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安息の日へ向けて 2

***



 「やぁベル!」


 ベルナルトの姿を見つけたエドモンドは、背を預けていた壁から離れ片手を上げニコリと微笑みベルナルトの到着を歓迎した。


 ベルナルトは茉莉花と朝食を取った後すぐに屋敷を出た。向かった先はベルナルトが所有している建物の内の一つ、ドイツにある寂れたビルだった。そのビルは今にも崩れ落ちそうな程で、照明は薄暗くもう何年も人が使った形跡を感じられなかった。繁華街から僅かに離れたその位置に佇む廃屋のビルは、近々ベルナルトの会社の新しい支社として使われる為工事を行う予定だった。そんな場所でベルナルトは数人の部下を連れエドモンドと待ち合わせをしていた。


 白衣に身を包んだベルナルトは横目でエドモンドをちらりと見ると、真剣な緊張感の漂う表情でエドモンドの後ろの扉を見た。


 「彼はここに……?」


 ベルナルトの質問にエドモンドは静かに頷いた。ベルナルトは早鐘を打つ鼓動を気にしないようにゆっくりとその扉を開いた。

 ベルナルトの部下はその扉を開き中を覗いた瞬間に顔を歪め、鼻を隠すように腕で覆った。


 「……酷い、匂いだ」

 「死人の匂い。死臭だよ」


 エドモンドは扉の中に入っていくベルナルトの背を見つめながら、ベルナルトの部下達に平然とぽつりと零した。


 「……久しぶりだな」


 何の感情も現さない目でベルナルトは足を進めた。部屋の中では椅子に、小汚い男が項垂れて座っていた。男はボロボロの赤黒く汚れた服に身を包み、黒い髪はボサボサで絡まっていた。エドモンドはベルナルトの後からその男を覗き眉を顰めていた。


 「あ、ああぁ……」


 ベルナルトは項垂れる男に手を伸ばした。男は顔を上げ虚ろな黒い瞳でベルナルトを見つめた。男の口からは唾液が滴り、瞳は焦点が合っていないのか仕切りに揺れていた。


 「ベル……ナル、ト……?」


 男は小さく掠れた声で確かにベルナルトの名を呼んだ。ベルナルトは男に微笑んでいた。


 「ああ。私を覚えていたんだな」

 「あ、ああ……。ベル、ナルト……。大ぎぐ、なっだ」

 「ええ。見た目だけならもう、貴方より老けた」


 微笑みしゃがみ込んで男の手を握ったベルナルトに、椅子に座った男は生気を取り戻したように瞳に輝きを放ちしっかりとベルナルトを見た。


 「ベル、ベルナルド……」

 「そうだ。私がベルナルトだ。……約束を果たしに来た」

 「あ、あ……あ、あり、あり、がどう。だずげで、ぐれ」

 「すまない。貴方の願いを完全には叶えられそうにない。私にはまだその方法が分からない」

 「いい、んだ。解放、じてくれ……。この、苦じみ、から、がいほう、じて」


 ベルナルトは微笑みながらも男の体を見た。首筋には大きな切り傷の跡がかさぶたになっていたし、男の腹周りの元は白かったであろうシャツには赤黒い大きなシミが出来ていた。その他にも体中いたるところに大きな傷が目立ち、それらは全て塞がりかけていた。


 「ええ。もう、貴方を誰にも渡さない。貴方を誰の手にも触れさせない。貴方はもう眠るべきだ」

 「あ、ああ。ぞうだ。一人に、しでぐれ。ごの体を、壊しで、ぐれ」

 「……ああ」

 「ずっど、待っでいだ。君、を……。君、だげが、僕の、味方。どもだち」

 「……」

 「ベルナルド……。だず、げで、ぼぐを、助げで……。心を、だずげて……」


 ベルナルトは男の手を離すと立ち上がり男を見下した。男は必死に縋るようにベルナルトの白衣を掴んでいた。男の数本の指には爪が無く、化膿しぐちゅぐちゅになっていた。ベルナルトの白衣には、男が縋ったことで腫れて膿が溜まった指から、赤い血と交じり合った黄ばんだ汁が着いた。


 「驚いたね!」


 後ろで見ていたエドモンドが目を丸くしてそう呟いた。


 「何がだ?」


 ベルナルトはエドモンドに振り返り眉間に皺を寄せた。


 「その人だよ! 俺が何度話しかけても反応何てしなかった。俺だけじゃなくて他の誰が何をしたって無反応だった。傷つけても何をしても……」


 エドモンドは目を輝かせて怪しく男を見つめていた。


 「彼の体に傷をつけたのか?」

 「ああ。怒らないでベル。あまりにも無反応だったから、生きてるのか確かめたかったんだ。痛みには少しの反応を示したよ。普通の人間なら泣き叫んで悶え苦しむような傷も、彼はピクリと体を震わせるだけだったけどね」

 「この人の体を玩具にするな」

 「怒らないでってば。君の友人を傷つけた事は素直に謝罪しよう。ごめんね。でも俺が傷をつけたのは一度だけだよ? 後はその人が自分でやったんだ。頭がおかしくなっちゃたんだと思ってた。ちょっと目を離した隙に狂ったみたいに何度も何度も、そこらにある刃物で自分を刺すんだもん。その後はまた無反応決め込むし。……それなのに君が来た途端彼は生気を取り戻した。その人にとって君は一体何なんだい? 君にとってその人は一体なんだ?」


