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魔法学園ルミナスアカデミー魔法部は、今日も恋の予習中

作者: 上下サユウ

短編新作です。

 私、リリィ・カナンは、魔法学園ルミナスアカデミーの二年生。

 今日も図書館の奥の禁書コーナーで、こっそりと魔法の実験をしている。


「……ふう、これで成功するはず」

 机の上に置いた禁書を広げ、その上に小さな紙を置いて呪文を唱える。

 すると、小さな紙が淡い光を放ち、ふわりと舞い上がった。


『今だ! 私の想いがあの人に届きますように……』


 ――恋の魔法。

 想い人に願いを込めて書いた言葉を相手に届ける、古代の“共鳴魔術”。本来は儀式が必要とされる禁呪魔法だけど、私はつい好奇心に負けて、禁呪魔法を使ってしまった。


「……って、やばっ!」

 人の気配がした。私は慌てて宙に浮いた紙切れを掴むと、後ろを振り返る。

 そこにいたのは、まさかの学園一の天才魔法師――アレン・ヴァレンティスだった。


 青銀の髪、冷たい瞳。常に完璧で近寄りがたい彼が、どうしてこんな所に?


「ど、どうされたんですか……?」

 思わず声が震える。

 彼は何も答えず、ただ私の手元をじっと見つめた。


「その紙……」

「あ……」


(バレちゃったよ……)

 咄嗟に後ろ手に持つ紙をくしゃくしゃにした瞬間、紙がひとりでに再び宙へと浮かび上がった。小さな紙は光の矢となって図書館の奥へ飛んでいった。


「あっ、待って、それは……!」


 止める間もなく、禁書の魔法が発動した。

 まさか本当に発動するなんて思いましなかった。


「リリィ・カナン、今の魔法は?」

 彼の低い声に肩が跳ねる。

 私は必死に言い訳を探した。


「い、今のは、その、た、ただの実験です!」

「禁書を使った“実験”か。勇気があるな」


 彼は淡々とした口調で言いながら、机に置かれた禁書を手に取る。完全に終わった。

 禁呪魔法を使ってたとなると、停学……いや、退学になっちゃうかもしれない!?


 彼が目を細めながら口を開く。


「この魔法は想い人の心へ自身の感情を伝える“共鳴魔法”。感情の制御ができなければ暴走し、相手の魔力を乱す危険がある」

「そ、そんな危険が!?」

「知らなかったのか?」

「……はい。ちょっと可愛い呪文だなと思って……」


 沈黙。

 彼は深いため息をつくと、禁書を閉じた。


「君の魔力量なら、軽い恋文でも十分危険だ。制御を学ぶ必要があるな」

「せ、制御ですか……?」


 その瞬間、彼の瞳が静かに光を帯びた。


「リリィ・カナン、明日の放課後に俺の部室で補習だ」

「補習!? な、なんの補習ですか……?」

「“恋愛魔導学”だ。感情と魔力の関係を学ぶ授業――ちょうど実験相手を探していたしな」


 恋愛魔導学。

 それは“感情を魔力に変換する理論”を学ぶ、上級課程の特別科目。

 普通の学生が触れられる領域じゃない。


「そ、そんな私が!?」

「リリィ・カナン、君はもう少し計画的に恋を学んだほうがいい」


 そう言って、彼はほんのわずかに微笑んだ。

 その表情は冷たくも優しくも見える。


「計画的に恋ですか……?」

「あぁ。いいな、明日の放課後、第三実験室に来るように。逃げるなよ?」

「に、逃げません!」


 彼が去ったあと、私は呆然とその場に立ち尽くした。

 まさか恋文を遊び半分で飛ばしただけで、“天才魔法師の特別補習”を受けることになるなんて。


(……いや、待って。これってつまり、放課後にアレン様と二人きりってことだよね!?)


