黒い髪、銀の瞳の彼女
人殺…シリーズに出てくる彼女の話です。わからなくてもギリギリ読めなくはないかな、といった感じです。先に人殺の姫、あたりを読んでくれればうれしい。というか推奨です。初めての方ごめんなさい。
アリシァ・フィズ。
彼女は、日本人の父とスイス人の母から、スイスのチューリヒで生まれた。
彼女の特異性が顕れ始めたのは、6歳のころだった。
家庭ではドイツ語を使用していた父だったが、ある日戯れに日本語を使い出したのだ。
自分の知らない言葉で話す両親を見て、焦ったのだろう。彼女は必死で勉強し、何彼かまわず質問した。
その結果。
二日。
アリシァは、たった二日で日本語を覚えた。
驚いた両親は、すぐさま私立の小学校に転校させ、その知能を磨く環境を与えた。
至って有能な少女として成長し、至って幸福な人生を送る。
そんな言葉が似合う、黒い髪を持つ彼女。
そんな運命が崩れたのは、一人の男に会ったからだった……。
「ジャンヌ? どうしたの?」
アリシァは、道端で突然立ち止まったジャンヌが気になって、振り返り呼びかけた。
「ねえ、ジャンヌ?」
どこか遠くを見るような表情、だらりと下げた両腕。どうしたんだろう。駆け寄って肩を揺さぶる。
「あ。あれ」
「あれ、じゃないよ、どうしたの?」
「今、何か、寒気がして」
「え? 寒気?」
夏である。
いくらスイスの夏が短いからといって、まだ秋には程遠い。
笑い飛ばそうとしたアリシァだったが、妙に真剣な友人の表情が気になり、額に手を当てる。
「大丈夫? 風邪かも」
「うん……」
未だはっきりしないジャンヌの受け答えに、ますます不安が募ってくる。
「病院行こうか?」
「うん……」
今日は高校の連休初日。どこかに遊びに行く予定だったが、ジャンヌがこの状態では、キャンセルしなければ。
「よし、診てもらおう? ね?」
「うん……」
いったいどうしたというのか。普段は、というかさっきまで元気にはしゃいでいたのに、どうして突然……。
「ほら、気をつけて」
一向に歩こうとしないジャンヌの手を引き、病院へ向かっていく。
確かすぐ近くに病院があったはずだ。
道を思い浮かべ、ぐいぐいと引っ張っていく。
「ジャンヌ、本当に大丈夫なの?」
「わかんない、よ」
ぼうっとした目。かろうじて焦点は合っているようだが、足取りはふらふらとおぼつかない。
彼女は何か持病なようなものでも持っていたのだろうか?
4年間付き合ってきたが、今までこんなことは無かった。
そのことがさらにアリシァの不安を掻き立て、早足になる。
角を曲がり、病院が見えた。
と、突然、握っていた手を振り払われる。
「え?」
どうしたの? そう聞く間も無く、ゆっくりと後ずさるジャンヌ。
脅えた目、引きつった表情。浮かんでいるのは、はっきりとした、『拒絶』。
「え、え?」
混乱し、立ち尽くすアリシァを尻目に、逃げるように走り去るジャンヌ。
「ま、待って!」
な、何? 何なの?
全く意味がわからないが、あんな状態の彼女を一人にするわけにはいかない。
すぐに後を追い、駆ける。
革靴が石畳の路面に跳ね返り走りづらいが、条件は同じのはず……。
しかし。
ひとつ、ふたつと角を曲がるうちに、だんだんと距離が離れていく。
何で?
