1-45
その晩はまた、爺様と色々と話し込んだ。もはやルーティン。箕作様の所にいること、やった実験について、実験の感想、今後何をしたいのか、そろそろ身の立て方について考え始めろとか、佐久間象山の印象、議論のあり方、江戸の様子などなど。頭の中で考えるだけでなく、言語化することでスッキリまとまることが多い。だからこそ、爺様とのこの時間は何気に大事にしてる。江戸に戻る時に泊まらせてもらうことにし、日野へ帰ることとなった。
「これ、私が書いた数独、何でお兄ちゃん持ってるの?」
そうなのか、それならこの数独の冊子は宝物だ。聞いたら本当に寺子屋で作ってるらしい。数独の問題を書けるようになると、たまにお菓子が出る、そのために子供は必死に字の習得を目指す流れらしい。うん、分かりやすい人参には弱いよね。母と祖母は相変わらず。母も年取ったとは言え、正直まだ若々しい。これで三人の子持ちだなんて。前世でこんなこと言ったら、即セクハラ扱いされそうだけど。
弥一(ほんとは元服して弥太郎なんだけど、今だに慣れない)は体つきがしっかりしてきた。小学生と中学生の差って考えれば当然だ。若干の声変わりもし始めてる。それよりも精神的な成長に圧倒される。俺はここまで成長出来てるんだろうか。中身はオッサンの精神なだけに、年齢相応というものが掴めん。しかも、普段オッサンばっかに囲まれてるし。子供との接点といえば週に数回の剣術道場のみ。他の接点がないから、なかなか仲良くなれない。あれ?やっぱり俺ボッチ?
父に内田様からの手紙を渡す。それを読み「お前は江戸で何をしてるんだ?聞いてもきっと分からんから聞かんが」若干呆れてる?何が書かれてんだ?
今回は実家に2泊する予定なので、それまでには返事を書いておくと伝えられる。そして翌日は美祢と連れ立って寺子屋まで。久々に見たお姉さんは、普通に可愛くなってた。みんな見ない間に成長しちゃって、とオッサン視点。向こうからも大きくなったと言われる。お互い様なんだよね、きっと。
師匠から無駄にお礼を言われる。何でも算法の先生を関流から派遣してもらえるようになったとのこと。わずかながらも寺子屋の運営資金を調達できるようになり、字の習得、上達のモチベーションアップに繋がり、教え方の上手い先生の派遣もしてもらえるようになったらしい。おぉ、こんなとこにも良い影響が及んでる。何もしてないのに、なんて言われた。それは違う。何かしてもらって嬉しい状況、何もしてもらわないから嬉しい状況、それぞれあるんだよ。人それぞれ。型にはめなかったことが、俺の場合には良かっただけだ。
お姉さんからは「あんな土いじりばっかりしてた子が立派なこと言えるようになって」とイジられた。お姉さんには絵馬を取ってもらってただけに、何も言えない。内田様から分けてもらった塵劫記を寄付しておいた。
特に記憶のない自称知り合いの相手をしてたら、2日なんてあっという間。この知り合いは、俺のいない時も来る知り合いなんだろうか。どう見ても押しかけ具合と、祖母の口調からそうは思わないんだが。父の手紙を携えて府中に向かう。あとは爺様の所に寄って一泊、その後江戸へ戻るだけ。一体この急な帰省にどんな意味があったのだろうか。
府中に着き、爺様を訪ねる。手紙を受け取り、浅草へ向かって出発しようとしたら思わぬ出会い。佐久間氏だ。数独の算額を見ていた。声を掛けて良いものかどうか分からず悩んでいたら、向こうから声を掛けられた。
「今日はお前の所に用があったわけではないから、湯の花はないぞ」。相変わらずイヤラシイ笑顔だ。
「それは残念です。量が減ってきたんで欲しかったのに」こちらもイヤラシイ顔を返してやる。出来てるかどうかは分からんけど。
聞けば松代から江戸に戻る最中だったらしい。思いがけない対話だったが、思いの外楽しかった。実際にこの人は、やっぱり天才と称される理由が分かった。記憶力が凄まじく良い。そして、身に付けた知識を自分の言葉で理解する能力が高い。自信過剰で傲慢な性格という強烈な皮の下は、やっぱりバケモノがいた。友達にはなりたくないけど。知り合いくらいで良いけど。
その会話の中で、この国の現状が見えて来た。史実の幕末にそっくり。幕府の財政の悪化、そこから来る求心力の低下、開国と攘夷とで揺れてる。皆んなが皆んな、国の将来を憂いている。だんだん熱を帯びて来る。思わず口にしてしまった。
「なぜ議論、議論と言いながら、大声大会しかしないんですか?なぜもっと論理的な話をしないんですか?感情のぶつかり合いにしかなってないでしょ?」
「その、お前の言う議論がよく分からん。なぜ相手の意見を叩き潰してはいかんのだ?」
またこの話になった。
「では一度、こういうやり方で討論してみて下さい。そうですね、お題は『蘭学は必要か不要か』で良いんじゃないですか?3人くらいに別れ、お互いの意見を出して下さい。佐久間様は不要派に入ってください」。
「ワシは必要だと考えている」
「分かってます。だからこそです。不要派になりきって、必要派を説得するんです。いつ、誰に、なぜ、どのように、それを具体的に説明し、説得をしてみる。そして、必要側にも同じことを出させて下さい。それを受けて、双方の反論もあるでしょう。それをお互いに意見を出すんです。それを聞いて、どちらの意見がより素晴らしいと感じたか、それを聞き役に判断してもらうのです」。
「それに何の意味があるんだ?」
「これが、建設的な議論の訓練です。大声で威嚇をするのではなく、反対意見を封じ込めるのでもなく、相手の意見を受け止め、飲み込み、その上で聞いている人を意識して、説得するんです」。
「少なくとも分からんが、ワシはお前にやり込められている。やるだけやってみよう」
こういう柔軟なところだけは好感が持てる。




