【陸】カボチャという男
空へ弾き出されたカインの身体、その姿を追ってカボチャは飛び出した。
いくらカインの身体能力が人並外れているとは言え、直前に殴られたのが頭だったのか、遠目にも気絶しているのが分かる。
この高さからそのまま地面へ叩き付けられればいくらなんでも無事ではすまない。
「カインー!」
景色の全てが目に映らぬほどの速さで、カボチャはカインに追い付いた。
だがそこへ追い討ちをかけてカインの大剣が二人に迫る。柱へ突き刺さっていた大剣をマハルが二人目がけ放ったのだ。
すぐさま身を翻し、カボチャは大剣を魔力で弾こうとした。だが大剣はマハルの風に守られ微動だにしない。
「っなに!?」
既に地面は目の前、なす術なし、爆音とともに巨大な爆風が上がる。
もうもうと上がる砂埃の中、先に目を覚ましたのはカインの方だった。
「いってぇ……」
何が起きたのかと辺りを見回し、柔らかな感触に何かが自分の下敷きになっている事に気付く。
人間でいけばまだ十代くらいの子供の手足が……はっとしてカインは起き上がった。
「か、カボチャ! カボチャーーー!!」
◇◇◇
――意識が遠のく、その間際、あの屋敷の匂いがした気がした。
『そこの〝お前〟これを旦那様の元へ持って行け。落としたら、分かっているな?』
手紙から香水の匂いが鼻を突く。たぶん〝女〟からの手紙だ。
書斎の扉を開けた瞬間、旦那様はそれをもぎ取るように受け取り、言った。
『いつまで居るつもりだ。さっさと出ていけ』
片手で野良犬を追い払うように。それがこの男のいつもの態度だ。僕はずっと、あいつが嫌いだった。
けれど、もっと厄介なのは奥様だ。
『さ、着替えましょう。今日のあなたにはこの色が似合うわ。ほら、髪ももっと整えて、ふふ綺麗な長い髪ね』
鏡の前で、フリルとレースのドレスを何着も着せ替えられる。どれも奥様の趣味そのもの。
まるで人形。喋ることも許されず、ただ衣装を纏わされるだけの自分が鏡に映る。
部屋の隅では、女中たちがひそひそと囁く。
『……奥様ったら、あの気味の悪い子供のどこがいいのかしら』
『子供? それもどうか怪しいわ。全く歳を取らないそうじゃない』
『男のくせに女物の服を着て喜ぶなんて、あぁ私もあんな素敵なドレス、一度でいいから着てみたいわ』
『やだ、睨まれた。相変わらず目付きの悪い子』
『ふん、何よ。いい気になって』
女中たちの勝手な恨み言なんて、いつものことだ。
ドレスを脱ごうとして気付く。
少しだけ開いた扉の隙間から、ねめつくような視線。旦那様だ。
――その日から、旦那様の態度が変わった。
食事の配膳で通るたび、必ず一度は目が合う。
普段は声もかけてこなかったくせに、妙に優しい口調で呼ぶ。
あの頃は意味が分からず、そのたびにぞわりと背筋が冷えた。
それからしばらくして。旦那様の浮気が奥様にバレ、どうしてか、こちらに白羽の矢が立った。
『あの手紙、あなた知っていたのでしょう! なのに、どうして私に黙っていたの!?』
弁明をする余地もない。言ったところで誰が信じる。
奥様の白い手が頬を強く打った。
『私が知らないとでも思う? あの人のあなたを見る目つき、急に優しくなったのよ。二人で秘密を共有して仲良くなったのかしら? まさか、家の中にまで〝そういう相手〟がいたなんてね。ああ恥ずかしい……屋敷中で笑い者じゃない』
奥様が歪んだ笑みを浮かべる。
その奥にあるのは、愛情ではなく、徹底した支配欲とプライドだ。
『さっさと出て行きなさい。見てるだけで腹が立つ!』
使用人たちが現れ、怒号と共に引きずり出された。違うと叫んだところで状況は変わらない。
納屋に投げ込まれ、大人数の人間に殴られ、蹴られ、粗雑に扱われ、傷だらけで藁の上に転がった。
長い髪を乱暴に引っぱられ、痛みに顔を歪めていると、目に飛び込んで来たのは扉の前にいるあの男。
――あの使用人だ。いつも手紙を渡すよう命じて来た、あの。
此方を見下ろし、口の端を歪めて面白そうに笑う。まるで、この結末を待っていたかのように。
アイツだ。アイツがバラしたのだ。悔しさに喉が詰まり、奥歯を強く噛みしめる。
じわりと、血の味がした。
その夜には旦那様も現れた。
『よくもバラしたな。ごろつきだったお前を引き取って、あんなに目をかけてやったのに!』
嫌悪と憎悪、欲に支配された醜悪な顔。
『なんだその目つきは、このっ化け物が!』
旦那様が片手を振り上げた、その瞬間。
体の奥底から、自分でも知らない〝何か〟が溢れ出し、視界が朱色に染まる。
目覚めると静寂――倒れた旦那、開いた鍵、眠るように死んだ屋敷の者たち。
反射的に逃げ出す。息も絶え絶えに、夜を越え、何日もかけて魔族領へ。
――自分は人間ではない。
魔族であると、本能が告げている。
身一つ、無一文。
魔族領内に入り、生きるためならなんでもやった。
村や町を転々とし、盗んで、暴れて。
『――これはこれは、お楽しみは終わりましたか?』
その日は私兵に捕まり、粗末な小屋に軟禁され、身の危険を感じて暴れた。町の通りには、半殺しにした私兵が血を流してあちこちに転がる。
最後の一人が呻き声を上げたので、とどめとばかりに足で顔を踏みつけた。
