鳥籠の中へ 2
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車を二時間ほど走らせ、茉莉花は空港に連れて来られた。訳も分からないまま飛行機に乗せられた。ベルナルトはプライベートジェット機だとそう言った。
「何処に行くんですか?」
泣き腫らした赤い目を向けて茉莉花は尋ねた。
「ビニグアイ」
「聞いた事ありません」
「地図にも乗らないような小さな国、……町だ。何もない。自然に囲まれた空気の綺麗な田舎だ。君のように東洋人はその名を聞いた事も無いだろう。世界中でその存在を知っている者も少ない。驚くほど何もないからな」
「私はロシア人です。この国で育ちました。……私、旅券何て持っていなかったはずですけど……? そこはロシア国内ですか?」
「それは心配しなくてもいい。君が心配する事など何一つない」
ふかふかのシートに腰掛けベルナルトは片手に持ったワイングラスを傾けた。ベルナルトの歯切れの悪い返答に茉莉花は眉を寄せた。
「君も飲むか?」
「いりません」
「……歳は?」
「二十歳です」
ベルナルトは目を見開き茉莉花を凝視した。茉莉花は横目でベルナルトを見た。
「驚いたな」
「何がですか?」
「てっきりまだ少女かと思っていた。立派なレディだったとは……」
茉莉花はそっと目を逸らした。
「これは失礼した」
「いいえ、……この顔立ちに体格ですから、よく言われます」
茉莉花の容姿は黒髪に丸い顔、真黒な瞳に、目元のほりは浅くふんわりとした印象を与える。体格はベルナルトの横に立つと頭一つ分ほどは違う、小柄だった。どこからどう見ても東洋人の特徴が見て取れた。先日切り過ぎた前髪は眉が隠れるかそうでないかのラインで、それがまた茉莉花を幼く見せていた。ベルナルトが少女と見間違えてもおかしくない程茉莉花は可愛らしい容姿をしていたのだ。
茉莉花は自分の容姿が嫌いだった。容姿の事で何度もからかわれたのだ。父親とは似ても似つかない容姿を気にしていた。
「君は自分の容姿が嫌いなのか? 私は愛らしいと思う。東洋人は皆顔が似ていて見分けがつきにくいが、君はその中でも美人というよりも心をくすぐられる、なんというか、……愛らしい部類だ。ふむ……。では年齢相応の対応を心がけよう」
ベルナルトは口元に笑みを浮かべるともう一度ワイングラスを傾けた。茉莉花はベルナルトの言葉を聞きながら窓の外を見ていた。
茉莉花は初めて乗ったプライベートジェット機のシートのふかふかさに緊迫していた気を静められ、段々と眠気を誘われた。家の寝慣れたベッドよりも心地が良かった。ウトウトと首を揺らしているとベルナルトに肩を掴まれ寝るように言われた後、シートを倒された。訳の分からない状況で疲れていた事もあって茉莉花はすぐに意識が遠のいた。そして目を覚ました彼女は見慣れない部屋のベッドに横たえられていたのだ。
***
「嫌いなものは?」
茉莉花は暗い顔をして首を横に振った。ベルナルトは小さくそうか、と零すと控えていた使用人に料理を持ってくるように伝えた。
出された料理は茉莉花が見たこともないような豪華な物だった。その美味しそうな匂いや見た目に、自然と唾が口の中に溢れた。ごくりと唾を飲み込んでそれを見た。
「どうした? 食べないのか?」
「……いただきます」
茉莉花は九十度角に座るベルナルトをチラッと見て、上品に飾られた色とりどりの野菜のサラダに手を伸ばした。オリーブオイルで味付けされているサラダは、口当たりがあっさりとしていた。だが茉莉花はそれを口に含んだ瞬間、胸が焼けるように気持ち悪くなった。さっと水に手を伸ばしそれを飲み込んだ。
茉莉花自身も驚いた顔をした。特に野菜が嫌いな訳でも、そのサラダの味が気に入らない訳でも、痛んでいる訳でもなかった。茉莉花は次にオレンジ色のトロッとしたスープに手を伸ばした。それを少し口に含んだ。口の中にニンジンや玉ねぎの甘さが広がった。だがまたも胸は焼けるように気持ち悪くなった。茉莉花は持っていたスプーンを机に置いて、手も膝の上にしまった。
お腹は確かに空いているのに、体が食べる事を拒絶していたのだ。味を感じた瞬間、それはとてつもなく気持ちの悪い物に変わった。
「もう、終わりか?」
「……お腹そんなに減っていなかったみたいです」
俯きながら答える茉莉花にベルナルトは溜め息を吐いて、フォークを置いた。
「長時間の移動で疲れたんだろう。もう寝るといい」
「……はい」
「何か必要なものは?」
茉莉花は首を振った。
「部屋に有る物は好きに使え。君の今までの生活を考えると何でもそろっている筈だ」
「はい」
「何かあればベルを鳴らせ。使用人が駆けつける」
「大丈夫です」
茉莉花はそろっと立ち上がると部屋を後にしようとした。だがベルナルトに呼び止められ、茉莉花は彼に振り返った。
「連れて行く」
「結構です。場所は分かります」
「いいから来い」
腕を掴まれた茉莉花は渋々ベルナルトに連れられて部屋へと戻った。