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「さて……」
いつの間にか座布団を敷いて勝手に座っていた少女が口を開いた。
テーブルを挟んで反対側には、俺もしっかりと腰を落ち着けている。
「一応聞いておくけど、このまま話し続けていいのかな? 母親に寝ると宣言してたよね?」
声のトーンは落としたまま、質問を投げかけてくる少女。
俺はその少女の様子をうかがいつつ、淡々と答える。
「ん、大丈夫。区切りのいいところまで勉強を進めてたとか言えば、どうとでもなるだろうしさ」
「ほむ、そうかい。ならいいけど」
一旦大きな目を閉じ、ひと呼吸置いてから、少女は語り出した。
「とりあえず、一目瞭然かもしれないけど、オイラはキミたちの言うところの妖精ってやつなんだ」
他には考えられない容姿をしていたわけだけど、とりあえず相づちを打ち、俺は聞き続ける体勢を保つ。
「妖精というと、トンボのような羽根だったり、もっと小さいサイズを想像したりするかもしれないけど、見てのとおり、キミらと変わらないくらいの身長で、蝶のような羽根を持っている。これがスタンダードなオイラたちの姿なんだよ」
少女は羽根を軽く羽ばたかせる。
その瞬間、鱗粉がまき散らされた。
「あっと、悪いね。でも妖精の羽根の粉は、少しすれば雪のように消えていくから、部屋が汚れることもない。安心していいよ」
謝罪の言葉とともに、すっと羽根がたたみ込まれる。
羽根からこぼれ落ちた鱗粉は、青白い綺麗な光を放ちながら絨毯の上に落ち、まるで吸い込まれていくかのようにその光を薄め、そしてすぐに消えていった。
「実際にはイメージした姿を具現化しているだけだから、どんな姿にでもなれるはずなんだけどね。オイラたちの中でも固定観念化しているみたいで、この姿のほうが落ち着くんだ。だから人前に出る場合は、こういう姿になる場合が多いかな」
少女はそう言いながらお茶をすする。
小型のポットと急須を持ってきて、お茶の準備をしておくのが勉強時の習慣となっていたため、俺の手もとにはその用意があった。
とはいえ、勝手にお茶を淹れ、しかも自分だけ飲んでいるというのは、いったい神経をしているのか。
妖精に人間の常識なんて通用しないとは思うけど。
さっきからかなり眠かったし、これはやっぱり夢なのか……?
ぼやけた頭で少女の動向を見守っていた俺の視界に、テーブルに乗ったプリンのカップが映り込む。
さっき持ってきたやつだ。
そうだな、とりあえず糖分を補給して脳を活性化させよう。
目の前の少女だって、勝手にお茶を飲んでいる状況なわけだし。
「ちょっと失礼して、夜食を食べるね」
「ほむ? ああ、ご飯ってことだね。了解っ」
返事をしつつも、お茶をおかわりしている少女。
ほんとに遠慮なんて微塵もないみたいだ。
ともかく俺は、若干ボーっとした頭のまま、プリンを手に取って食べ始める。
うん、このちょっと甘すぎるくらいの風味。
頭の中の実に九十五パーセント程度まで充満していた睡魔が、一気に追い出されていくようだ。
「キミさ、ちゃんと現実を受け入れてる?」
ふと、少女がそんなことを尋ねてくる。
ちゃんと受け入れてるかって……そんなの無理ってもので。
眠気のせいもあってか、俺はイラついた口調で言い返してしまう。
「うるさいな。だいたい、キミなんて言うな。俺には優歩って名前があるんだ」
少女は一瞬目を丸くしていたけど、すぐに納得したような顔を見せた。
「ほむほむ。優歩だね、了解っ。これからは、そう呼ぶね。ところでさ、オイラには名前がないんだよ。下っ端の妖精だと名前を呼ぶ必要なんてないからね。優歩、こうなってしまったのもなにかの縁だし、オイラにいい名前をつけてくれないかな?」
「プリン」
すかさず答える俺。
うん、スイーツの魔力、糖分の影響で少しは脳の回転も戻ってきたかな。
怒って反論してくるのを想像していたのだけど、それを聞いた少女は、きょとんとした表情を向けていた。
「ほむ。今優歩が食べてる食べ物の名前と一緒だね。安直すぎる気はするけど、了解っ。オイラの名前は、プリン。うん、結構いい響きだね、気に入ったよ!」
にこ~っ、と満面の笑みを伴って、そんな答えが飛んできた。
むむむ……。意地悪のつもりだったのに、気に入られてしまった……。
ま、本人がいいのなら、べつに構わないか。
俺も気兼ねなくプリンと呼んであげることにしよう。
それはそれとして、そろそろしっかりと現実に目を向けないとな。
まず、この子はいったい何者なのだろう?
