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俺は今、徒歩で二刻(3時間)ほどかけて、家族と神社にいる。子供の足で遅いのは分かるが、それにしても遠いよ。そもそもの発端は、あの問題を解いたことのようだ。だが表向きは、俺とやいちの七五三のためとなっている。やいちは「あめもらえるかな?」とのんきだが、俺はのんきではいられない。表向きというのは、説教での話がメインだと、俺と父だけが知っているからだ。
どうも寺子屋の師匠と街中でばったり会ったらしい。そこで出た話が、父にとってはにわかに信じがたいものだったが、問題を解いてしまったことで急に心配になったらしい。
いわく、やいちは元気があるが普通の子供だ。あんなもんだから心配するな。だが、とうじは違う。あれはおかしい。まず、おとなしすぎる。出来ることと出来ないことの差がありすぎる。一つの才能と思えないこともないが、算術の問題に対する喜びようと、それに比しての読み能力のなさ、無いといっても他の子もそんなもんらしいが、がおかしいみたいなことを言われたようだ。ま、つまりはギャップがありすぎてアンバランスすぎる、ということだな。そういうようなことを言われたらしい。「言われてみれば、夜泣きこそひどかったものの、それ以降は初めて見る物への興味の持ち方と、その後の執着のなさ、手のかからなさ、そんなものだと捉えていたが見方を変えれば『確かに』と思わぬこともない」と。
なるほど、そういう土台があってからのあの問題へのリアクションだったわけね、なんて考えてたら、「狐憑きかもしれぬ」とか言い出した。「七五三もあるゆえ、ちと早いがお祓いに行かねば」。
いやいやいやいや、ちょっと待て。なんだその急なオカルト。
でも、前世のオッサンだった記憶があるなんて、確かにオカルトだ。そしてそんなこと話そうものなら、「やっぱり狐憑き」って結論になりそうだ。余計カオスになりかねん。うん、とりあえずここはおとなしく従っておこう。
ってことからの、今ここ。でも、新たに知れたこともある。悪いことばかりではない。この人生初の遠出、「ヒノ」村からの脱出だが、目的地のここは「フチュウ」村らしい。何より、このまま行けば「エド」だということを、同じ道を歩いていた人が口にしていた。父はもともとこの「フチュウ」村に実家があるようだ。神社に行った帰りに顔を出す予定だ。そんな父の出自は正直どうでも良いが、これは「日野」と「府中」で確定だろう。前世、東京に縁のなかった自分でも、それくらいの名前は知っている。近いっぽいことは聞いたことがある気がする。トラックとラグビーだ。23区外。それ以上の情報の引き出しはもうなかった。
ここが、自分の知る江戸時代なのかどうかはさておき、東京であることは確定で良いだろう。ほんとはここで「日野」と「府中」か聞けたらいいんだけど、迂闊なことはしちゃいかん。地名漢字変わってたらアウトだし。なんだかんだ、この夫婦は愛情持って接してくれてる。居心地がいい。不便すぎるが、それは令和を知ってるからだ。確か不便益という言葉を聞いた気がする。どんな意味か知らんが。ここで使うことが正しいかどうかも分からんが。
とにかくだ、ここは府中の大國魂神社だ。書いてある。楷書で書かれてるから読める。「おおくにたま」なのね。分かった。門前町がけっこう立派だ。栄えてる。
とりあえず七五三の祈祷を2人で終え、飴を貰ってテンション爆上がりのやいち。なるほど、千歳飴はあるのね。あっ、でも形は違う。長くない。
そう考えていたら、ふと気付いた。こういうとこでやいちのようにテンション爆上げしないから、怪しまれるのか。いや、でも一度40過ぎまで過ごした人生経験があると、飴であんな喜べんて。とりあえず喜ぶふりだけは、子供らしくする努力をしよう。ニコニコしてみた。
「・・・どうした藤二、急にニタニタして・・」
なぜ子供らしい仕草をしたら罵倒されるんだ。テンションダダ下がりだ。息子にかける言葉じゃないぞ、父よ。その後、家族へはうまいこと言い訳をし、父と二人で今日の本題のお祓いのために、別の建物に向かう。
案内された建物内をキョロキョロ見ていると、ある一角に模様が書かれた壁がある。円であったり半円であったり、四角、三角。父が神社の関係者らしき人と話しているのを良いことに、吸い寄せられるように近づいてみる。いろんなパターンが描かれていて、釘付けになる。内接円、外接円、円の重なり。目が離せない。図形の下に書かれてる漢字から察するに、面積を求めろ、円周を求めろ、直径を求めろ、のようなことが書かれてるっぽい。そう、あくまでも「っぽい」なのだ。読めない自分がもどかしい。出てる数字も相変わらず漢数字と、よくわからん単位。
「読めれば解けそうなの、いくつかあるのに」。思わず口をついて出た。問題が理解出来そうで出来ない。「でも、美しい」。偽らざる感想だった。組み合わせだけでこんなにいろんなパターンを作れるなんて。きっとこれは数学の問題に違いない。直感的にそう思った。寺子屋で算術の問題解いてるときより、家に来たおじさんの「じんこうき」とやらを見た時なんか比じゃないくらい、ワクワクが止まらない。
「ふーむ、確かに奇妙な子じゃ。読めても解けぬ者ばかりじゃというのに、読めれば解けるとな。なかなか珍妙なことを申す。さて、どこが読めぬ。本当に解けるのかどうか、見てみたいものじゃ」
不意に聞こえた声に驚き振り返ると、父と見たことない爺さん。恰好から察するに神主さんかなんかだろう。え?俺この爺さんに祓われるの?
「ほれ、早くせぬか。どの問題を読んでほしいんじゃ。神と筆が必要なら持ってこさせるぞ。あとは算木か?算盤か?おーい」
なんだかえらいせっかちな爺さんだな。てかちょっと待て。円に関する問題って、絶対π使うじゃん。この世界、きっとπなんかない。やばいやばいやばい。円周率は3.14なのか?この世界の基礎知識がなさすぎる。
図形はまずい。このお題があるってことは、この爺さんは答えを知ってるどころか、解き方を知ってる可能性があってもおかしくない。この世界のセオリーを把握してない俺が、迂闊なことやったら本格的に「狐憑き」だなんてなりかねない。平穏な生活がままならない。いやー、どうすればいいんだ、この状況。。。
キョロキョロしてたら一問だけ漢字表記の問題を見つけた。あれだ!
「あの問題、あの問題だけ図がないから、全然読めないから、なんて読むのか教えてください」。
『今有狐種蒔不知其石数 只云二斗四升宛蒔而無余又云四斗二升宛蒔而無余 問総石数得術如何』




