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妖精日和、カラメル気分。  作者: 沙φ亜竜
第1章 妖精さん、いらっしゃい
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-1-

 コンコン。

 部屋のドアからノックの音が響いた。

 ガチャッ。


「お兄ちゃん、頑張ってるね」


 俺の部屋に入ってきたのは、今年小学校五年生になった妹、優佳(ゆうか)だった。

 手には、二個のおにぎりとコーヒーを乗せたお盆を持っている。

 母さんが持たせたのだろう。


「ん、ありがとな」


 お盆をテーブルに置いてくれた妹の頭を撫でてやる。

 髪がくしゃくしゃになるのも気にせず、いつもの満面の笑みを浮かべる優佳。

 小さい頃から、妹はこうやってやるとすごく喜ぶのだ。

 こうしていると、いつまでたっても妹は小さいままだと錯覚してしまう。


「あっ。邪魔しちゃ悪いよね。んじゃあ、お兄ちゃん、頑張ってね!」


 ひとしきり甘えた笑顔を振りまいたあと、そう言って妹は部屋から出ていった。

 俺は勉強机から離れ小さなテーブルに座り直すと、まだ温かいおにぎりに手を伸ばした。


 うーん、おにぎりにコーヒーは、ちょっと合わないかな。

 そう思いながら、夜食をノドに流し込む。

 時計に目を向けると、針は十一時三十分を示していた。


「よし、十二時まで、もうひと頑張りするか」


 気合いを入れ直し、眠気と戦う最後の三十分に備えるべく、ふたつ目のおにぎりをひと粒残らずたいらげたあと、再び机に舞い戻る。


 俺は名取優歩(なとりゆうほ)