 胸の鼓動が禁書よりも危険な音を立てて鳴っていた。


 ◇


 翌日。

 私はずっと昨日のことを考えていた。


 禁呪魔法を見られた。

 それもあの、アレン・ヴァレンティスに。


「計画的に恋を学んだほうがいい」


 思い出すたびに顔が熱くなる。

 あんなの公開処刑だったよ。


「リリィ? また顔が赤くなってるけど大丈夫?」

 隣の席のミアが、呆れ顔で私を覗き込んだ。


「ち、違うの! 昨日ちょっと実験でね!」

「ふーん? “実験”ね? ……それ、誰かさんに見られたとか?」

「な、なんで知ってるの!?」

「顔に書いてあるのよ。“恋文を見られました”って」


 ああ、もう。この子ほんとに鋭い。


「それで? 相手は、あの無表情王子こと、アレン様?」

「うっ……」

「当たりか。あ~やっぱりね。リリィは地味にトラブル引き寄せ体質だもんね」


 ぐうの音も出ない。


 ……と、そこへ。


「――リリィ・カナン」


 教室のドアが開いて、静かな声が響いた。

 全員の視線が一斉にそちらを向く。


 アレン・ヴァレンティス。

 ルミナスアカデミーが誇る魔法理論学科主席。成績は常に首位、容姿端麗、でも近寄りがたいことで有名。


「ちょっと!? 本人登場!?」

 ミアが小声で悲鳴を上げる。

 私は、机の下で膝をぶつけながら立ち上がった。


「痛っ! ……な、なんですか、アレン様?」

「話がある。来てくれ」


 教室がざわつく。

 まるで王子が平民に声をかけたような反応。

 確かに彼は誰かに話しかけるタイプじゃない。

 でも、まだ約束の放課後じゃない。


 私は逃げ場をなくし、半ば引きずられるようにして教室を出た。


 ◇


 高い天井、ずらりと並ぶ魔法書の棚、昨日の魔法図書館に連れて来られた。


「昨日と同じ図書館ですけど?」

「そうだ。昨日の件について、少し整理しておきたかった」


 そう言った彼が、『恋愛魔導理論序説』と書かれた魔導書を見せてきた。


「これを使ったな?」

「うっ……はい……」

「昨日も言ったが、恋文の魔法書は危険だ。相手の感情に干渉する。軽い実験のつもりだったのなら、無自覚とはいえ無謀だ」

「ご、ごめんなさい! でも、やっぱり可愛い呪文だなと……」

「可愛いで魔法を選ぶな」


 鋭いツッコミに、心がずしんと沈む。

 彼はため息をつき、魔導書を机に置いた。

 その指先が少しだけ震えているのが見えて、なぜか胸が締めつけられる。


「実は昨日、君の魔法で飛んだ手紙が届いた」

「えっ!? どこに!?」

「俺の机の上だ」

「……ええぇっ!?」


 その瞬間、頭の中が真っ白になった。


「だから言っただろ。恋文の魔法だと」

「ち、違うんですっ! あれは練習で! 本気じゃなくて!」

「……本気じゃない?」


 彼の目が、わずかに細められた。

 静かで冷たい瞳。


「だが、確かに書かれていた。“私の想いが、あの人に届きますように”とな」

「ひゃぁああああああっ、読んでるううう!?」


 恥ずかしさの極みで床に沈みたい。

 いや、いっそ土に還してほしい。


「――で、結論だが、俺が作った恋愛魔法部の“恋愛魔導学”を受けてもらう」

「恋愛魔道学……?」

「君には“感情魔法”の扱いを教える必要がある」

「で、でも私、そういうの得意じゃなくて……」

「だろうな。だから予習から始める。約束通り。放課後にここに来い。恋の魔法を正しく使えるようにしてやる」


(……やっぱり天才魔法師と恋の予習授業が始まるってことだよね……?)


