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「う~ん……」
麻実子ちゃんが目をこすり、まだ寝ぼけた様子のまま身を起こした。
その目の前には、俺がいる。
俺は麻実子ちゃんのそばに寄り添うように、心配そうな顔でのぞき込んでいた。
「あ……優歩くん……」
俺の存在に気づいた麻実子ちゃんは、辺りを見回しながら、自分はどうして眠っていたんだろう、と疑問符を浮かべたような表情に変わる。
微妙に首をかしげている姿も可愛らしい。
「麻実子ちゃん、大丈夫? 急に倒れたから心配して、ずっと見てたんだ。神林も一緒に倒れたしさ。俺は大丈夫だったから、毒性の気体が充満してるとかじゃないだろうけど、放ってはおけなくて……。でも、麻実子ちゃんたちを残したまま、ここを離れるわけにもいかないと思ったから、とにかく気がつくまで待ってたんだよ」
麻実子ちゃんが目を覚ますまで、声には出さずに頭の中で何度も復唱して練習していた言葉を紡ぎ出す。
内心では、やっぱり怪しまれるかな、とビクビクしていたのだけど。
そんな気持ちが顔に出ないように注意しながら、俺は麻実子ちゃんの思考を誘導する作戦を実行した。
麻実子ちゃんを騙すことになるという罪悪感で少し心が痛んだけど、本当のことを言うわけにもいかないだろう。
余計な心配をかけたくはないし。
まだ寝ぼけていたからというのもあるだろうけど、どうやら麻実子ちゃんは俺の言葉にまったく疑いを持たなかったようだ。
「あ……そうなんだ。うん、そうね、なんか思い出してきた……。随分と変な夢を見ていた気もするけど……」
若干納得のいかなそうな表情ではあったけど、さっきのあの尋常ならざる状況を考えれば、夢だったという結論に達するほうが、より自然な感覚と言えるだろう。
麻実子ちゃんは、おとなしくて真面目な、至って普通の女の子なのだから。
……神林は、全然普通ではないかもしれないけど。
「梨乃……」
ようやく、隣で横たわっている友人にも気が回るほどには頭がはっきりしてきたようだ。
麻実子ちゃんは神林の肩を揺する。
「梨乃~。大丈夫~?」
そう言いながらも、大丈夫だろうな、という顔をしている麻実子ちゃん。
それを指摘してみたら、「だって、梨乃だし」なんて答えが返ってきた。
一緒にいる機会の多い友人のことだから、よくわかっている。そんな表情だった。
もっとも、神林は今、いびきをかいて寝ているのだから、大丈夫だと思うのも当たり前の判断かもしれないけど。
「むにゃむにゃ……、おっはよぉ~ん」
麻実子ちゃんの声に答えるかのように、神林はまだ目が開いてるのかいないのかわからない顔でそう言いながら体を起こした。
「麻実子ぉ~、ご飯まだぁ~?」
思ったとおり、まだ寝ぼけているようだ。
麻実子ちゃんは「ふふっ」と微かな笑い声をこぼし、そんな神林を優しげな瞳で見つめている。
ほんとに、すごく仲がいいんだな。そう再認識する。
このふたりが同じ小学校出身だというのは以前から聞いていた。確か、六年間ずっと同じクラスだったとか。
そして中学も三年間一緒。それどころか、幼稚園も年少の頃から一緒だったみたいだし、合計すれば今年で十二年目の同じクラスということになる。
運命的なほど強い絆を感じるんだ、なんて麻実子ちゃんは話していたけど、確かにそこまで一緒だとそう思うのも頷ける。
「お~、名取まで! あれ? あたし、こんなところでなにをしてたんだっけ?」
神林はぼやけた頭を振りしぼって考え込んでいる。
また同じように説明して思考操作を、と思う間もなく、麻実子ちゃんが説明を加えてくれた。
神林はその説明を聞いても、あまり納得していないような雰囲気だったけど。
「う~ん、そうだっけ? なんか腑に落ちないんだけど。どうも引っかかってるんだよね」
ギクリ。余計なことは考えないでほしいものだ。
「そういえば、すごく甘い匂いがしてるね。ここって開き教室だよね? それなのに、どうしてこんな匂いがするんだろ?」
麻実子ちゃんまで周囲を気にし始め、不思議そうな表情を浮かべる。
マズいな。壁にくっついていた生地なんかは、プリンがぱぱっと飛んで掃除してくれたけど、匂いまでは消せていない。
よく見れば、一部のこびりついたままになっているクレープ生地にも気づいてしまうだろう。
う~む、どうしたものか……。
頭を悩ませていたら、勝手に状況は解決へと向かった。
神林によって。
「あ~~、そっか! あたしだ! ほらっ!」
神林はポケットから、ぐちゃっとなったなにかを取り出す。
それは、どこかの店で買ってきたと思われる、ラッピングされたままのクレープだった。
生地の中身は生クリームとバナナだったけど、そのクレープには、たっぷりとストロベリーソースがかかっていた。
「これさあ、あまりにも美味しそうだったから買ってきたんだよぉ~! んで、いけない、散歩しないと! と思ってポケットに突っ込んで、そのまますっかり忘れてたんだ!」
え~っと……。
普通、クレープとかそういう柔らかい感じの食べ物って、ポケットに仕舞い込むかな……?
