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「ワシの嫌いなヤツで、佐久間象山ってヤツがいる。ソイツが今度なんかやるって言ってるから、お前行ってこい。大丈夫、一人じゃ行かせん。杉殿にでも頼むから」
それだけ言ってさっさと部屋に篭ったきり、その日は出て来なかった。
は?えっ?どういうこと?
ま、考えても分からんことは後回し。それより唯一分かる単語があった。佐久間象山。その名前、ここに来て急に知ってる名前。知ってるけど、それだけ。何をしたかも、何をするかも、いつ死ぬかも分からん。ただ、誰かを育ててたはず。それくらいしか記憶にない。ただ、日本史で死を描くということは、後世の人間視点で非業の死。処刑か暗殺か自死。このいずれかだ。
全っっっ然思い出せん。とりあえずやることのひと段落はついたし、久しぶりの帰省と爺様への相談でもするか。その旨を内田様に相談したら、「すぐにでも行ってこい。何ならゆっくりしてきても良いぞ」との返事。厄介払いされてる?小遣いまでくれた。あとは爺様への手紙を持って行け、と。それくらい、お安いご用ですよ。
正直、ここは刺激が多くてゆっくりと自己分析をするには不向きだ。自分と向き合う時間が欲しかった。花見にはまだ時期は早いが、歩きながら考えるとしよう。
前世では東京に縁がなかったのに、もう俺は自称江戸っ子だ。浅草から日本橋、そこから甲州街道で日野へ。道も完璧。朝から晩まで歩いている間にも、だいぶ頭の中はスッキリしてくる。やっぱりインプットだけではダメだ。アウトプットするためでなくても、情報の整理のための時間は作る必要がある。改めて気付かされた。意識的に素振りの回数増やして、頭ん中をクリアにする時間を作った方が良いな。前世でも受験勉強に煮詰まった時に、竹刀振ってたことを思い出した。
歩きだと日野まで行くのは、1日だとちょっとしんどい。爺様に無理言って泊めてもらった。話をしたかった。もちろん手紙も渡して。俺が足を洗ってる間に手紙を読み終えたのか、爺様から返事を書いておくから、江戸に戻る時にまた寄れ、と指示された。
爺様に色々聞かれた。江戸はどうだ、内田様のところで何をしてるのか、天文方の仕事の手伝いはしているのか、普段どんな生活をしているのか。インタビューだけで夜は更けた。
翌朝、泊めてもらったお礼にと、境内の掃除をしていたら声を掛けられた。
「藤二、お前はお前の『知』をどう使いたい?」
「それ!それだよ!!それを相談したかったんだ!!!」
昨晩、聞かれてばっかりでこっちから話すタイミングを逸したから、ここぞとばかりに畳み掛けた。
「俺、どうしたら良いと思う?」
「藤二、相変わらずお主は面白いのぅ。そのようなこと聞かれたの、初めてじゃぞ。ではお主、日野におる間、気が狂ったように算法を解いていたのはなぜじゃ?」
「ん?解けるのが面白かったから」。
「お主にとっては、算法が遊戯と同じだということか?子供がかけっこや鬼ごっこ、竹馬に興じるのと一緒だったと?」
「そう言われれば、確かに近いかな。実際、かけっこするよか、塵劫記の方が楽しかったし」。
「なんと。お主のことをまだまだ見くびっておったかもしれん。うーーーん、ちょっと時間をくれぬか?日野からここに寄るじゃろ。早めに日野を出て、またここで一泊しろ。その時にでも話をしよう」。
「はい、分かりました」。
てな訳で、一路日野へ。
「俺の名前は弥太郎だ。藤二、俺は元服したぞ」。
「美祢は美祢のままだよ。にいちゃん、お土産は?」
弥一は気が触れたかと思ったし、美祢は打算的になってた。もっと素直なままでいてくれ。今回はちょっと良い紙を買って来た。不評。なぜだ?お土産は消え物か日用品が良いんじゃないのか?
父の帰宅を待ち、今度は俺から父を寺へ誘った。いつぞやの逆だ。父に聞いてみたかった。父はなぜ、書を身に付けたのか、身に付けようと思ったのか、その理由を。
「生きるため」。非常に端的だった。継ぐ家はない。この時代の価値観は、悪い言い方をすれば、次男は長男に何かあった時のスペア。家を継げない以上、何かの技能を活かして生きていくしかない。書と算術、天秤にかけた時に、書の方が圧倒的に得意だった。だから書を選んだ。好きとかやりたいとか、そんな感情は介在せず、非常にデジタル思考でドライな考え方。書で生きて行く方法を考えていたら、縁があり婿入り出来た。次男としてはラッキーだった。そんな話だった。むしろ「なぜそのような問いを?」と逆に聞かれた。
蘭書を終えて、おそらく俺の数学は3Cレベル、物理、化学は1Bレベルやや超えくらいのはずだ。俺の学生の頃の基準だが。物理も化学も2Bに到達してないのは、多分そこまで理論が進んでいない、もしくは入って来ていないのいずれかだ。昔解けてた問題を解けないのが悔しい。これが俺のモチベーションだった。あとは積み上がっていた本を消すことがルーティンに。その本がなくなって、初めて気付いた。「何のため」が自分の中にないから、次に何をしたいが出て来ない。
その答えが見つからないと、次に何したいが浮かばない。現実問題、手を付けてない本がある。自分が面白いと思わないからだ。
何か参考になればと思って父に聞いたが、ある意味父らしかったってだけで、自分の参考にはならなかった。覚悟の差、それだけを突きつけられた。




