彩子さんと対面
翌日、彩子さんと対面した。机を挟んで相対した彩子さんは、何も言わずに俺を見つめていた。彩子さんの目は赤く、瞼は腫れていた。寝ていないのだろう。俺はどうすればいいのか判断できていなかった。彩子さんも、何を言うべきかわからないのだろう。俺は、沈黙に耐えられず口を開いた。
「俺の、俺の父親はどんなやつだった?」
彩子さんは驚いたようだった。腫れた瞼を無理やり押し上げた後に瞼を閉じ、下を向いた。その後だ。信じられない事が起こった。彩子さんが椅子から転げ落ち、尻餅をついた。そして「オイオイ」と泣いたのだ。
俺は彩子さんが泣いたところを初めて目にした。俺は今まで父親について問うた事は無かった。彩子さんも父親について話したことは無かった。死んだわけでも離婚したわけでもない事は、なんとなく知っていた。彼女の主義の問題なのだ。結婚と言うより、彼女には父親と言うもの、家族と言う物の理念が存在しないのだ。俺は彼女の子供である。それ以外は何者でもない。家族ではないのだ。だから、俺は今まで問うた事がなかった。
「父親は、どんなやつだった?」
俺は意地悪であった。彩子さんの崩れた姿に被せるように、さらに問うた。彩子さんはひとしきり泣くと、俺をキッと睨みつけた。今まで見たことの無い彩子さんだ。
「拓也は意地悪ね。本当に意地悪だわ」
俺は彩子さんの言葉に頷いた。彩子さんは立ち上がり、椅子に座った。
「本城拓巳さんよ。建築設計の仕事をしているわ。同僚だった。今は独立して事務所を開いているわ」
俺の瞳をまっすぐに見つめながら、彩子さんは答えた。そして、俺の顔色を見て気がついたらしい。俺が求めている答えは、名前じゃないと。
「優しい人よ。私には優しすぎたわ」
彩子さんは今日始めて笑顔になった。
「わかった。ありがとう」
俺には充分な答えだ。それだけ聞ければもういい。父親がどこの誰かなんて言うのは、大した問題じゃない。どんな人だったかを聞ければ充分なのだ。そのまま、2人とも黙り込んだ。そして、面会の時間が終わった。別れ際、俺は彩子さんに深々と頭を下げた。
「迷惑をかけてしまい、申し訳ございません」
彩子さんが無言で首を横に振った。俺はその姿に背を向け、面会の部屋を出た。
面会後の取調べで、俺はルミ子さんの恋人で、ルミ子さんが殺害された日に、彼女と抱き合っていた事、口論になり彼女を蹴った事、その後の記憶が全くない事を話した。警察は、アリバイの為にその日に飲んでいたバーを見つけると言ってくれた。バーを見つけ、そこで証言が取れれば俺は殺人を犯していないと言うことになるそうだ。
2日目の取調べが終わり、留置所に入れられた。
あの日のルミ子さんの顔が浮かんだ。白いふっくらとした顔。幸せそうに俺に抱かれていた。いつもはルミ子さんのマンションで会っていたのが、あの日は店で待ち合わせをした。猿渡が最近、ルミ子さんのマンションに突然、来ることがあるから、店の方が安全だと言うことだった。店が閉まる時間には、猿渡は来ないからと言う理由だった。「猿渡はミツルの事、勘付いているかもしれないわ」ルミ子さんがそうに言っていた。それを聞いた時に、関係を解消するべきだったのかもしれない。
「元々、充の親捜しをしていただけなのに、何をやっているんだろうな」
俺は呟いて横になり、目を閉じた。彩子さんが見える。悲しい顔だ。その奥に充が見える。笑っている。
なんで笑っているんだよ。
俺は充に問うた。
「彩子さんに仕返しができたな」
充はニヤニヤしている。
仕返しってなんだよ。
「お前はずっと恨んでいたんだ。愛情のない生活をさせられた仕返しだよ」
俺はそんなもの望んでないし、ましてや恨んだ事なんてない。
「嘘だね。俺の母親に代わりに愛情をもらっていた。それが証拠さ。それに普通は聞くぜ、物心ついた時に『パパはどうしたの』って。お前はそれをわざと聞かなかった。恨みを晴らす機会をうかがって、今日、一気に攻撃したんだ。良い子の拓也ちゃんが殺人容疑で捕まり、その時に父親がどんなやつかを聞く。彩子さんには地獄だぜ」
俺って、酷いな。
「でも、それがお前ら親子の不器用な生き方なんだよ。いいんじゃないか? かっこよく生きなくてもさ」
いいのか? 俺はお前の母親を殺しているかもしれない。
「馬鹿だな、お前。正体なくなるまで酔った人間が、人なんか殺せないよ」
そうかな?
「そうさ」