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side 内田五観
何度、思い出しても気分が良い。ワシが杞憂していたのが馬鹿らしいほどの痛快さ。箕作殿も笑いを堪えながら、途中で我慢しきれずワシに文を渡してきた。あれほど愉快だったのはいつぶりだろうか。
ワシが指示もせぬのに、佐久間のヤツへ「あの程度のものなら二度と呼ぶな。もう行かん」というような文を送ったそうだ。いかん、笑いが堪えきれん。あれほどの尊大なやつがそこまでやられる姿、ワシが実際に見たかったくらいじゃ。
だが、これで余計に気を引き締めねばならんな。ヤツがより執着しかねん。きちんと弟子を守るのも、師の仕事。さて、どんな手を打ってくるか。また、藤二がどう返すのか。
思いの外、藤二の言葉の力が強すぎたかもしれぬ。あちらこちらで「佐久間の論を断罪した子供がおるらしい」ということが急速に広まってきている。よりにもよって、知を追う者ほど良く耳にするようだ。これは隠し通すのがそろそろ難しくなって来たかもしれぬな。
考えようによっては、ある意味好機かもしれぬ。「あの」佐久間を黙らせた藤二、ここにあり、と。
いかん、まだ浮かれているようじゃ。これはまた箕作殿と相談じゃな。
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「というわけで、しばらくの間、箕作阮甫殿のところで勉強してまいれ」
うん、何が「というわけ」かは分からんけど、形の上では師匠からの命令。大人しく従います。で、何をするかは相変わらず具体的指令はございません。短期留学みたいな感じなのかな?期限も2人で勝手に決めるんだろうな。俺の意思は存在しません。杉先生の師匠だし、師匠の同僚だし、名前はまたまた知らんけど、きっと優秀な人なんだろう。内田様と共に、箕作様の所へ向かった。俺は自分が意訳した内容を記した紙の束を、内田様は蔵書のほとんどを持って。
箕作様は、内田様とは種類の違う優秀さを感じさせる人だった。この世界の優秀な人は、ホントに多忙だ。それ以上に貪欲。お二人とも幕府の仕事しながら、内田様は関流の師範としての仕事、箕作様は令和で言うワクチン精製、研究をしてるっぽい。比べるならば、どちらかといえば内田様はスペシャリスト、箕作様はゼネラリストって印象。
杉先生を交えて、4人で改めて先日の佐久間氏の所であった話を聞かれた。今回は気を使う必要ないので、もっと辛辣に言ってやった。箕作様も佐久間氏が好きじゃないようで、内田様同様大笑いしていた。そこでまた、「議論とは」を突っ込まれた。
そんな不思議なことか?と思ったので、むしろこちらから、質問した。
「では、皆様は何のために議論をするのですか?どのように結論に至るんですか?」
「意見のぶつけ合い」
「相手よりも大きい声を出す」
「上役にこちら側についてもらう」
そりゃ価値観が合わんはずだわ。どうやったって建設的な議論にはならん。その熱意だけが充満してたから、あの空間はあんなだったのね。
「まず、皆様が仰ったことは議論ではありません。単なる意見のぶつけ合い、もっと悪く言えば自らの声の大きさを競う大声大会です。子供のわがままも同然。それなら乳を求める赤子が一番強い。議論というのは、もっと建設的でなければなりません。自分と違う意見を持つ者からの意見こそ自分に取り込み、咀嚼し、それぞれの合意形成を図る。その努力を参加者全員ですることこそが議論なのです」
そうそう、こういう聞く姿勢こそ大事なんだ。
「ここまでで疑問はございますか?ないようですので、続けますね。相手の意見を一旦飲み込み、咀嚼する。それは頭が冷静でないと不可能です。なので、あの場で行われていたのはただの怒鳴り合い。理性も納得も理解も同意もない、ただの殴り合いと同義。最後には罵倒と否定になるだけです。その場にいる意義を感じない。なので途中で帰って来た。そこに好きも嫌いもありません。不毛だっただけです。強いて言うなら、その状況を良しとしてけし掛けるだけの主催者に対しては、2度と誘うな、とは思っていますがね」
久々の沈黙タイム。
まだ続くのかよ。
「まず、議論そのもののあり方の考え方が違うのかの。内田殿、よくぞ藤二を捕まえてまいりましたな」。
俺、犬か何かか?
「捕まえましたが、どう躾けたら良いのか、正直持て余しておりますわ」
やっぱり犬扱い。
「確かに持て余しても仕方あるまい。藤二、お主は成り行きとは言え、ワシが預かることになったのだが、お主は何かしたいことがあるか?やっぱり蘭学か?今度こそ読みだけでなく、書く、話す、聞くを学ぶか?」
若干、反応したね、杉先生。でもね、俺が考えてたのは違うんだ。こちらからどう切り出そうかと悩んでいたが、思わぬチャンス到来。ここは一気に畳み掛けよう。
「いえ、こちらで私がやりたいことは…」
「なんじゃ?」
ちょっと軽く引っ張ってみたくなる。
「実験です」
「「「実験?」」」
綺麗に声が揃ったね。




