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前世で俺は「インターネットより恐ろしいのは、個人情報保護もへったくれもないオバネットだ。いつでも何処でも何でもかんでも、子供の同級生のことからご近所さんのことまで好き放題に広めたがる。真偽を確かめもせず」。なんてことを、前世の母に言ったことを思い出していた。もう前世のことを思い出す機会なんて、ほとんどなくなっていたのに。
それくらい情報が入り乱れまくってる、女性陣の会話に圧倒されていた。
・父方の祖父と母方の祖父が仕事の関係で仲良かったこと
・母方の祖父が急に亡くなり跡継ぎがいなくて慌ててた所、父方の祖父の取りなしにより父と母の結婚、お家存続
・父方の祖父は、次男だった父の将来を案じていたのと、友人の家を守ることに奔走したこと
・「ヒノ」と「フチュウ」は「ムサシの国」にあって、「フチュウ」は「ムサシの国」の中心にあたること
・やいちより年上のいとこが3人、女2人に男1人いること
・父が手紙は送っていたため、俺たち3人の情報はこちらに届いていたこと。また、落ち着くまでは産後の肥立を第一に考え、わざわざ無理して来るな、との連絡も父にはしていたこと
・そのことを母は知らなかったこと
・昔から父は寡黙で真面目ではあったが、剣術は得意ではなかったこと
みねをあやしながら聞き耳を立てていたら、まあ、今までの人生で一番と言って良いほどの情報を得られた。情報がとっ散らかりすぎてて統合するのは大変だったが。「女三人寄れば」なんて言うが、本当にそうだ。
やはり一番は地理関係だ。もうこれは、場所に関しては江戸時代の呼び名で確定で良いだろう。武蔵の国、府中、日野。俺の考える江戸時代かどうかはまだ不明だが、呼び方、配置等は想像通りと考えて問題ないだろう。となるとあとは、今が江戸時代のどの辺なのか、とかを探りたいのだが、探る方法が分からない。あとは遠くない将来、自分も次男である以上、父のように「どう生きるか」が迫られるかもしれない。職業選択の自由がどこまであるのかは知らないが。
「とうじー」。不意に父に呼ばれた。父の元へ向かうと、1冊の本を手にしていた。「ほれ、これをお前にやろう。まだまだ早いとは思うがな」。初めは何故本を渡されたのかピンとこないまま本を捲ると、図形やら挿絵やらなんやら。なんじゃこりゃって気持ちが顔に出ていたのだろう。「分からぬか、わしが昔使っていたジンコウキじゃ」
ジンコウキ!この前来たおじさんが持っていた本じゃないか!!なんだか無駄にテンションが上がってしまう。
「好きな本を読む。そのために字を覚える。その方が読みを覚えるのも早かろう」。
塵劫記って書くのか、ジンコウキは。もう覚えたぞ。そして、女性陣からの評価も加味して、父のことも確信を持てた。この男は口下手なだけだ。筆は立つが口は立たん。ただそれだけだ。
「ありがたいのですが、なぜここに塵劫記があるのですか?」
「儂が昔、まだこの家におった頃に使っておったのだ。残念ながら儂は、書の才は多少はあるがサンポウの才はなかった故、日野に婿入りする際、置いて行ったのだ。まだ残っておって良かったのぉ」
「先ほどの爺様も父上もサンポウ、サンポウと言っておりますが、サンポウとは何なのですか?どのような字なのです?」
「そうかそうか、確かにお主にはまだ早い故、それも説明しておらなかったな。サンポウはな、お主が今、寺子屋で習っておる算術、その上にある学問だと思えば良い。サンポウはこう書く」。算術=算数。ってことは、サンポウ=算法=数学か。
転生してから、本当に今日が一番収穫が多い日だ。「ありがとうございます」と形ばかりの礼を言い、みねの所に戻る。
疲れていたのか、このわずか数分の間にみねは寝落ちしていた。相変わらず天使の寝顔だ。気持ち良さそうにしているみねと一緒に横になると、俺もいつしかウトウトと誘われた。
と思いきや「とうじー」。今度はやいちだ。短い木刀を振り回してやってきた。「父上から、父上が昔使っていた木刀をもらったぞ。うらやましいかー?」意識の落ちかけを邪魔されて、とことん機嫌が悪い。みねもびっくりして起きかけたじゃないか。可哀想に。案の定母に叱られていた。あやすとまたすぐに落ちてくれたが。
母方の親族以外の親族と初めての交流。ちょっと構えていたが、そもそも俺は子供だ。そんなことを気にしないようにすれば、すぐに打ち解けられる。でも正直、気もそぞろなところがある。理由も分かっている。塵劫記。あれが気になって気になって仕方ない。
「そういえば、神社は久々だったが最近はサンガクが絵馬にも書かれているのか?」
「あれな、ここ一、二年で急に増えてきたんだ。算法ジュクがあるせいか知らんが、誰かが書いて誰かが解いて、また誰かが書いてって感じらしいの」。
「セキリュウだろ。あそこはまだやっとるのか?」
「やっとるもなんも、かえって昔よりも盛況じゃ。何ならあのサンガク絵馬も、解けるものだけが入れるような腕試しだって噂もある」
「ほー、そんなことになってるんか」
「さっき塵劫記探しとったが、その話を聞きつけて和算をまたやろうとしたんじゃないのか?」
「いやいや、そんな話は聞いたこともなかったが、確かに言われて見れば塵劫記を持つ者が増えた気もするのぉ。和算は俺には向かん。塵劫記はほれ、息子の藤二、あいつにやるためにな」
「藤二?うちの息子なんか算術どころか算盤もままならんのに。俺に似たのか、書も算術もさっぱりじゃ」
父と叔父との話の当事者であるいとことやいちは、庭で2人並んで木刀振ってる。子供らしさを出したくても恥ずかしさが先に立って、なかなかあの無邪気さは出せんのよ。そしてこの兄弟、イメージ的に叔父は体育会系、父は文化系とタイプは違うようだが、大分仲が良さそうだ。