 ◇


 放課後。

 ルミナスアカデミーの中庭は夕陽に染まっていた。

 生徒たちの笑い声が遠ざかるころ、私はひとり――いや、ひとりではない。


「ここで本当に恋の予習をするんですか?」

「あぁ、そうだ。だが遅かったな」

「ご、ごめんなさい! 途中でお友達のミアにデート? とか言われて……」

「デートではない」

「分かってます!」


 彼の冷静な声に、心臓がまた変な動きをする。


「では始める。今日は“感情魔法”の基礎からだ」

 そう言って彼が開いたのは、金の文字が刻まれた魔導書――『共感と干渉の理論』。


「感情魔法は詠唱よりも心の動きが重要だ。たとえば、“好き”という気持ちを正確に形にできなければ、伝わらない」

「なるほど……。でも、どうすれば正確にできるんですか?」

「まずは感じることだ」

「……か、感じる?」


 彼は静かに頷き、片手を差し出した。

 白く長い指。微かに魔力の光が灯っている。


「手を」

「えっ?」

「躊躇するな。魔力を合わせる練習だ」


 私は、おそるおそる手を伸ばした。

 指先が触れた瞬間、温かいものが流れ込んできた。


「……っ」

 胸が、少し苦しくなる。

 まるで誰かの心がそのまま伝わってくるような感覚。


「これが“共感魔法”だ。互いの感情を読み取る訓練になる」

「アレン様の気持ち……?」

「今の俺の感情が伝わったか?」

「えっと……すごく落ち着いてて、でも、ちょっとだけ優しい……?」


 彼の眉がわずかに動いた。


「――正解だ」


 その瞬間、魔力の糸が消える。

 けど、指先に残った熱だけは消えなかった。


「次は君の番だ。感情を形にしてみろ」

「私の感情……」

 どうしよう。さっきのアレン様の手の感触がまだ残ってて落ち着かない。

 これじゃまともに魔法なんて使えないよ。


「集中しろ、リリィ•カナン」

「は、はい!」


 私は両手を胸の前で組んで深呼吸をした。

 好きじゃなくてもいい。

 あたたかい気持ち、それを魔力に変えて。


 ――ふわっ。

 手のひらから淡いピンクの光が生まれた。


「おぉ……!」

「悪くない」


 彼がわずかに微笑む。

 それはほんの一瞬。でも確かにそれは微笑みだった。


「い、今の……」

「何だ?」

「笑いましたよね!? ねっ!?」

「気のせいだ」


 そっぽを向く彼の横顔がうっすら赤い。

 ――まさか照れてる?


「ふふっ」

「なぜ笑う」

「だって、“無表情王子”が照れてるなんて、すごく貴重ですから」

「授業中にからかうな」


 彼は咳払いをしながら本を閉じた。


「今日はここまでだ。明日は恋愛感情を魔法式に変換する方法を教える」

「それってつまり……?」

「誰かを好きになる気持ちを、魔力として理解する訓練だ」


 それ、なんかすごく危険な授業なのでは!?

 でも胸が、少し高鳴っていた。

 明日、またアレン様と会える。

 それだけで、なんだか“恋の予習”が楽しみになってきた。


 ◇


 次の日の放課後。

 私はまた魔法部の扉の前に立っていた。

 昨日よりも鼓動が速い。いや、もう予習どころじゃない。完全に“恋の本番”みたいな緊張感。


「よし落ち着け、リリィ・カナン。これは魔法の訓練。ただの訓練」


 そう言い聞かせながら扉を開けると、彼はもう机の前に立っていた。

 白い制服の袖をまくり、静かに光魔法の陣を描いている。


「来たか。昨日の“共感魔法”はよくできていた」

「ほ、ほんとですか!?」

「表情に魔力の揺らぎが出ていた。悪くない」


 彼は淡々としているけど、その言葉の一つひとつが嬉しくて、私は無意識に笑っていた。


「今日は“恋愛感情の式変換”を行う」

「恋愛感情の式変換……?」

「そうだ。人を想う心を魔力式として変換する。感情の純度が高いほど魔法は強くなる」


 彼は指先で光の数式を描く。

 幾何学模様のような文字が空中に浮かび、淡く脈を打っていた。


「これは、アフェクション式と呼ばれるものだ」

「えっと、それって、つまり恋の魔法ってことですよね?」

「簡単に言えばそうだ。だが、扱いを誤れば危険でもある」


 彼の声が少しだけ低くなった。

 その一瞬の変化に、私は気づく。


「アレン様、もしかして使ったことあるんですか?」

 彼は、ほんの一瞬、手を止めた。


「……いや。俺はこの式を使えない」

「え?」


 いつも冷静で完璧なアレン様が使えない魔法なんてあるんだ。


「理由を聞いてもいいですか?」

「……昔、俺はある人を守るために、“恋を封じる魔法”を自分にかけた」


 ――恋を封じる?


「それ以来、“想う”という感情が、魔力として反応しない。だから、この式だけは完成しないんだ」


 彼の横顔が夕陽に染まる。

 静かで美しくて、でもどこか寂しげだった。


「でも、それって悲しくないですか?」

「悲しいかどうかは、もう分からない」

「それなら、私が――」

「それなら?」

「私が、その魔法を解くお手伝いをしてもいいですか?」


 言った側から、自分でも驚いた。

 こんな大胆なことを、どうして?


