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和紙で熱気球もどき、銅板と鉄板と塩水で簡易電池、灰汁と植物油から石鹸。石鹸はどうしても欲しかった。令和のパンデミックが流行ろうもんなら、国民全員が罹患間違いなしの衛生状態。蘭書で見た瞬間、絶対に作りたいと思った。
そして、その石鹸が一番苦労した。phの測定なんて出来ない。灰汁のアルカリ性をどうやって高めるか。結果、灰汁に焼いた貝殻を潰したのを混ぜるという、それじゃ無理だよなって方法で成功。こういう試行錯誤が楽しい。嬉しさのあまり、無駄に泡立てたよ。引かれたけど。
あと、杉先生、若いのに脚気がちだそうな。確かビタミン何とかが足りないんだよ。何とかが分からん。けど、話の中で摂取してる食品の量が明らかに少ない。なんせ一汁一菜だもん。あと、白米だけ食べてたから海軍だか陸軍が使い物にならなかったんじゃなかったっけ?玄米だっけ?雑穀米だっけ?相変わらず俺の知識、うろ覚えの中途半端。良いや、ここは俺の料理知識のバイブル、美味し◯ぼから拝借しよう。
「杉先生、医食同源という言葉をご存知ですか?清国の言葉です。食べ物が体を作るだけでなく、きちんと食事をすることが健康を保つのに役に立つ、という意味です」。
そっからは山◯士郎ばりの独演会。症状の間隔はおおよそ2か月周期。なら、とりあえず2ヶ月だけ玄米食を試せ。玄米だけを食えじゃない。粟や稗、麦も混ぜればいい。あとは、食事の品目増やせ。果物食え。野菜食え。肉も魚も。禁忌?知らんがな。大体、肉を「薬」と称して食ってんだろ。食事に時間かけるの勿体無い?では、痛風で満足に動くことも勉強に時間割けなくなるのも勿体無くないとでも?
やらない理由を並べる人ほど、何らかの後ろめたさや自覚が多少なりともあるはず。そんな人には、やらない理由を一つ一つ潰して「やらざるを得ない」状況を作った方が手っ取り早い。尚、本人の意思意見は関係ない。
次の実験は何をしよう。箕作様の所へ行ったら、完全に想定外な事を言われた。
「五月塾へ再度行け」
何でも、俺が啖呵を切って出て行って(そのつもりはないんだけど)、ガキがのたまうな、的にな流れだったと。一時は問題なく流れていた。ところが俺が手伝った蘭書を内田様と箕作様が立て続けに報告、それを知った参加者の中で、もしや、となる。決定的だったのが展示した事みたい。内田様と箕作様のところに、内容を解説、説明を求める人が俺の知らないところで増えて来た。でもお2人ともそれぞれ忙しい。忙しくさせられている(俺のせいなの?)。そんなことまで割く時間はない。それなら寝たい(それは完全同意)。
でだ、佐久間を利用してやれ。アイツのとこで暴れて来い(俺、暴れてないよ?)。半分冗談だが半分本気。性格はあんなだが、アイツの名前は利用価値がある。それにだ、何よりお前のためでもある。まだまだお前の名前を広めるには早すぎる。名を上げることは危険を伴う(それはそう)。その危険だけを佐久間に預けてしまえ。
なんという合理的判断。
「かしこまりました。ですが、一つ問題があります。箕作様もご存知の通り、失敗を重ねての成功です。正しくは『成功と思われる』ところです。佐久間氏のところで実験を進めるとなると、失敗もしますがどうしましょう?」
「確かにな、世の大半の人間は成功しか見ないからな。成功は失敗を重ねたその上に存在するんだがな。それならこうしよう。ウチで何度でも失敗せよ。成功したものだけを披露する。成功例とその手順は正しく伝える。あの高慢な性格では地道な実験はすることはない。一定の所から、実学が伴わんからこそ、理屈だけで通らなくなる部分がきっと出て来る。そこまでの手柄をやるのだ。その先の恥をきちんと引き受けてもらうのはどうじゃ?」
そう、この箕作様の失敗への考え方が大好きだ。そうなんだよ。なんなら失敗にこそ価値があるんだ。絶対に失敗は無駄じゃない。やる前には分からなかった伸び代なんだよ。そして理論派の最大の弱点、理論が分かれば「出来る」と思ってしまう。「出来る」前提で話をどんどん進める。それもきちんと理解されている。
「内田様とも相談されたんでしょ?箕作様も良い性格してらっしゃいますね。では、電池を使ったその先の実験を考えていましたので、それを成功させたら五月塾へ行くとしましょうか。ついでに、蘭学の達人の杉先生が蘭書を読み解き、それを私が実験し、子供でも出来た、とするのはどうでしょうか?余計に警戒を解くでしょう。杉先生が読み、私が実演」
「お主も大概良い性格だぞ。その案で行くとするか」
「三人寄ればってやつですよ」
エヘヘヘヘへ。




