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side 神主の爺様と父
「この一年のあの子、藤二じゃったか、おかしな所はあったか?」
「ちょうど伺いました日に実家へ寄りまして、私が昔買った塵劫記を与えましてからは、読みも書きもすらすらと読めるようになってまいりました」。
「お主は算術までは出来たが、算法にはさして興味がなかった覚えがあるが、なぜゆえ塵劫記を取って置いたのじゃ?」
「次男でしたゆえ、身に付けるものは多いに越したことはないと考えました。何より関流のお膝元でもございますし、縁ができればとも思いましたが、縁より何より、才に恵まれませんでしたわ。寺子屋で習うこと以上の所は解けませんでした」。
「あの書の才があれば、余分なことなどせずとも大丈夫じゃったろうに」。
「恐縮です。幸いにして婿入りの口が見つかったことから、働き口には困らずにすみました。また、日野でも代書を頼まれることが多く、お師匠様の教えのおかげでございます」。
「書の才だけでも働き口がなければ、ウチの寺子屋の師匠の口も用意してやったぞ」。
「ありがたきお言葉で。ところで藤二が何か?失礼なことでも致しましたか?」
「安心せい。何もしとらん。ただ話しておっただけじゃ。ところでお主、あやつに塵劫記を与え、読み書きができるようになったと言っておったな」。
「はい。以前も申しました通り、算術に興味を持つ子で、日野の寺子屋の師匠にもそう言われております。好きなものを読むために読みを覚え、書きも兄の弥一よりも上手やもしれませぬ」。
「あやつ、塵劫記を読み物とは思っておらぬぞ。実際に解いておる」。
「まことですか?家ではうんうん唸りながらぶつぶつ言っているだけでした故、日の出ている時間だけにせよ、と申し付けた次第ですが」
「あれは奇才じゃ。天才とは違う。秀才とも違う。奇才と呼ぶが相応しいの」。
「…奇才、でございますか。いや、思ってもいないことを言われまして、なんと言えば良いのやら」
「一年ほど前に来た時に、あやつが言っておったことがずっと頭から離れんでのお。『読めぬから解けぬ』と。これすなわち、『読めれば解ける』ということに他ならん」。
「それのどこが奇才と?」
「そう急くでない。まず、算法好きがそれなりに来る神社じゃが、『読めるが解けぬ』者がほとんどじゃ。それが普通じゃ。ましてあやつの年じゃと九九すらままならん。弥一じゃてそうじゃろ。それができる。そこまではただ、算術が得意な子じゃ。奇しくもお主こそ、この性質じゃったはず。そうじゃろ?」
「確かにそうですな」
「これが算法好き、算法が得意とはならんのが算法の不思議なところでの。算術は得意じゃが算法好きでないものは、珍しくもなんともない。それに比べて書はどうじゃ。得意じゃから好き、好きじゃから得意、それが成り立っておる」。
「仰ってることはなんとなく分かります」。
「算法というのはな、これは儂なりの考えなのじゃが、実際に測り得ないものを測るためにはどうしたら良いか、というものなんじゃと思うとる。測る対象が広さなのか、石高なのか、高さなのか、方角なのかが違うだけでの。だれも富士山の高さも江戸城の高さも知らぬ。じゃが測りたい。それが算法家の欲望なんじゃと、儂は思うとる。言い換えれば、欲望に取り憑かれとるとも言えるわな」。
「確かに儂には『何のために』という気持ちが常にあって、塵劫記も途中で諦めたやもしれませぬな」。
「でじゃ、話を藤二に戻すと、あやつにはその欲望は全く感じない。それどころか、ある種達観している様にすら見える。じゃが、算法家の持つ理とは全く別の理で、塵劫記の問いを解き、解を読み、その感想が『あまり気持ち良いとは感じないため、解が合っているかどうかしか参考にならぬことが多い』と申しておった。つまりな、まず大前提として解けておる。その上であやつにはあやつなりの理と解法があり、それと比べておる、ということなのじゃ。あんな童なのにじゃぞ」。
「算法の才のなかった者としては、どう考えれば良いのか分かりかねますが、お師匠さんはどのようなお考えで?」
「とりあえずはまだまだ子供じゃ。何をさせるにも早すぎる。まだ様子見で良い。ただ、あと一年もせぬうちに儂の所へ報告に来たがるじゃろう。藤二が『行く』と言うたら連れてまいれ。お主がやるべきは、成長の邪魔をせぬことじゃ。無理に塵劫記を取り上げたり、またはけしかけたり、教えを請わせたり。余計なことをせねば良いと思うぞ」。
「左様でございますか。ではそのように見守ることとします。あっ、ちょうどあちらに見えましたのが、家内と義理の母、弥一と美祢にございます」
「待たせるわけにはいかぬな。時間を取らせて悪かった。日野のお主の所にいずれ荷を届けるゆえ、藤二に渡してやってくれ」。
「はあ、ありがとうございます…」