 彼はわずかに目を見開き、そして少しだけ笑った。

 そう、ほんの少し。

 昨日よりも確かに笑っていた。


「勝手だな、君は」

「いいじゃないですか。魔法部は恋の予習部でもありますし」


 彼が小さくため息をつきながら、再び光の式を描いた。

 その手を私の方へ差し出す。


「なら、やってみるか?」

「はい!」


 手と手が触れて魔法陣が二人を包む。

 ピンクと白の光が混ざり合い、淡い花弁のように舞い上がる。


「これは……」

「君の“想う心”が反応している。強く、とてもまっすぐだ」

「それって、アレン様にも伝わってますか?」

「……あぁ、あたたかい光だ」


 彼は瞳を細める。

 その表情に、わたしの胸はきゅっと締めつけられた。


「……アレン様」

「なんだ?」

「笑いましたね」

「気のせいだ」

「気のせいじゃないです!」


 思わず大声を上げて、二人とも吹き出した。

 笑うことが、こんなにも嬉しいことなんだって。


 光の中で彼が小さく呟く。


「もしかしたら、君なら本当に俺の呪いを解けるかもしれないな」


 その声は少し震えていて、でも確かに恋をしている人の声だった。


 魔法部の部室に、少しだけ春の匂いがする。

 窓を開けると、風がふわりと髪を撫でる。

 でも胸の鼓動のほうがもっと落ち着かない。


 ――だって今日は、“恋の式変換”の続きをやるんだから。アレン様と、ふたりきりで。


「リリィ•カナン、昨日の式はよく覚えているか?」


 彼は机の上に魔法陣の下描きを広げながら言う。

 いつもどおりの冷静な声。けど、光に照らされた横顔はどこか柔らかくて目が離せない。


「は、はい! “アフェクション式”、感情のエネルギーを魔力に変換する、でしたよね?」

「正解だ。では今日は感情の種類を絞って試してみよう」

「種類?」

「“恋慕”だけを抽出する」


 こ、恋慕……。つまり、“好き”の気持ちをそのまま魔力に変えるということ……?


「そ、そんなの危なくないですか?」

「危険だ。だから俺が制御する」


 そう言った彼は、私の手をそっと取った。

 指先が触れる。

 ……それだけで胸の奥が爆発しそうになる。


「集中しろ。心拍が速すぎる」

「無理ですよ、そんなの!」

「平常心を保つのも訓練のうちだ」

「アレン様が手を握ってる時点で無理なんですっ!」


 私の抗議にも彼にはまるで動じない。

 その静けさが逆にずるい。


 やがて、ふたりの間に小さな魔法陣が浮かんだ。

 ピンク色の光が脈を打つたびに、彼の瞳も同じリズムで揺れる。


「感じるか? これが“恋慕の式”だ。君の感情が形になっている」

「わ、私の……?」

「正直、強すぎる」

「えっ!?」

「抑えろ。このままでは暴走する」


 光が強くなり、風が巻き起こる。

 机の上の本が舞い上がり、部室が淡い光に包まれていく。


「リリィ•カナン、俺の声を聞け」

「は、はい!」

「考えろ。誰のことを想っている?」

「え、えっと……」


 ――“あなたに決まってるじゃないですか!”