……自問したところで答えは出ないだろうし、本人に聞くのが一番てっとり早そうだ。
「それで? 妖精さんであるキミが、どうしてここに?」
まだいまいちすべてを信じ込めてはいなかったものの、とりあえずこの子が妖精であると想定して訊いてみる。
そのほうが話もスムーズに進むだろう。
プリンは、俺が話をちゃんと聞くつもりなのがわかったからか満足そうな表情に変えて、こう訊き返してきた。
「優歩はさ、守護霊っていると思うかな?」
突然、守護霊などという単語が出てきたことで、一瞬戸惑ったけど。
守護霊というとあれだよね、いつも背後にいて、その人を守ってくれるっていう。
お婆ちゃんは、ご先祖様の霊が守ってくれているんだよ、と言っていただろうか。
「そう、優歩の守護霊なら、優歩を守ったりする役割を持った霊のことだね。守護霊は、目には見えないけど実際にいるんだよ。でも、それはご先祖様の霊なんかじゃない」
「ふむ」
じっと少女の顔をのぞき込む。
すでにプリン(スイーツのほう)は食べ終えて、容器をゴミ箱にポイしたあとだ。
プリン(目の前の少女)は、一旦、目を閉じて間を置いてから、こう続けた。
「オイラは、優歩の守護霊なんだ」
微妙な沈黙が訪れた。
「……あ~、やっぱ信じられないかな?」
プリンが俺の顔をじっと見つめ返しながら問う。
お互い見つめ合っているからか、徐々に顔が近づいてしまっていたことに気づいて、俺は身を少し後ろに引いた。
それを答えだと見て取ったのか、プリンの表情が陰る。
「そうだよね。妖精ってこと自体が通常の人間なら信じがたい上に、守護霊だなんて。信じられないのも無理ないよね……」
さらに表情を暗くしながら、ぼそぼそとつぶやくプリン。
憂いを帯びた表情が、妙に可愛いかも……。
そんな感想を持ってしまった自分に焦りつつ、なるべくそんな焦りを悟られないように弁解する。
……弁解、になるのかな?
「いやいや、信じないわけじゃないよ。そっか、守護霊か。今までも、俺を守ってくれたりしてたのか?」
ともかく、さっき妖精だと聞いたときと同様に、プリンが守護霊だという前提で質問してみる。
すかさずプリンは、ぱっと明るい笑顔を取り戻した。
なんとまあ、わかりやすいことか。
「うん、そうだよ! 感謝してよね!」
プリンは、どうだ、と言わんばかりに胸を張る。
「でも、どうして妖精が守護霊をやってるんだ?」
素直な疑問をぶつけてみた。
「ほむ。えっとね、べつに妖精だから守護霊をやってるってわけじゃなくて、キミたちのイメージでは妖精が一番近いようだから、そう言っただけだよ。例えば守護霊もそうだけど、他にも精霊とか、あとは悪霊だとか幽霊なんかも、そうかもしれない。つまりね、キミらの感覚で見えない得体の知れないもの、それらはすべてオイラたちのような存在なんだ」
ずずず。音を立てながらお茶をすするプリン。
どうやら妖精でもノドは渇くようだ。
ノドを潤したプリンは、さらに解説を続けた。
「オイラたちは基本的に人間や動物に干渉したりはしない。そこら辺で好き勝手に生活しているだけって感じかな。人間の立場から見て好ましい結果を生み出す存在をキミたちは妖精や精霊と呼び、害を成すような存在を悪霊や幽霊と勝手に呼んでいるというだけなんだ。本質的には同じような存在と思っていいよ」
「妖精も悪霊も同じ……なの?」
「うん、そういうことになるね。例えばさ、妖精だと思っている存在がいたとして、それはキミたちにとっては信じがたい存在でしょ? でも現にそこにいるのがわかったとする。そして、実際になにか人間を助けるような行動を取っていた。その場合、良い存在として認識されるよね?
