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「お主、もう仮名の練習はせんで良い。漢字を身につけよ。それとな、算盤に関しては完全に教えることはない。算術を学べ」。
寺子屋に通い始めた初日、そりゃないぜ、お師匠さん。これじゃ、教えてもらわない以上師匠と心から呼べないぞ。しょうがないじゃん、出来ちゃうんだから。体が勝手に動いちゃうんだから。救いは周りがぽかーんとしてる中、やいちが誇らしげにドヤ顔してることだ。兄よ、お前がそこで誇ったとて、読み書き算盤を身に付けねばならないのは変わらんぞ。ところで算術とはなんぞや?
なるほど、鶴亀算とかねずみ算とかね。おぉ、これ算数クイズみたいなもんじゃん。おっ、内接円の問題とかもある。これは面白そうだぞ。この世界にきて、一番興奮した。図形問題は、問題文が読めなくても何となく意味が分かる。鶴亀算も何とかなる。これは早々に問題文を読めるようにならなば。でも、漢数字なのね。そして尺貫法だっけ?いまいち単位がピンとこない。
「なんじゃお主、読みは出来ぬのか。書けるが読めぬか。そこは普通の子供のようじゃな」。
うん、俺も勝手に神童扱いされて、出来ないことを放置したまま放り出されるのは勘弁だ。そして、勝手に上げたり落としたりするな。気分悪い。
読みだけは他の子と一緒、漢字と算術は、やいちよりも年上たちに混ざることとなった。でも、漢字はともかく、算術での居心地が悪い。なんていうか、自分が知っている問題を全く知らない方法で解いているんだ。この気持ち悪さはなんだ。そして、漢数字分かりづらい。数学と漢数字の相性が悪いなんてもんじゃない、致命的に悪すぎだ。そんなことを考えながら呆然としていたら、また師匠が来て「お主にはちと早すぎたかの。算盤は出来るのじゃ。そのうち分かるようになるじゃろうから、焦らぬともよい」。
やいちと並んで帰宅していると唐突に「とうじ、お前すげえな。なんでそんなできるんだ?俺は寺子屋退屈だったぞ。でも、武士は剣術だからな。俺は剣術を頑張って、立派な武士になるんだ」。兄よ、振るう機会があるかないか分からん剣術を身に付けるより、よっぽど読み書き算盤の方が大事だと思うぞ。
そんな日常を過ごすようになって数週間がたった頃、父あてに来客が飛び込んできた。どうも料金余分に払うから、今日中に仕上げてほしい書類があるようだ。そして、ドカッと腰を下ろし、勝手に上がって待っている。このセキュリティーの緩さ、なんていうか嫌じゃない。昭和の頃はこれに近い状況、ないことなかったよなって感じ。そして、その来客のおじさん、待ってる間に本を取り出した。しかし、読み進めるでもなく筆と紙を持ったままうんうん唸ってる。そうなると気になる。近付いてみる。
「おじさん、何見てんの?」。こういう時、子どもは便利だ。警戒されず情報収集が可能。まさかリサーチのために聞かれるてるとは思うまい。「おぉ、これは『じんこうき』と言ってな、『さんぽう』の本じゃ。坊主にはまだ早いがな」と言いながら見せてくれた。
「方二乗五加之得六」
は?なんじゃこりゃ。解読不能。そりゃ唸るはずだ、と納得しつつも意味を聞いてみる。
「これはな、ある数の2乗、つまりある数掛けるある数と、5掛けるある数を足すと6になる、という意味じゃ。まあ坊主には掛け算はおろか足し算もまだ早かろう。わしも最近さんぽう塾に通うようになっての、改めてこの『じんこうき』を開いたのだ。」
解説があって理解できた。つまり、ってことね。簡単じゃん。ってことは。答えはー6と1。
「ー6と1だよね」
「・・・・・・は?・・・・まいなす、というのは分からんが、解は確かに『一』じゃ。なぜ分かる?坊主、なぜじゃ?」
いきなり肩を掴むな、体を揺するな、痛いだろ。思わず「いたっ」。
「すまぬ、じゃがの、これは、、あぁ、、、、うん、すまぬ」
結局コイツは何が言いたかったんだ、と呆れようとして周りを見たら、むしろ俺の方が呆れられてた。父も母も祖母も口を開けてポカンとしてる。
「ほれ、急ぎで書いた故、多少字が崩れて居るが大丈夫じゃろ。ただの、我が家で突然叫ぶのは勘弁してほしいの。で、藤二、あとで儂の部屋に来なさい」
この呼び出し、いつもならやいちが怒られる前のパターンじゃん。反射的に数学しちゃったのダメなの?しょうがないだろ、答え出ちゃったんだから。頭の回転を止めるのは流石に無理だ。数学だけは勉強しなくても出来たんだぞ。地方の高校受験に必要ないレベルの、都会の進学校の問題にチャレンジするのが楽しかったんだ。
いつもと立ち位置が逆のやいちが俺を見ながらニヤニヤ、みねはただニコニコ。あぁ、やっぱりみねは天使だ。