 心の中で叫んだ瞬間、光が弾けた。


 世界が一瞬、止まる。

 次に気づいたとき、私は彼の胸の中に倒れ込んでいた。


「……大丈夫か?」

「だ、大丈夫です……たぶん」


 顔が近い。

 鼓動の音が互いに聞こえるほど近い。


「まさか、ここまで強いとはな」

「ご、ごめんなさい! 気持ちが勝手に暴走して……!」

「いや、悪くない。むしろ――」


 彼が、私の頬に触れる。

 その手はあたたくて優しい。


「君のおかげで、俺の“封じた感情”が少しだけ動いた気がする」


 その言葉に胸がぎゅっと掴まれる。


「笑いましたね」

「笑ってない」

「本当に笑ってたんです!」

「……そうかもな」


 そう言って、彼はふっと目を逸らす。

 耳の先が少し赤かった。


 ――もしかして、今の笑顔は、私の“恋慕”が届いた証拠かも。


 ◇


 翌日の放課後。

 部室に、私はひとり残っている。

 机の上には、昨日の“恋慕の式”の魔法陣が、まだ淡く残光を放っていた。


「……あのときの光、やっぱり、ただの暴走じゃなかったよね?」


 胸の奥がまだ少し熱い。

 思い出すたびに彼の手の温度や、耳まで赤くした顔がよみがえる。

 あんなアレン様、初めて見た。


 そのとき、扉が静かに開く。

 音もなく現れた彼が、まるで影のように入ってきた。


「まだいたのか?」

「アレン様こそ」

「様はやめろ。部室ではアレンでいい」

「えっ!? ……あ、アレン……君……」

「その方がまだ自然だ」


 彼の表情はいつも通り無機質だけど、どこか柔らかい。

 昨日の出来事で、少しだけ距離が近くなった気がする。


「その昨日の式、失敗だったんですよね?」

「失敗ではない。ただ想定外に深く繋がってしまった」

「繋がったとは?」


 彼は私の前に立ち、右手を軽く差し出した。

 私も反射的に手を伸ばす。指先が触れたその瞬間――胸の奥で、誰かの感情が流れ込んできた。


 静かな波。

 孤独、焦燥、そして優しさ。


「……これ、アレン君の気持ちですか?」

「たぶん、そうだ。昨日の暴走で俺たちの魔力回路が共鳴した。君の感情と俺の感情が部分的に混線している」

「そんな……」

「つまり君が何か感じれば、俺にも伝わる。逆も然りだ」


 私の顔が一瞬で熱くなる。

 ――今の恥ずかしい気持ちも伝わってるってこと!?