呆然としている俺の横で、麻実子ちゃんも同様に目を丸くしていた。
十二年一緒にいても、神林の行動には驚くらしい。……そりゃそうか。
「……あはははは! やっぱり梨乃ってすごい!」
麻実子ちゃんは楽しそうに笑い始める。
でも、そんな神林と十二年も友達を続けているキミだって、かなりすごいと思うよ。
なんて言葉は、もちろん口には出さなかった。
☆☆☆☆☆
それから俺たちは、職員室に行って甘野先生に美化委員日誌を渡すついでに、空き教室のドアが開いていることを告げた。
その後、下校するために校門の前までやってきている。
普段はこの時間、見回りを終えた麻実子ちゃんとふたりきりなのだけど、今日は神林も一緒だった。
……ちょっとだけ、邪魔だな、なんて思いまで芽生えてしまう。
いけないいけない。麻実子ちゃんの友人を、邪魔だなんて。
「ふう、今日の見回りは疲れたね」
俺は内心の焦りを悟られないよう、努めて明るい声で話し出す。
その声に振り向いたふたりも、疲れた感じではあったけど笑顔を浮かべていた。
「そうだね、今日は梨乃までいたし。でも、なんだろう、ちょっとすっきりした感じもするの」
麻実子ちゃんは、不思議、とつぶやく。
もしかしたら、学校に悪霊が住み着いている空気をずっと感じ取っていたのかもしれない。
霊感が強いとか、そういう感じなのかも。
「ふたりとも倒れてたけど、もうなんともないの? 大丈夫?」
気遣いをかける俺の声に、神林はビシッと親指を立てて答える。
「うん、大丈夫! 帰り道は同じだし、麻実子はあたしが守るから安心して! ……あっ、もしかして名取、俺が送るつもりだったのにとか思ってる? あはは! 邪魔してごめんねぇ、でもまぁ、今日のところはこのあたしに任せなさい!」
神林はなにやら、ひとりで盛り上がっている。
そりゃあ、送っていきたいのは山々だったけど。ここは神林の言葉に従っておこう。
「それじゃあ、任せたよ、神林。……麻実子ちゃん、また明日ね」
「うん、バイバイ。また明日」
手を振って歩き出すふたりの姿を見送る俺の目には、夕陽に照らし出された彼女たちの背中が、赤く綺麗に輝いて映っていた。
☆☆☆☆☆
「いろいろと不手際もあったけど、初仕事は無事終了だね」
横から発せられた声は言うまでもなくプリンだった。
「無事だったか? クレープ生地まみれにされて涙目になってたのは、どこのどいつだ?」
ちょっと意地悪をしてみる。日頃の恨みってのもあるし。
「ぐぅ! なんだよ優歩! キミだってオイラがいろいろ手助けしてやんなきゃ、なにもできなかったくせにさ!」
本気で反論してくるプリン。
相変わらずうるさい妖精ではあるけど、これはこれで可愛いかもしれない。
「ははは! うん、ありがとな! 俺たちって、結構いいコンビなんじゃないか?」
笑顔を浮かべてそう言ってやると、プリンは真っ赤になりながら慌てた声を上げる。
「ほ……ほむ! そりゃそうでしょ! 守護妖精をやってるオイラはキミとずっと一緒だったんだから、当然だよ!」
「ま、どうせこれからも、まだ悪霊退治しなきゃならないんだろ?」
「うん。だからキミはしっかりオイラと協力していかなきゃならないんだよ。わかったかい?」
「わかったよ。これからも、よろしくな!」
「う……うん、こっちこそ、よろしくね!」
少々照れながらも、プリンはいつもどおり俺の腕に絡みつきながら笑顔を向けてくる。
こういう状況にも、なんだかもうすっかり慣れてきたな。
ともかく、俺とプリンの悪霊退治生活の日々はこうして始まったのだった。