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和華子の抱負

 その中学校の体育館では、三学期の始業式が間もなく終わろうとしていた。三年二組の生徒たちは、終わりそうでなかなか終わらない生活指導担当の先生の話を聞いているふりだけしながら、その後教室で全員が発表することになっている『今年の抱負』について、それぞれの考えをめぐらせていた。

 このクラスの生徒の中に一人、学校の正門前の道をはさんで真正面に建てられている定員八名ばかりの小さな児童養護施設、『黄色い靴』に入所している生徒がいた。その子、里藤和華子りとうわかこは、今春中学校を卒業することになっている。

 今を去ること九年前、当時和華子の両親は飲食店を営んでいたが、借金に借金を重ねいわゆる『街金まちきん業者』に返済を迫られて追い回されることになり、ついに二人は、小学校入学寸前の彼女を残して夜逃げしたのであった。和華子は当時父親から、『お父さんたちは、しばらくお仕事で出掛けるから、おまえは黄色い壁の家に行って食べさせてもらいなさい』と言われた。しかし、その後両親が彼女の前に再び現れることはなかった。

 

◆◇◆


 三学期の始業式が終わって教室に戻ったクラスの生徒たちは、冬休み前に先生から宿題として出されていた原稿用紙一枚分の『今年の抱負』を一人づつ前に出て読み上げることになった。

 ところが和華子は肝心の宿題の内容を知らなかった。冬休み前のホームルームで配られた冬休みの宿題を箇条書きにしたプリントで、和華子に学級委員の生徒から配られたものは、その一番最後に一行だけ書いてある、『“今年の抱負”という題で原稿用紙一枚分にまとめてくること。年明けの始業式の後、教室で発表してもらいます』のところが切り取られていたのだ。

 和華子に対するこの程度の『いじめ』は日常茶飯事であった。和華子が中学校入学の時、担任の先生は皆の前で、『里藤さんはご両親がいないので養護施設から通っていて、皆と違ういろいろと大変なことも多いから、困っているときは助けてあげましょう』と言った。しかし、その先生の言葉は、その時点で三年間の彼女に対する『いじめ』をかえって助長し決定付けるものとなった。

……両親がいないなら何をやっても怒られることはない……

 和華子に対する男子生徒のいじめはさほどでもなかったが、昨年担任の先生の推薦で決まった学級委員の女子生徒、野原祥子のはらさちこは毎日執拗に仲間と一緒になって彼女へのいじめを繰り返していた。


「はい。それでは今日は出席番号の後ろからお願いします。まず、持ってきた『今年の抱負』を読んでもらって、そのあと必ずみんなの熱い思いや決意をアドリブで話してください」

 祥子は和華子のほうをちらっと見た。和華子は訳がわからずきょとんとしている。出席番号三五番の渡辺君が前に出て発表した。渡辺君は男子バレー部の副キャプテンで、今年は県大会のベスト十六まで勝ち進むことを目標にして発表したが、他のバレー部員からひんしゅくを買い、最後のほうは小さな声になっていた。次の女子の和田さんは私立音大付属高校への推薦入学がすでに決まっていたので、ピアノコンクールの高校一年の部で入賞することを宣言した。優等生すぎる『抱負』にクラスの皆は何となくしらけムードになっていた時だ。和華子の番になった。


 和華子は顔を真っ赤にしながら、自分の席で立ちあがり小声で、「宿題持ってきていません」と言った。先生は一瞬顔を曇らせたが、手招きをしながら、「そうですか。では、全部アドリブですね。こっちへ来て、皆の前で発表しなさい」と言った。

 和華子は先生の言われたとおり前に出て、小さな声でうつむき加減に話し始めた。

「あの……。今年は、私……」

 教室の中が少し静かになった。そのあと和華子は観念したように顔を前へ向けて言った。

「私、鳥のように大空を飛んでみたいです。空を自由に飛びまわるんです。それから風になって飛んでいって……。そう、富士山の頂上を見下ろしたいです」


 一瞬教室内がシーンとなった。先生が口火を切った。

「あのねえ。里藤さん。それ、全然抱負ではないです。今年目標にすることとか、そういうことですから。実現しない夢を発表するものではありませんよ」

 祥子が突然キャーと言いながら笑い出した。それにつられるように教室の中は爆笑の渦となった。和華子は顔を真っ赤にして両手でその顔を覆った。それと同時に先生はポンと彼女の背中を叩き、席に戻るよう促した。

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