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改めて考えてみると、前世で俺がやってきたこと全てがこの世界で活きている。算盤、習字、剣道。この世界で必要とされることの全てを網羅している。生きていく必要最低限の「技能」は持ち合わせている。足りないのはこの世界の「常識」と「覚悟」だ。
去年よりも早く、やいちと競うように歩いたら2時間弱で着いた府中。「今日も飴貰えるかな」。これはツッコミ待ちなのか?そして可愛いみねをおぶってるんだから、もっと幸せそうな顔をしろよ、父。母と祖母も神社の市が大きいからか、若干テンション高めだ。
今日は父の実家へは、顔を出すだけ出して泊まりはないようだ。市へ行く前にお参りをし、女性陣は早速買い物に。ネット通販なんてなかった頃、前世の母も嫁さんもあんな感じだったな、とふと思い出す。そしてそれに付き合うとどうなるかも思い出して、父にワガママを言ってみた。
「ここで算額の絵馬を見て待っていても良いですか?」
何かあったら、途中で飽きたら去年の爺様の所へ行けと指示を受け、目論見通り女性の買い物から逃げられた。目的が違うんだよ。買う物があるから買い物行くのではない。買いたいものが見つかるかどうかを知るために買い物に行くんだ。いつの世も一緒だな。
さてさて、絵馬を拝見。去年見た時よりも増えてるようだ。ま、去年はチラ見程度だったが。ただ物理的にどうにもならん問題に直面した。絵馬が高い。正確には、俺が小さい。手頃な棒でもないかな、なんてあっちうろうろ、こっちうろうろ。
「どうした坊主、何を探しておるのじゃ」。振り向くと去年の爺様。向こうも気付いたらしく、「なんじゃ、日野の狐憑きの小僧じゃな。こんなところで何しておる?」知った顔で一安心。でも、人聞きが悪すぎる。
絵馬を見たいけど高くて見れない旨を伝えると、どこからか踏み台を持ってきてくれた。口は悪いが優しいのかも。そのままこっちを見ていてそれも気になるが、まずは目的の絵馬。いくつか見てるとパターンが見えてきた。Aさんが問題を書く→Bさんが答える→Bさんが次の問題を書く→Cさんが答える。もちろん、必ずしもBさんが問題を書くパターンばかりではないが。Aさんが問題書いてそのまま答えを書いてるパターンもある。なんじゃこりゃ?
まだ爺様がこっちを見てるので、質問してみた。「これは誰が何のために?解いた人は次の問題を出さなきゃ行けないのか?なぜ絵馬に問題を書く必要が?」純粋な疑問だった。「お主、この絵馬を見て『問い』だと分かり、『問い』に対して書かれているのが『解』じゃと分かったということかの?」
・・・久しぶりにやらかしちゃったかもしれない。寺子屋では出来すぎないよう、目立ちすぎないように気を付けてるが、気が抜けていた。油断してた。やっべーーー、これ、うまく言い逃れができる気がしない。
「・・昨年こちらに来てから、読みの練習のために父上から塵劫記をもらいまして
…」。言い訳になるか分からん答え。
「まだ四つか五つかそれくらいじゃったのぅ。それで塵劫記なぞ、面白くも無かろう。」いやいや、何言ってんの、この爺さん。エンタメのないこの世の中で、あんなに頭ギュンギュンになるもん他にないじゃん。大体塵劫記見過ぎて、日が出てない時間の塵劫記禁止令までこちとら出されてるんだぞ。
「あんなに面白い書を他に知りませぬ」。思わずムキになってしまった。だが、偽らざる本音だ。
続く沈黙。気まずい。どう打開したら良いんだ、これ。前世の取引先とのトラブルを思い出させるこの沈黙、しんどい。
「ちと着いて参れ」。連れて行かれたのは、前回爺様と初めて会った建物だった。「次にここに参る機会に、これを解いて持って参れ」。和算の問題らしきものが書かれた紙を渡された。拍子抜けだぞ。それを言うためだけにあの間が必要だったのか?理解に苦しむ。
「して、あの絵馬についてじゃったな。そもそもはな、自分が解けない問題はこれでしたが、このように解けました。見守ってくださりありがとうございました。というのが、ことの始まりだったのじゃ。それがいつしか、解ける者求む、のような形に変わってきたのぉ。じゃから、次の問題を提示する義務は特にないのじゃ」。ついでに、なぜ1年前に一度きり会っただけの子供を覚えているかを聞いたら、「弟子の子というだけなら覚えとらん。うちの寺子屋に通うておるわけでもないし。事実お前の兄を見ても気付かんわ。会うてもおらぬしな。じゃがな、『読めれば解ける』などと珍妙なことを言った童なぞ、後にも先にもお主一人じゃ。この一年、何度あの言葉を思い出したことか」。
そんなおおげさなことか?とりあえず知りたかったことは聞けた。あとは適当に切り上げようとしたら、今度は質問攻めだった。塵劫記はどれくらいまで進んでいるのか、普段どのように解いているのか、塵劫記の何がそんなに楽しいのか、寺子屋では何をしているのか、寺子屋の師匠は算法を嗜むのか、塵劫記を進めるために必要なものはあるか、などなど。結局父が探しに来るまで、爺様と話し込んでしまった。初めて算法について話せて、それはそれは有意義な時間だった。
などと、呑気なこと考えてたのが、後々考えれば1番のやらかしだった。
俺を迎えに来た父を捕まえて、爺様と父が話し込んでしまった。俺は優雅に出されたお茶を飲む。茶菓子もうまい。やっぱり神社は金あるのかな、なんてしょうもないことまで考える余裕まであった。そうこうしているうちに、母や祖母まで探しに来た。流石にこれ以上話し込むわけにもいかなくなったのか、話し足りないようだったが家族で合流。
爺様は父と話している時は時折険しく神妙な顔をしていたが、最後はにこやかに、好々爺の如く、再会の約束をして別れた。