 青木ヶ原中学校の三年生、受験戦争真っただ中だ。


 成績は悪くないし、それほど必死に勉強しなくても、学校のテストであれば平均点より少し上くらいの点数は取れるだろう。

 とはいえ、そういったテストは短期的な記憶力があれば一夜漬けでもどうにかなってしまうもの。

 受験ともなると、そうはいかない。だから俺は、まだ五月のこの時期から、しっかりと総合力をつけるべく頑張っているのだ。


 高校受験は、よく話に聞く地獄の大学受験と比べると倍率もずっと低いし、自分の成績から考えて無難な学校を選んでおけば、どこかの学校には入れそうなものだけど。

 それでも、なるべく自分で行きたいと思える学校に入学できたほうがいいのは確かだ。


 将来なにがしたいのか、これといって考えてもいない俺は、とりあえず普通科志望。

 高校のあいだに将来の目標が決まればいいか、としか思っていない現状を考えると、住めば都とも言うし、どこの高校に行ってもそれほど変わりはないのかもしれない。


 カリカリカリ。シャープペンを走らせ、数学の問題を解いていく。

 俺の場合、勉強するときに静かすぎると逆にダメだから、テレビをつけたり音楽をBGMにしたりの、いわゆる「ながら勉強」をしている。

 それらの音が聞こえない状態になることで、自分が集中して勉強していたかがわかるのだ。


 でもどういうわけか、今日はどうしても集中できなかった。

 あともう少しだけ、というつもりなのに。


 眠いからかな……。

 ぐっと伸びをして、気合いを入れ直そうとするけど、いまいち効果はない。


 ふぅ……。一旦休憩しよう。

 シャープペンを置いて立ち上がった俺は、部屋を出て階段を下り台所を目指す。


 台所には誰もいなかった。

 お風呂場からはシャワーの音が聞こえてくる。母さんが入っているのだろう。

 優佳はさすがにもう寝たかな。

 父さんは毎日帰りが遅く、今日もまだ帰ってきていないようだ。


 俺は冷蔵庫を開けて中身を物色する。

 おっ、ちょうどいいのがあったぞ。

 俺はそれを持って部屋に戻った。


 取ってきたのはプリンだった。

 もうひと頑張りするための糖分補給。

 カロリーとか、ちょっと不安ではあるけど、両親も妹も細い家系だから大丈夫だろう。


 食べる前に部屋の換気もしておくか。

 眠いときはやっぱり、冷たい夜風に当たるのが一番だし。


 俺は閉めきった窓に近づき、一気に開け放つ。

 春も終わりに近づいた頃ではあっても、夜ともなればまだ涼しいと感じる風が、心地よく肌をくすぐり吹き抜けていった。

 これで眠気も引いていくかな。


 と――。


 ふわっ。


 なにかが目の前を漂うのが見えた。

 ほのかに果物のような甘酸っぱい香りを感じさせるそれは、風に乗ってさらさらと揺らめいている。

 その揺らめきは、鮮やかな藍色の長い髪の毛で――。


 視線をずらして、全体像を確認してみる。

 俺の目の前には今、ひとりの少女がふよふよと浮いていた。


「な……っ!?」


 声にならない声を上げる俺。

 う~む、幻覚を見るほど疲れていたのだろうか。少々現実から目をそむけたい心境に陥った。


「や……やほぉ……」


 少女は手をひらひらさせながら、引きつった表情でそんな言葉を発する。

 その声で、俺はこれが現実だと悟る――というか、悟ってしまう。


 目の前の少女は、窓の外に浮いていた。

 俺の部屋は二階だし、窓のすぐ真下に足場があって乗ることができるという構造にもなっていない。

 そこにあるのは、単なる空間のみ。


 どうにか心を落ち着かせ、俺は少女の姿をよく眺めてみた。


 背中から生えている大きな二枚の蝶のような羽根。

 綺麗な模様のついた青白い輝きを放っているそれを、少女は優雅に羽ばたかせている。

 髪と同じ鮮やかな藍色をした大きなふたつの瞳が、じっと俺を見据えている。

 顔の両側、すなわち側頭部辺りを覆っている藍色のつやめいた髪からは、色白の長く尖った耳が飛び出している。


「え~っと……」


 状況を把握できずに立ち尽くす俺を、その少女も呆然とした表情で見つめていた。


「……ま、まぁ、とりあえず入るよ」


 窓枠に足をかけることもなく、すーっと部屋に入ってきた。

 律儀に窓を閉めてから振り向いたその子は、ぽりぽりと指で頭を掻くような仕草をしながら、上目遣いで俺に視線を向ける。


「う~ん、困ったな……」


 困ってるのは、こっちのほうだよ。

 思わず文句が飛び出しそうになる。


 それにしても、なんというか……羽根も生えているし、どこからどう見ても妖精としか思えないような容姿をした少女だ。

 少々目がつり上がり気味だけど、整った顔立ちをしていて、なかなか可愛らしい。

 ……って俺はなにを考えてるんだ。


「完全に、見えちゃってるよねぇ……」


 少女はぐっと顔を近づけて言う。

 藍色の長い髪がなびいて俺の顔をくすぐるほどの至近距離に、一瞬ドキっとしてしまう。

 ……だから、そんな場合じゃないんだって。


「ちょっと、なんとか言ってよ!」


 突然、俺の胸倉をつかんでくる少女。その勢いで顔がさらに近づく。

 少女は深い藍色の瞳で俺をじっとのぞき込んでいた。

 その色のあまりの深さに、ふっと吸い込まれてしまいそうな感覚に陥るほどだった。


 ともあれ、そんな感覚に溺れている間もなく、いきなり胸倉をつかまれた俺は思いきり咳き込んでしまう。

 それが引き金となったかのように、俺は次々と頭に浮かんでいた疑問をぶちまけた。


「げほっ! な……なんだよ、キミはいったい何者だ!? 羽根まで生えてるから普通の人間じゃないよね!? コスプレとかってわけでもないだろうし……!」


 いきなりの反撃に少々ひるんだのか、少女は後ろにのけぞる。

 それでも、俺の胸倉はつかんだままだった。

 この華奢な少女のどこにそんな力があるのか、つかみ上げられた俺の体は、ちょっとだけ浮かされていた。


「おっ、反撃してきたね! う~ん、とりあえず見えてるってのは完璧にわかったよ」


 そう言うと、ぱっと俺から手を離す。

 俺はようやく体の自由を取り戻した。


「ふぅ……。お前なぁ! いきなり入ってきてこんなことするなんて、いったい、なんなんだ!? ちゃんとわかるように説明してくれよ!」


 俺は力が抜け、その場に座り込んでしまっている状態。

 怒鳴る声の強さとは裏腹に、今の姿は情けないことこの上ない。

 自分でもそれはわかっていたのだけど。

 少女は当然のように、そこにつけ込んで攻撃を開始してくる。


「そんな体勢で凄んだって、カッコ悪いよ! わっ、鋭い目つき! もともと悪い人相がさらに凶悪に見えるね!」

「あ……あのなぁ!」


 思わず声が大きくなってしまっていた。


「ちょっと、優ちゃん。まだ起きてるの~? 早く寝なさいよ~?」


 一階から母さんの声が響いてきた。

 さすがに大声になりすぎたらしい。


 ちなみに、うちの母さんは俺のことも妹のことも、「優ちゃん」と呼ぶ。

 できれば呼び分けてほしいと思っているのだけど、母さんは聞く耳を持たない。

 もっとも、もう諦めていることだけど。

 この時間だと妹はもう寝ているはずだし、俺に言ってるのは明らかだろう。


「あっ、うん、もう寝るよ~!」


 俺は大きな声で母さんに答える。

 そんな様子を、少女はニヤニヤしながら見ていた。


「優ちゃん、だって! まだまだ甘えん坊って感じかな!?」


 と、若干声のトーンは落としつつも、少女はおなかを抱えて笑う。

 くぅ……! いったい、なんなんだよ、コイツは……!


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