ジャンヌはマラソンやバスケットといった持久力を使うスポーツは苦手だったはずなのに。
十分ほど走ったところで完全に見失い、途方に暮れてしまった。
「どうしよう……」
考えても最良の解が出てこない。
警察? 何て説明すればいいんだろう。
彼女の家族? 今は仕事中だろう。
悩んでいるうちに悲しくなってきた。
一体ジャンヌに何が起こったのか。
どうして走っていったのか。
「何も、わからない」
神童、才女なんて言われても、所詮この程度よ。
自嘲気味につぶやく。
前方が騒がしい。
歩いているうちに中心街まで来てしまったようだ。
こんな広い街で人を一人探すなんて無理に決まってる。
ひとまず寮に帰ってジャンヌの帰りを待つべきだ。
「……なんだろう、あれ」
なんだか人が集まって騒いでいる。
二十人、いや三十人くらいの人々が円になって、何かを取り囲んでいる。
「なんだろう」
小走りに近づいていく。
近づくにつれて、自殺、飛び降り、といった単語が耳に入ってくる。
いやな、予感がした。
人ごみを掻き分け、文句を言われ、足を踏まれ、強引に割り込む。
まさか。
「うわー、あれ女の子か。もったいないな」
「高校生だよな」「ああ、どこだっけ」「ほら、有名な……」
うるさい、うるさい。
だまれ。
「……っジャンヌ!」
血で塗り替えられた道路。
赤。赤。紅。
紅く染まった制服。
「っく、う、う、ああ」
よろよろと近づき、抱き上げる。
脈、脈は、「死んでるよなぁ」無責任な誰かの一言。
まだ、まだわからない。
救急車を。
「うう、ジャンヌ、ジャンヌ」
暖かい。まだ温かいのに。
なんで!
その後、救急車に乗せられたアリシァを待っていたのは、臨終の報告だった。
「う、うっく。ひっ……く」
涙が止まらない。
もっと強く手を握っていれば。
もっともっと真剣に走っていれば。
もっともっともっと早く異常に気づいたら。
「え、と。君、どうしたんだい」
男の声。
知ったことか私は今泣きたいんだ邪魔をするな。
「う、っるさい。邪魔だっ」
泣きはらした顔を見せたくないがため、うつむいたまま涙を流し続ける。
「……分かってないのかなぁ。ここは病院。公共の場なんだ。泣くなら家で泣いたらどうだい? 慰めてほしいからここにいるってわけでもないんだろう?」
突き放すようなその言い方に、驚く。
そして、すぐに怒りがこみ上げてきた。
「なっ! 誰がどこで泣こうが私の勝手でしょ、消えて!」
初めて男と目を合わせ、叫ぶ。
思ったよりも若い。せいぜい同年代か、一つ上くらいの年齢だろう。
そう見て取ったアリシァは、さらに言葉をつなぐ。
「何よ偉そうに。あなたはここの先生……」
「だからさ、慰めてやるっていってるんだよ。俺の、『能力』で」
「はっ?」
言葉を遮られたことよりも、その不明さに唖然とする。
間抜けな顔をするアリシァの前に立ち、青年は何事かをつぶやく。
「まあ、能力者のしでかした不始末は、能力者がかたをつける、と」
「え?」
「君に、仇をとらせてあげる」
「な、何……っきゃ」
がしり、と頭をつかまれ、アリシァは悲鳴を上げた。
尋常な握力じゃない。骨が砕けそうだ。
「僕の力は、『発露』。君の能力が、どうか素晴らしい能力でありますように……」
青年のその台詞を聞くと同時に、アリシァは意識を失った。
雑音が聞こえる。
『今日はどうしようかな』『俺働きすぎだよあーあ』『また死んだのか』『面倒』『疲れる』『怖い』『痛い』『死にたい』『死にたくない』『何で俺だけ何で』『適当でいいか』『やっぱあの人はすげえな』『こいつ、つかえないな』『眠い』『彼女かわいいな』『酒がほしい』
「何!?」
アリシァが跳ね起きたそこは、病室のベットの上だった。
「あ……そうか」
自分にアイアンクローを決めた青年はどこにいったのか?
