ、川辺に行こう。あの場所は落ち着くから)
そう思い立ち歩いて来た廊下を引き返し、角を曲がろうとした所で茉莉花は驚き目を見開いて慌てて後退った。
「わわっ」
茉莉花が後退った事で激突は避けられたが、廊下の先を急いで曲がって来た人物、チェンは茉莉花とぶつかり危うく尻餅を付くところだった。茉莉花は慌ててチェンの腕を掴みその事態は回避された。
「お、奥様!! すみません!!」
チェンは慌てた様子で頭を何度も下げた。
「前を見ていませんでした! お、お怪我はありませんか!?」
「私は大丈夫だけど、貴方は?」
「平気です!!」
「それならよかった。珍しいね? チェンがそんなに急いでるなんて……」
茉莉花はふとチェンの足元に何か落ちている事に気が付いた。それを拾おうとしゃがみ込み、顔をしかめたのだった。そしてそれを拾うとチェンを見た。
「チェン……?」
チェンは気まずそうに顔色を悪くして唇を噛んでいた。
「これ、この時計……」
チェンはバッと頭を深く下げた。
「も、申し訳ありません!!」
「……どういう事?」
「申し訳ありません! 申し訳ありません! ど、どうか旦那様には……! もう、しません!!」
茉莉花は驚き時計とチェンを何度も見比べていた。チェンは頭を下げ続けたまま必死に茉莉花に懇願していた。茉莉花は眉を下げチェンの肩に手を置いた。チェンは驚いたような顔で茉莉花を見た。
「これ、ベルナルトさんのだよね? チェンが歩いて来た先って、……ベルナルトさんの部屋だよね?」
「……」
眉を下げて涙を浮かべチェンは茉莉花を見つめていた。
「……チェン」
「申し訳、ありません」
茉莉花は小さく溜め息を吐くと、手に持っていた時計をチェンに差し出した。チェンは困惑した様子でそれを受け取った。
「元の場所に戻して来て」
「!!」
「もう、しないって言ったよね?」
「はい……。どうかしていたんです!」
「他には、何かその、持ってきたりは……」
「していません! 絶対に! 誓います!! 奥様に嘘は吐きません」
チェンは必死に茉莉花に懇願した。茉莉花は眉を下げてチェンを見ていた。そうしていると、二人の元に足音が聞こえて来た。
「……とにかく、ここじゃ他の使用人も通るし、それ返して来て?」
「はい……」
「他の使用人に見つかったら私に探し物を頼まれたって言えばいいから。それから、お茶を持って私の部屋に来て? いい?」
「え、ですが……」
「私に呼びつけられたって言えばいいから。分かった?」
チェンは眉を下げたままこくりと頷いた。
「……部屋で待ってるから」
茉莉花は再び踵を返し落ち着かない自室への道を歩んだ。




