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俺の名は「とうじ」らしい。漢字では「藤二」だ。まだまだ若い父親が、まだ自分の意志で動けない時分に見せてきた。なかなかの達筆だった。それ以来見ていないから、合っているかどうかわからないが。そもそもまだ漢字すら分からない赤子に見せてどうする?前世の記憶がある俺じゃなきゃ分からんだろ。
そんな俺、藤二も3歳らしい。年末年始のあいさつを、季節が巡って2回は見ている。やはり見える、聞こえるということは素晴らしい。入手できる情報が多い。そして、この体はとても若い。若さに勝る健康はない。肩、腰、膝の不調を気遣うのが当たり前だった生活から一転、何の変調の兆しもないまま毎日が過ごせる。それでも動く際には頭が大きくとてもバランスが悪いから、転ばぬように気を付けてはいるが。
さて、ここまで成長する間に、可能な限り「見聞を広めた」。メモしなくても覚えていられるこの頭も嬉しい限りだ。メモをしておかねば自分の記憶力を信用できなくなってきていた頃を知っているだけに、感激もひとしおだ。
まずは、やっぱり江戸時代のイメージが近い。髷と着物、刀もある。父にバカなふりして「これなーに?」と聞いたら、デレデレ顔で教えてくれた。「お前にはまだ早い」とお約束のように決め顔を作っていたが、喜びは隠しきれてないぞ。
父は勤め人の様だ。そして帰宅後は、大体何か書いている。ただ、机に向かっている間は近寄ろうとしても母や祖母に邪魔をされるので、まだ具体的に何を書いているのか、何をしているのかは掴めていない。帰宅後の一杯を見ない真面目な男だ。好感が持てる。始めは文筆家なのか、とも思ったがどうも違うようだ。たまに人が来ては、これこれこういう書類を急ぎで書いてくれ、と頼まれている。どうも代書屋のようだ。持ち帰っての残業ではなく、副業で書いているっぽい雰囲気。父の職場は副業は許されているのだろうか?
俺のリサーチに、一番役に立たないのは兄だ。裸足で外に出ては泥だらけになり、「どこそこの柿が旨そうだ」とか「瓜が好きだ」とか、なんの役にも立たぬ情報しか伝えてこない。報連相がなってない。だが、それを言っても伝わらないから黙って聞いておく。すると偶にだが、とれたて果物のご相伴に与れる。そういうところは嫌いではない。ちなみに「やいち」という名前らしい。語感だけで想像するのは「弥一」だろうか。
反対に、リサーチの一番役に立つのは祖母だ。俺を背負っていろいろ連れまわしてくれる。誰かと会えば話をし、別れたと思えば直ぐに別の誰かを捕まえる。その話の中に思わぬヒントが含まれていたりする。父親が副業で代書屋、という考えに及んだのは、間違いなく祖母の雑談があったからだ。だが如何せん、話の脈絡も一貫性もあったもんじゃない。
思えば嫁さんも「何でこの話から次その話に?」ってことがよくあった。聞けば「理由はない。なんとなく」。そんなことを思い出していると、顔に出るのだろう。話し相手が気付いてくれて「またね」と去る。別れたらまた別の誰か。その繰り返しだ。よくもまあ飽きもしないし話も尽きぬもんだ。そんな考えが顔に出るんだろう。「またね」。で、また次。その無限ループだ。情報収集のコツは忍耐のようだ。他の子は知らんが、俺は出来る。こちとら結婚生活20年弱あったんだ。我慢のプロだ。
現在身重の母には、あまり負担をかけるべきではない。そう思い、向こうから来る時以外は、極力自分から行かないようにしている。それくらいの気遣いは出来る。おかげで近所では手のかからない子で通っている。夜泣きはひどかったみたいだが。自覚はある。考えてると頭を使うからか腹が減ったんだ。しょうがないだろ。決しておっぱい欲しさに泣いたわけじゃない。考えることくらいしかやることがなかったんだし、困惑だらけだったんだし。
ここは「ヒノ」らしい。住所表記を見ていないため、「日野」なのかどうかは不明だが。「江戸」から行商に来る人が近いと言っていたから、同じ都内と考えれば妥当な推測だ。あと時代としては「テンポー」から「コーカ」に変ったとで聞いた。
そもそもだ。ここが「あの」江戸時代なのか、それとも違うのかすらまだ分からない。一体何年なのかも想像がつかん。「あの」江戸時代ならば、「テンポー」は天保だろう。でも、その次の「コーカ」を知らない。仮に天保で合ってたとして、「コーカ」が分からなければどうにもならん。
自慢じゃないが、俺の日本史レベルは「マンガ日本の歴史」レベルだ。小学校の間は飽きるほど読んだ。次のページに何が出てくるかを把握できてるくらい、何度も何度も読んだ。ファミコンの時間も制限されていたし、習い事に時間を潰されていた。隙間時間の暇つぶしになるのがそれくらいしかなかった。wifiもスマホもネットもなかった。テレビも1家に1台がデフォルトだった頃の昔話だ。おかげで高校受験の時、勉強しなくても困らないくらいには覚えていた。流れは理解できている。
だが、それだけなんだ。年表は覚えてない。西暦も分からん。と言うかそもそも「西暦」と言うくらいだから、俺の推測通りの江戸時代だった場合、まだ入ってきていない可能性すらある。それでもまぁ、江戸時代ならば200年以上も続いた時代だ。幕末のごたごたに巻き込まれない限り、一般庶民は平和に生きていけるんじゃなかろうか。とは言え、父はおそらく武家階級ではある。そして俺は次男。俺の父親はどうも養子に入ってきたっぽい。同じ道を辿る可能性があることも、考慮しておかねばならん。
そんなことを考えながら寝転がっていると、つい癖で母のおっぱいに手が伸びる。良いだろ、まだ甘えたい年ごろなんだから。三つ子の魂と言うじゃないか。