夕べの記憶を取り戻したアリシァは、まず青年のことを考えた。
「え?」
ぼう、と脳裏に浮かぶのは、飛行機のシートに座る青年の姿。
「何、何で?」
頭を振り払うと何事も無かったかのように画像は消えた。
「どういう、こと」
一人呟いたところで、脇のテーブルに置いてある手紙を見つけた。
乱暴に開く。
【この世界には、『能力』というものを持ってしまった人間がいる。
例えばそれは『透視』だったり、『念動力』だったりする。君が得
た能力が何かは分からないけど、ジャンヌさんの仇を討つのに役立
つ能力であることを僕は願う。
この世界でのルールは一つ。
能力者の不始末は、能力者がつける。
念のため、彼女を殺した能力者の名前を書いておこう。
アラン・アレジ
彼のしたことは法では裁けない。
君が、やるんだ。】
「能、力」
コン、とノックがあり、看護婦が入ってきた。
「あ、おはよう。制服は洗っておいたけど、気分はどう?」
『ああ、面倒くさかった。いくら友達を亡くしたからって甘えないで欲しいな』
まるで二重音声の様に聞こえる看護婦の声。
「どうしたの?」
『なに? この上精神科医まで呼ばなきゃならないの?』
そう言って、そう考えて、彼女はにっこりと笑顔を浮かべた。
「……はい、大丈夫ですお世話になりました」
耐えられない。
「あ、ちょっと…」
制服を引ったくり、廊下を駆け出す。
走る間にも余計な音声が脳に流れ込んでくる。
ひどい。
腐臭すら漂ってきそうな他人の思念。
吐き気すら感じる。
そう意識した瞬間、アリシァはトイレに駆け込み、吐いた。
「っく、うう」
喉が焼け、痙攣しながらも、ただ吐き続けた。
「あなた、能力者でしょう」
三日後、アリシァはアランの前にいた。
浮浪者の中では意外と有名な人物で、小心者のこそ泥として名が通っていた。
ただ、一ヶ月ほど前から急に羽振りが良くなって、毎日ホテル暮らしをしている、との事だった。能力を悪用して得た金に違いない。
「な、なんのことだよ」
『ば、バレた? 能力者? こいつも? ……っくそ、力が通じない!』
アランはすでに及び腰だった。
「情けない男」
こんな男にジャンヌが殺されたかと思うと、本当にこの手で殺したくなってくる。
でもそんなことはしない。
「なんだてめえ、やんのか?」
『っく、くそ、逃げなきゃ逃げなきゃどこに!』
腰からナイフを取り出し、構えるが、笑えるまでに腰が引けている。
本当に、情けない。
「そんな、ナイフで私を殺すの?」
「ああ、ああ殺してやる」
『何だその余裕は手前の能力は何なんだ!?』
あと、八秒。
「私にあなたの力は通じない。私にあなたのナイフは刺さらない。あなたは、死ぬしかない」
「っく、ざけんな!」
『腹だ、腹なら当たる!』
飛び掛って来るアランをかわし、とん、と軽く背を突き飛ばす。
「え」『あれ……死にたく、な!』
二、一、零。
バランスを崩し、倒れた先にアランが見たものは、迫ってくる路面電車の車輪だった。
「見る、価値も無い」
足早に、その場を去り、安全な路地裏まできた所で、ずるずるとへたり込む。
砂がスカートに付くが、かまわない。
「……私は、わたしは人をころした」
人は、正当防衛と見るだろう、事故、と見るだろう。
だが、アリシァにはすべて分かっていた。
路面電車の運転手の心、アランの心。
死ぬべく状況に追い込むのは、殺人では、ないのですか?
薄暗い路地裏に座り込んだまま、アリシァは涙を流し続けた。
三年後……。
「所長ー? どうしたんですぼうっとしちゃって」
『大丈夫かな? 働きすぎかな?』
デスクに腰かけ、新入社員、斉藤が話しかける。
「最近多いですね」
『ちゃんと食事を摂っているのか? 心配だ』
コーヒーを淹れてきた響も続く。
二人とも、本心から気遣ってくれているんだ。
そんな単純なことが、うれしい。
「ううん。大丈夫よ」
「ホントですか?」
『うーん。まあ顔色は良いし、まあいいか』
「ホントホント、元気」
まさか穏やかに笑える日が来るなんて思ってもみなかった。
「じゃあ、考えてもらっていいですか? 秋人の話」
「え? ああ、有能だって、話よね」
「あいつ、とっっくに覚醒してるんですよ?」
「でも、本人気づいてないんでしょ」
うー、と地団太を踏む斉藤。
「だから気づかせましょうよ」
『あいつがいればもっと楽しくなるのになあ』
あまりに素直な思念に、ふふ、と笑いがこぼれる。
「そうねぇ、じゃあ高校卒業したら、スカウトしましょうか」
「遅いっすよー」
あなたは守れなかったけど、私、たくさんの、もう一人のあなたを守ってる。
偽善かもしれないけど、いつか、世界中のみんなが能力者になる時まで。
ごめんね。
あなたには、まだまだ会えないけど。
見守っていてね、ジャンヌ。