だけどそう認識されていた妖精が、突然人間に悪影響を及ぼす行動を取ったらどうかな? もちろん擁護する人間だっているだろうけど、おそらくは恐怖の対象として距離を置くか、もしくは悪い存在として迫害を受けるんじゃないかな? 場合によっては、悪者として退治されてしまうかもしれないよね」
そう言われて、なるほど、と思った。
人間は確かに自分勝手な存在という部分も多い。弱肉強食と言ってしまえばそれまでかもしれないけど。
「わかったかな?」
「ああ、プリンが妖精で守護霊だってことは、どうにか理解したよ」
半信半疑ではあるけど。俺は心の中でつけ加えた。
当然ながら、口には出さない。わざわざプリンの機嫌をそこねることもないだろう。
「だけどさ、さっき困ったって言ってたよね? なにが困るんだ? ……姿を見られたからには口封じのために死んでもらおう、なんてことは、さすがに言わないよな?」
「当たり前だよ。そんなことは言わない。オイラは優歩の守護妖精なんだから。でもさ、ちょっと困ったことが起こるんだよね」
プリンは深刻な顔でつぶやく。
しっかりと、お茶のおかわりを湯飲みに注ぎながらだったけど。
「普段妖精は、人間にはなるべく見られないようにしているんだ。実際には、自分の意思で姿を見せることも可能だし、声を届けたりもできる。でもね、自分の意思に反して姿を見られてしまった妖精は、見た人間はもとより、周りの人間にも見えるようになってしまうんだよ。そしてそのまま、姿を消すこともできなくなる」
お茶を手に取り、ひと呼吸置く。
「それだけなら、どこかに隠れていればいいだけなんだけどね。ただ守護妖精の場合はちょいと厄介で、守護する相手……オイラだったら優歩の近くから離れることもできなくなっちゃうんだ。少しくらいの距離なら平気だし、短い時間なら大丈夫なのかもしれないけど、遠く離れようとすると引っ張られて戻されてしまう感じかな。絶対に切れない強力なゴムひもでつながれているのを想像するといいかもしれないね」
呆然としながら聞いていたからか、俺はよく理解できないままだった。
もっとも、たとえ真剣に聞いたとしても、正確に理解できたかどうかは怪しいところだと思う。
「まぁ、つまり。優歩とオイラは、離れられない仲、ってことだよ!」
いや、それは誤解を招く表現では……。
そうは思ったものの、そろそろ眠気も限界にきていた俺には、ツッコミを入れる気力なんて残ってはいなかった。
「ん、そろそろ寝るかな? こんな時間まで起きてると、明日もつらいだろうしね。これから忙しくなるし、今日はこれで寝ておくといいよ」
俺がうとうとしているのを、プリンも感じ取ったのだろう。
限界突破目前といった状態だった俺は、それじゃあ、そうさせてもらうよ、と素直にベッドに入った。
プリンの言った言葉の意味を、よく考えもしないままに――。
バサッ。
布団を頭からすっぽりとかぶると、睡魔はすぐに俺を深い暗闇の世界へと連れていった。