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蘭引。こんな道具が存在してたとは。言われれば確かにその通り。泡盛も焼酎も蒸留酒。あって当然なんだ。こういうことがあるから、篭ってばっかりじゃダメなんだよ。
化学の基本中の基本の状態変化。海水を煮詰めれば塩になる。そこまでは統一見解。経験知。ところが、液体の種類によって沸点が違う、ということが体感として分からない。酒を蒸留すると、純度の高いアルコールを精製できる。ここまでは書かれている。そこでどういう道具があるかと悩んでいたら、全く別の所で調べ物してた人から、蘭引は?とのヒント。そして、今。ちなみにその人、宗教、芸術本が好きな人。
思わぬところから思わぬヒント。これだよこれ。人によって暗黙知は違う。人によって違う当たり前をいかに引き出すか。それこそが集団の強みなんだ。それを使うため、引き出すためのこの部屋の形なんだ。当初、個室を寄越せと言っていた人も、何も言わなくなってきた。そしてその光景を見ている「佐久間推薦」の面々が目を丸くしている。
まず5人ほど来た。来た人たちに最初に伝えたことは、とりあえず3日は黙って見ていてくれ、いちいちなぜに答えていたら進まない。3日後、質問を受け付ける。それまでメモをしておいてくれ。それは今後の参考にも使わせてもらうため、提出して欲しい。
1日目、圧倒的な蔵書と議論の量。2日目は圧倒的な対話の質。3日目には前の2日間からの圧倒的な進度。量と質で殴り最後には技量でKOさせる。3日目が終わった段階で、結局何も出なかった。質問する気力を奪った感じ。新人さん達には刺激が強すぎたかな、と心配してたけど杞憂だった。5日目には出来上がったばかりの教本を読み始め、1月後には質問に行き始めた。
なお双方に、生徒候補でありながらも専属手伝い候補でもあるよ、と伝え済み。だからこそ研究者側は優しく教えるし、聞きに行きやすい。供給が少ないから雑に扱えない。生徒側からはどの分野でも想定を遥かに超え、敬意しか持てないレベル。結果、どちらからも適度な緊張感を持てている。
先生方は出入りの職人のおっちゃんたちとも仲良くなり、好き勝手に発注してる。ある日突然呼ばれた。物理が好きな先生だ。行ってみると、前世で見たことあるものがそこにはあった。以前、寛永通宝の振り子を先生方の前で見せたが、そこから着想を得たとのこと。商品名かどうかよく分からんけど、「ニュ◯トンのゆりかご」というやつだ。アマゾ◯で買ったことがあった。あれ、良いのかこれ?大丈夫か?でも、これに関しては、俺がアイディア出したわけでも、やれと指示したわけでもない。この時代の物理学者が勝手に思い付き、勝手に実物化したもの。ノータッチ。分からんからスルーしよう。あえて言うなら、知の暴走とでもしておこう。
そしてもう一つ、不安になったことがある。予算だ。研究は金が掛かる。試作は金が掛かる。そして、金にならない。だからこそ、不況下では予算を切られやすい。令和日本ではノーベル賞こそもてはやすが、将来のノーベル賞への投資はされていないに等しい。バブル期にスタートした研究が、令和で受賞していただけだ。史実の幕府はすでに借金まみれのはず。討幕がなされた遠因に、幕府の財政破綻もあったはず。これくらいの知識はある。これだけ飛躍的に発展出来る研究所を、金が掛かるから潰せ、なんてことにしては勿体ない。
予算を今まで気にしてなかった理由は分かってる。俺が意識的に避けようとしている兵器だ。誤解を恐れず言うなら、戦争は金と技術を生む。その側面は確実に存在する。兵器を生み出す期待から、予算を厳しく言われてないんだと思う、そして、大砲の技術、砲術の研究を数学的見地から友さんが進めている。友さんから「どう思う?」ってたまに来るんだけど、内容が内容なだけに曖昧にしてたら、友さんがまた殻に篭ってしまいそうな感じ。箕作様からも内田様からも「どうにかしろ」との指示がある。いい加減、腹を括らなければならないんだろうな。
「友さん、今大丈夫?」
「珍しいな、藤二から声かけるなんて」
これ絶対拗らせてる。ツンツンひどい。
「ちょっとさ、息抜きしながら外で話しない?」
「…………分かった」
俺の胸の内を明かした。忙しさにかまけて、友さんのこと蔑ろにしてたのは事実。それはごめん。でも、友さんが嫌いになったわけじゃなくて、友さんが今取り組んでる砲術の研究がイヤなだけなんだ。必要なことは頭では分かってる。でも、気持ちが否定するんだ。子供なのかもしれない。人殺しの計算をするって考えると、いくら好きな洋算でも近付きたくない。
「…では、ワシが砲術の研究をやめれば良いか?」
「それはさすがに無理でしょ。だから、俺と友さんの間で約束して欲しい。俺は、計算と実験までは付き合う。友さんは、実験がうまくいっても、人を狙わないで欲しい。着弾位置を計算した上で、わざと外して命を奪わないで欲しい」
「しかし、それでは無駄打ちになってしまうんではないか?」
「違う。威嚇と防衛のため」
「威嚇と防衛、確かにそういう考え方も出来るな。分かった。ワシの計算は外すために使う。それはお前と約束しよう」
これが自分が出来る、ギリギリのラインだな。




