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とにかく一件落着。
でも……麻実子ちゃんと神林にどうやって説明すればいいものやら……。
俺はそう考えて頭を悩ませていたのだけど。
どさっ。
突然、床に倒れ込むふたつの影。
俺がクレープ生地を引き裂いて助け出すと、プリンはすぐさま麻実子ちゃんと神林のふたりに近づいていった。
そして、呆然としていたふたりにプリンがそっと触れると、彼女たちはそのまま目を閉じてその場に倒れたのだ。
「お……おい、プリン!」
なにしてるんだ、お前は!
そう叫ぼうとした俺をプリンは素早く制する。
「眠らせただけだよ、心配しないで」
ふたりが安らかな寝息を立てているのを確認すると、プリンは俺のほうに視線を向けた。
「さすがに、マズいからね。とりあえず、夢だと思わせるしかないでしょ?」
プリンは静かに立ち上がると、クレープ生地やストロベリーソースの香ばしい匂いを漂わせたまま、教室の中を見回した。
「どうやら完全にもとに戻ったようだね。あいつの気配もなくなったよ」
静寂を取り戻した教室に、プリンの凛とした声だけが響いていた。
「あいつはどうなったんだ?」
あの悪霊は、俺が羽根を切ったことで死んでしまったのだろうか?
いくら悪霊とはいえ、殺してしまったと思うと、あまりいい気分ではなかった。
「羽根を失くした悪霊は、この世界に存在するための安定感をも失って消え去るんだよ。でも消滅するわけじゃない。この世界からもとの世界に強制送還されるって感じかな。送還された悪霊は、女王様の裁定を受ける。その後どうなるかは、オイラにはわからないけどね」
制服にこびりついたクレープ生地をつまんで、ぱくっと口の中に放り込みながら、プリンは続けた。
「あいつは、食いしん坊な生徒に取り憑いた悪霊だったみたいだね。ここで食べるお弁当が好きだったとか、そういった理由で教室に縛られてたんじゃないかな。取り憑いていた生徒がいなくなったあともこの教室に残されて、そのまま存在し続けていたんだろうね。キミたちの言葉で言うと、地縛霊ってことになるのかな」
語り続けながらも、ちょっと寂しそうな目をしているように見えたのは、はたして俺の気のせいだっただろうか。
「教室に住み着いた悪霊は、エネルギーを得ようとしただろうけど、それは叶わなかった。ここが空き教室になってしまったからだね。でも、ここに縛られていたあいつは、教室から出ることができなかった。だから記憶の中の食べ物を頼りに生きてきた。そんな感じだったんだと思うよ」
プリンは、まだ手の甲についたままだったストロベリーソースを、ぺろりと舐め取る。
「甘くて美味しい……。あいつにとって一番心に残っていた食べ物が、たまたまクレープだったんだろうね。取り憑いていた生徒が好きだったんじゃないかな。オイラたちのような存在は、自分が依存している人間の笑顔や歓喜の声が大好きだからさ」
そう言いながら、俺のほうを見て微笑む。
「それで、その記憶だけを頼りに、どうにかエネルギーをしぼり出して生き延びていた、ってところかな。記憶だけであれだけのパワーを出せるあいつの精神力って、相当なものだと言えそうだよね。教室から溢れそうなほどのパワーだったし。
それだけ、その生徒のことが気に入っていたんだと思う。そう考えると、あいつはオイラと同じで守護妖精だったのかもしれない。でも、なんらかの事情で守護していた生徒と離れなければならなくなった。例えば、その生徒が事故で死んでしまったとか……」
目を伏せるプリンの長いまつげは、微かに震えていた。
「実際どうなのかはわからないけどね。もう消えてしまったから、あいつ自身に訊くこともできないしさ」
プリンはそこで、なにか思いついたようにハッとした表情を浮かべ、さらに言葉を続けた。
「あっ、このあいだ、植木鉢が落ちてきたことがあったよね? あのときの植木鉢があったのって、この教室のベランダなんじゃないかな? あいつの強大なパワーに当てられて、固定してあった鉢が落ちてしまっただけなのかもしれないよ」
そういえば、確かにここは四階の中庭に面した教室。
ベランダのちょうど真下は、植木鉢が落ちてきた場所ということになりそうだ。
プリンは、ぱーっと明るい表情に切り替え、俺や倒れている麻実子ちゃんと神林に次々と視線を移す。
「優歩、さっきはありがとね。オイラとしても初めての悪霊退治だったから、油断しちゃってた。キミがいなかったら、オイラはあのままあいつに食べられていたかもね。もしそうなっていたら、あいつはこの場所からも飛び出して、自由に恐怖のエネルギーを食べ続ける力を得てしまったかもしれない」
「俺は、べつに……」
照れて赤くなっているのが自分でもわかった。
最初は恐怖感と戸惑いでなにもできなかったけど、あの短刀を持っていたからなのだろうか、自分でも不思議なほど自然に体が動いていた気がする。
とはいえ、やっぱりあんなことはもうしたくない、っていうのが本音ではあったけど。
「麻実子にカッコいいところを見せたかっただけだ、とか?」
からかい気味の意地悪な笑みを浮かべながら、そんなことを言ってくるプリンの声はもう、いつもとまったく同じ調子だった。
「う……ん……」
麻実子ちゃんが目を覚ましそうだ。
神林はまだ、いびきをかいて寝ていたけど。
この状況でこんなにも完全に寝入ることができるなんて、ある意味優れた才能の持ち主と言えるのかもしれない。
プリンも、こいつすごいなぁ、といった感じの目で見ているようだった。
「それじゃあ、オイラは隠れておくね。上手くごまかすんだよ!」
そう言い残して、プリンはパタパタと廊下の先まで走り去っていった。
もちろん曲がったところで、いつものこそこそのぞき魔モードに入るのだろうけど。
プリンが去ったあとには、ただ甘ったるい香りだけが残っていた。
それにしても、クレープ生地とストロベリーソースなんて。
いったいどうやってごまかせばいいのだろうか……。