――その時だ。そいつが現れたのは。
真っ白な髪に、真っ白な布地。司祭のような出で立ち。穏やかに瞑った瞳と、腹の見えぬ笑みを湛えるその男が。
『……コイツらが、僕を妙な目で見たのが悪いんだ』
そいつは軽く周囲へ視線を落とし、その閉じた瞳でじっとこちらを見つめた。
『なるほど、確かに可愛らしい見目ですね。やっていることはともかく』
『……』
『それにしてもその魔力量、あなたには身に余るようですが……数ヶ月前、人間の領土で一つの街の人々が亡くなったとか』
『だったらなんだ』
『名はなんと?』
『そんなもの、ない……』
『そうですか』
『なんだよ。貴様も僕をバカにするのか? ……だったら』
身構えたその時には、頭から何かを被せられ、視界が真っ暗になった。
『そこの店にあった物ですが……フフフ、悪くないですね』
被り物に穴が開いている箇所を見つけ、そこからやつを睨む。
そいつの右耳にだけつけられた金のイヤーカフ、その耳飾りが陽を受けて一瞬きらりと光った気がした。
『カボチャ……そう、今日から貴方を〝カボチャ〟と呼ぶことにしましょう』
文句を言う前に、男は背を向けて歩き出した。
『――さぁ、行きますよ〝カボチャ〟』
◇◇◇
「……カボチャ、カボチャ!」
カインの下敷きになっていた小さな子供の身体。
肩をむき出しにした橙色の上衣に、黒い下衣の功夫服。
その頭には、あのお馴染みのジャック・オー・ランタンの被り物。けれど、そこにはカインの大剣が突き刺さっていた。
すぐに気付いた。カボチャが自分を庇ったのだと。
「うああ!」
カインがその大剣を引き抜くと、既に割れていたジャック・オー・ランタンの被り物が左右へと散らばる。
剣先にはべっとりとした血が付着していた。
「あぁっ」
自分の剣でカボチャがと、露わになった幼い顔立ちを両手で包んで、怪我はどこかと手探りで確かめる。
カボチャの黒く長い髪がバラバラと散らばった。
「起きて、起きろよ」
カインが取り乱しているからかもしれないが、外見にさほど異常は見つけられない。
パタパタと手の平で血色の良い頬をはたくと、その愛嬌のある太眉をひそめ、うっすらと瞼が上がった。
「……っうるさいですね。くそっ頭がぐらぐらするぞ」
カボチャは直ぐに起き上がって、少しつり上がった大きな瞳でカインを確認すると、何処にも異常がないことに心底ほっとした。
ギリギリ重力で落下の威力を緩和したのが功を奏したらしい。
だがカインはそうはいかない。カボチャの耳から血が滴っているのだ。
視線を下ろすと、普段は毛先を一つに束ね長く伸ばした厚い黒髪は、左耳の辺りだけ斬れて髪型が不自然な形に乱れている。
「こんな、せっかく綺麗な髪なのに、血だらけだよ」
「まったく……こんなのわけないですよ。髪と耳がちょっと斬れただけです」
本当はちょっとでは済まなかった。
カボチャは剣だけは避けきれなかったのだ。
いや違う、確かに顔と身体をズラし避けたはずだった。
だがマハルが剣に纏わせた風圧で顔の左側、ちょうど左の目尻の辺りから足先に向かって真っ二つに斬られた。
まずい――このままではカインまで巻き込まれる。
しかしそれも束の間、カインの身体には既に防御結界が施され、カボチャの身体は一瞬にして元に戻った。
魔王セオドアのように時を戻したのでは決してない。
防御術、治癒術、回復術の三つを同時に展開し、治癒術、回復術に関しては応用もきかせ、なおかつ即効性が高い、こんな芸当をあの一瞬でやってのけるなど、カボチャはこの北の国で一人しか知らない。
(シュケルのやつ……動けないんじゃなかったのか?)
耳の辺りを触ると確かに赤い血が手にべっとりとへばりついた。
(治りきってない……くそっアイツ無茶しやがったな)
カインを改めて見ると上でやり合った痕だろう。
白と青の上衣と紺色の下衣がそこかしこ破れ、カボチャよりやや褐色がかった肌には、打撲の痕が浮かび、口元が少し切れて本人は無意識に手の甲で血を拭っていた。
カインの真っ直ぐな青い瞳がカボチャを心配げに見つめ、目が合うと少し首をかしげて愛嬌よくニッと笑う。
カボチャの腸が煮えくり返った。
完全に侮っていた。
そう、所詮子供と思い侮っていた。
だがマハルの風は容赦なくカボチャを真っ二つにできるのだ。
相手が使うのは決して魔力などではない。けれど己が持つ力の扱い方はカボチャよりも巧みだ。
おまけに何もかもが速い。
「小僧の分際で……」
カボチャは真っ赤な瞳をぎらりと燃やし、立ち上がった。
まだ砂塵の残る視界の中、その小さな身体から空気が一変する。重く、圧し潰すような力が辺りに満ちていく。
カインを殺そうとし、シュケルをここまで追い詰めた怒りが、身体の奥から溢れだす。
まだ視界の先にいるマハルを睨み据えたまま、カボチャは唇の端をほんのわずかに歪めて言い放つ。
「生意気ですね」
その声音は低く、感情を押し殺しているのに、なぜか耳に焼き付く。
地面が呻くように沈んだ。
森が揺れる。
見えぬ力――重力が、この場のすべてを圧し潰そうと蠢く。
「何百年ぶりに……少し、本気で相手にしてやりますよ」
拳を鳴らす代わりに、辺りの地面が陥没する衝撃音がいくつも上がった。