 エドモンドは見定めるように口角を上げベルナルトを見ていた。ベルナルトはエドモンドから視線を外し、口角から唾液を流し続け自身に縋る男を見た。


 「……友人だ。この人にとって私は唯一の希望だ」


 エドモンドはクスクスと笑いながらベルナルトの背中を見ていた。


 「ベル……ナルト……」

 「ああ。始めようか」


 ベルナルトは男の後ろに視線をやった。そこには薄暗い照明の中、様々な医療器具や怪しげな大きな機械が置かれていた。その後ろの壁は血しぶきで汚れたのであろう、赤黒いシミがそこここに付いていた。


 「彼をベッドに運んでくれ」


 男の縋る手を離しベルナルトは部下に冷たくそう言った。ベルナルトの部下達は戸惑いながらも男に近づき、顔を歪めてその体を運んだ。


 「ベル、ナルド……。あ、ありがどう」

 「……どういたしまして」


 ベルナルトは眉を下げ、ゆっくりと目を閉じた。


**


 ベッドに仰向けに置かれ、黒いベルトでベッドに縛り付けられるようにして男は横たわっていた。その傍らでベルナルトは手袋をはめ、並べられていた注射器の中の一本を手に取った。自身の鞄の中から小瓶を取り出し、中の液体を確認した。薄黄色の透けたその液体を注射器で吸い上げた。


 「何それ?」


 壁にもたれ掛り見ていたエドモンドは興味深そうにベルナルトに問いかけた。ベルナルトは注射器を少し押し、液体を外に押し出してエドモンドを見た。


 「猛毒だ」

 「ベルが作ったの? ヤバいやつ?」

 「ああ。二、三ミリで人は死ぬ。この量をお前に打てば苦しむ間もなく即死する」

 「え、止めてよね?」


 エドモンドは眉を下げながら苦笑いを浮かべた。ベルナルトはエドモンドから男に視線を移した。男は合わない焦点で頭上の薄暗い照明を、瞳を揺らし見ていた。

 ベルナルトはそっと男の細く痩せた腕を触った。拘束され身動きの取れない男はベルナルトに逆らう事もなくじっとしていた。男の血管を見つけたベルナルトはそこを擦り、細い針を当てた。


 「ベルナルト……」


 男が呟いたのを聞いたベルナルトは針を当てたまま男の顔を見た。男は相変わらず虚ろな瞳で照明を見ていた。


 「どうした?」

 「ずまない……。君に、こんな役割を……」

 「……いいんだ。それに約束した。貴方を自由にすると」

 「ごんなになった、僕を、好きになってぐれた、友人だと、言っでぐれた。君に、僕は感謝しきれない」

 「私こそ、こんな事しか力になれない。すまない」

 「君が、謝る事は、何も、ない。君が、僕を人に、戻しでぐれた。引きどめて、ぐれた。あり、がとう。最期まで、迷惑をがけて、ずまない」

 「私達は友人だろ? 貴方と過ごしたあの夏の事、今でも忘れられない。退屈な人生に光が差した。世界に関心が持てた。私も自分の人生の冒険を歩もうと思えた。その結果が、行きついた先が例え貴方を殺す事だったとしてもためらいも、後悔もない」

 「君にも、大切な人が、出ぎた?」

 「ああ」

 「よがった。君にも、僕以外の友達がでぎて……」


 男は薄く口元に笑みを浮かべ目からは涙を流していた。ベルナルトも微笑み男の細い腕に注射器の針を通した。ゆっくりと猛毒と称された液体を男の中に入れて行った。


 「貴方の存在が……」

 「ぐっ、う、分がってる。君を、君の大事な、人をぐるしめる。ぐっ、あ!! ああ!!」

 「すまない……!!」

 「あ! あああ!!! これで、いいんだ! ……ぐる、じい!!! いだい!」


 注射器の中身は全て男の中に注ぎ込まれた。カランと音を立て注射器は地面に落ちた。男は拘束されながらも必死に足掻いていた。ベルナルトは男の拘束された手を両手で掴んだ。


 「すぐに楽になる……」


 男の最後の力で握られた両手に視線を注ぎながら、ベルナルトは涙を流していた。


 (……茉莉花)


 ピクピクと痙攣する様に体を小さく跳ねさせる男から、ベルナルトは手を離した。男は目を見開いたまま天井を仰いでいた。


 「……死んだの?」


 訝し気な顔をしてエドモンドがベルナルトの横に立ちそう尋ねた。ベルナルトは首を横に振り、新たな器具を手に取った。


 「しばらく動くことも声を出すことも出来ない。感覚ももう無い。お前も手伝え」


 そう言ってエドモンドに渡したのは、先端が針になっていてその先のチューブは小さな袋に繋がっていた。


 「?」

 「彼の血を抜く。一滴残らず」

 「ミイラにするの?」

 「血を抜いた後は四肢を切断して、骨も残らないように砕く」

 「えぐいねぇ……。この場所を選んだのはその為か……」

 「ああ。セメントで固めて新しい支社の底に埋める」

 「そんな上で働く人は可哀想だ」

 「知らなければ幸せだ。この事は他言無用に」

 「はいはい。いつものようにね?」


 流石のエドモンドも顔を青くして額には汗が浮かんでいた。ベルナルトは何食わぬ顔で男に針を刺し血を抜き始めた。


 「さようなら……」


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