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side 内田五観
思いの外、反響が大きい。
藤二の作った例の箱。確かに実際に使ってみて、洋算の試し書き、過程の確認、紙と筆よりもよっぽど使いやすい。良い年の大人が藤二のように、庭で土いじりするわけにもいかんしな。役所内でやろうもんなら、どんな目で見られるか。手が汚れるのが難点だったが、藤二の作った石鹸がまた役に立つ。紙を買えば文箱などいくらでも付いて来る。緊縮財政を厳命されているが、今まで捨てていた物を利用するだけ。何度でも書き直せるし。
一番の反響は、「書を疑え」だな。これほどまでに、過程の表記が誤っているのかと呆れるくらいだったが、疑いの目で見れば見るほど、解への道筋が綺麗に見えて来る。これも相談を受けて指摘してやったら、あっという間に広がった。書かれているものこそが間違ってるなど、やはり皆、思いもせんかったよな。盲点だ。
「内田殿」
「小野殿か、久しぶりですな」
「内田殿が広めた箱の使い方、あれは確かに竹筆と紙よりも効率的ですな。これまでは自宅の庭の隅でやっていたのですが、妻に怪訝な顔をされていたのです」
大人でやってる人いたよ
「小野殿は竹筆を使っていたのか?」
「ええ、筆で洋算は書きづらかったので」
さっさと言えよ、広めとけよ。どうせ「聞かれていませんでした」とか言うだろうから言わんけど。悪気が全くないから、指摘しづらいが。
「それと、書かれているものを疑えと、あの言葉一つでここまで変わるなら、早く言うべきでしたな。おかげで相談に来られる回数が減って、助かっております。自分の仕事に使える時間が増えました」
「小野殿は気付かれていたのですか?」
「はい。明らかにおかしな流れがあったりしますので。ただ、わざわざ言うほどのことではなかったですし、どこにどう言えば良いかも分からなかったので」
いや、それも言えよ。それで困っていたの何人も居ただろ?
「私も気付いたことがあったら、もっと言ってみることにします。では」。
この人は絶対言わない。自分が出来るなら他の人も出来る。本気でそう思ってる人だ。自己肯定感だけでいうなら、佐久間のヤツを少しでも見習ったら良いんだが。せめて竹筆だけは、小野殿の名前で広めておこう。ワシからすれば、本当の出所が藤二だろうが小野殿だろうが、同じことだ。
今後、藤二をどう育てていこうか。それが全然見えてこない。アイツのことだ。何か考えていそうで、何も考えていない。流れに任せるだけではならない。内弟子の立場に置いておくのも、いつまでもというわけにもいくまい。アイツは結局関流には何もしておらんのだし。数独の生みの親ではあるが、生んだ後、育てる気は全くない。何なら他人に育てさせて、たまに見て「育った育った」と無邪気に喜んでいる。
とは言え、佐久間のヤツを拒絶したのは、意外と言えば意外だった。正直、ハゼのように何にでも食いつくと思っていた。そうはならなかった。何に食いつき、何に食い付かんのか、そこの線が全く分からん。子供にありがちな気まぐれなのかワガママなのか?いや、きっと違う。何か確たるモノがあるはず。でなければ、あそこまで強烈に否定はしなかったはず。
そういえば神主殿は「藤二が好きでないことをさせるな」と書いていたな。議論、あれか?佐久間の所で行われていた議論、聞いている限り何の疑問も持たんかったが、あれが藤二の好きでない議論だった、ということか?アイツの中にある議論と、あの場で行われていた普通の議論。それがかけ離れているから「好きではなかった」のか?その場にいることを「強要」されたから拒絶した?
関流に関しても同じだ。算法を否定してはいない。問いも解も否定していない。ただあるのは、洋算での過程をより美しく、を追求しとるだけ。算法の解法を「非合理」の一言で終わらせる。しかし、図のある問いに対しては、まず最初に美しいか美しくないかを、無意識に口に出す。結局、藤二は出会った時からずっと「美しい」を求めていると考えると、非常に納得がいく。
ん?この「藤二を理解する」という題に対し、あらゆる可能性を否定せず、論理的に思考する。これは奇しくも藤二の言った「議論」そっくりではないか。我々が行う内省そのもの。そこに確かに熱は不要。むしろ、熱こそ不要。
頭の中では出来るものが、相手がいると出来なくなる。それがおかしいと、確かに藤二の見方も出来るな。
これも箕作殿に相談してみるとするか。それとも箕作殿は、以前のワシ同様、アイツに振り回されておらぬかな?箕作殿よりもどちらかと言えば杉殿か。