「伝わってる」

「えっ!?」

「顔を赤くしてる理由なら、説明しなくても分かる」

「や、やめてください」


 私が慌てて距離を取ると、彼は珍しく小さく笑った。


「本当に表情豊かだな。君を見ていると少しだけ息がしやすくなる」

「アレン君?」

「俺は感情を抑える訓練を受けてきた。幼いころの“魔力暴発”で、人を傷つけたことがある。それ以来、感情を表に出すのが怖くてな」


 その声には、わずかな震えがあった。

 無表情の裏にそんな過去があったなんて。


「でも君の感情が流れ込んできて、少し分かった。笑うことは……悪くない」


 心臓が跳ねた。

 彼の瞳に確かに温度が宿ってる。


「ただし問題が一つある」

「問題?」

「この共鳴は時間が経つごとに強くなっている。君が強く感情を揺らすたびに、俺も反応してしまう」


 まるで運命の糸で結ばれているみたい。

 けど、それは決して甘いだけの絆じゃない。


「最悪どちらかの感情が崩壊すれば、魔力の均衡も壊れる。共鳴が破綻すれば、命にも関わる」

「そ、そんな……!」

「だから、できる限り落ち着け。特に“恋”に関する強い感情は危険だ」


 ――そんなこと言われても。

 だって私、あなたのことを想えば想うほど、心が動いてしまうのに。


 彼はふと、窓の外に目を向けた。

 夕陽が差し込み、赤い光が彼の横顔を照らす。


「君と繋がってから、ずっと心臓が騒がしい。これは副作用なのか、それとも……」

「え?」

「何でもない」


 言いかけた言葉を、彼は飲み込んだ。

 でも、もう私は気づいてしまった。


 ――この“共鳴”は、ただの魔法じゃない。

 たぶん、“恋”の形なんだ。


 その夜。

 ベッドに横たわっても、まぶたの裏に彼の顔がちらついて眠れなかった。

 あの穏やかな声も、少しだけ笑った口元も、全部が胸の奥をくすぐって離れない。


「……恋の感情は危険だって言ってたのに、これじゃ全然落ち着けないよ」


 ため息をついて目を閉じる。

 その瞬間、視界がふっと揺らいだ。


 ◇


 気づけば、私は知らない場所に立っていた。

 夜の庭園。

 淡い光を放つ花が風に揺れている。

 でも、どこか懐かしい。夢の中だと分かっているのに心臓の音だけが、やけに現実的だった。


「……ここは?」


 私の声が不思議と大きく響く。

 そのとき、背後から名前を呼ばれた。


「リリィ•カナン」


 振り向くと、そこにアレン君がいた。

 白いシャツの襟元を少し開き、髪が夜風に揺れている。夢だというのに、その存在感はあまりにも鮮明だった。


「アレン君……夢の中まで出てくるなんて」

「俺も驚いている。眠ったら突然ここに来た。どうやら共鳴がさらに強くなったらしい」


 夢の中にまで繋がるなんて、そんなこと嬉しいようで怖いよ。


 私は視線を逸らし、足元の花を見つめた。


「でも、少し嬉しいです。こうして話せるの」

「そうか」

「うん。アレン君といると不思議と安心するんです。最初は無表情で怖い人だと思ってたんですけど」

「怖い?」

「だって、いつも目が真剣すぎるんだもん」


 私の言葉に彼はほんの一瞬だけ口の端を上げた。

 ――笑った。

 ほんの少しだけど、確かに。


「リリィ•カナン、君は本当に危険だ」

「え?」

「俺の感情が抑えられなくなる」


 低い声。

 その声が、夜の庭園の空気を震わせた。


 彼はゆっくりと近づいてくる。

 足音がひとつ、またひとつ。


「アレン君……」


 息が詰まるほどの距離まで近づいたとき、彼の瞳が私を映した。

 その中に恐れと優しさと、確かな恋情が混ざっている。


「君が笑うたびに心が熱くなる。こんな感情を抑えられるはずがない」

「それは副作用……なんですよね?」

「そうかもしれない。だが、もしこれが“恋”だとしたら、俺はどうすればいい?」


 彼の手が、そっと私の頬に触れた。

 あたたかい。

 夢なのに涙がこぼれそうになる。


「……私は、アレン君のことを好きになってしまったかもしれません。いえ、それはきっと、ずっと前から……」

「リリィ……」


 その瞬間――庭園の花々が一斉に光を放ち、風が巻き上がった。


「共鳴が……!」

 彼が私を抱き寄せたそのとき、世界が白く弾けた。


 ◇


 目を開けると、そこはベッドの上。

 胸の上に淡く光る紋章が浮かんでいる。


 そして同じ刻印が、彼の胸にも。

 まるで、ふたりの心が一つになった証みたいに。


 カーテンの隙間から光が差し込んでいるのというに、胸の奥は、まだ夜の夢の続きを引きずっていた。


 あの光、あの温もり、アレン君の声。

 全部、夢のはずなのに。

 ゆっくり起き上がると、自分の胸元がかすかに光っている。


 ――小さな紋章。

 心臓の鼓動に合わせて、まるで呼吸をしているかのよう。


「……あれ、やっぱり夢じゃなかったんだ」


 まぶたを押さえる。頬が少し熱い。

 昨夜、彼と夢の中で抱きしめ合った瞬間。

 あの光の後、気を失うように眠って……気づけば朝。


 まさか、本当に『魂の契約』だなんて……。


「リリィ、大変!」


 部室に入るなり、ルナが机にバンッと手を置いた。

 その後ろで、セリスとロイも顔を見合わせている。


「な、何?」

「学園中が騒ぎになってるの。夜中に校舎の上空まで“光の柱”が立ったって!」

「光……」


 それ、絶対私たちのせいだ。


「話は聞いた」

 アレン君が教室に入ってきた。


 いつもの冷静な表情なのに、どこか気まずそうに視線をそらされる。

 彼の胸元にも、私と同じ紋章が淡く光っていた。


「……アレン君、それ」

「ああ。君と俺、同じ模様だな」

「やっぱり……」


 部室の空気が一瞬で重くなる。

 セリスが眉をひそめ、ルナが半ば興奮気味に叫ぶ。


「まさか、“魂契約”じゃないの!? 二人の心と魔力が完全に共鳴した時にだけ現れる、学園の伝説といわれてる印!」

「でも、それは恋人どころか、魂そのものを共有してるってことじゃ……」


 ロイの言葉に、私は顔が真っ赤になる。


「そ、そんな大げさな……!」

「理論的にはありえる。共鳴魔法は魔力の波長と感情の位相が一致したときに発動する。昨夜の夢、おそらくは無意識下で同調が起きた」

「つ、つまり……?」

「君と俺の感情が限りなく近づいたということだ」


 真顔でその言い方はずるい。

 視線を合わせるだけで、胸が高鳴る。


 ◇


 その日の放課後。

 校舎裏の大樹の下で、アレン君と二人きりになった。


「みんなの前で話すのは気まずいのでな」

「うん……」


 彼は少し沈黙してから、まっすぐこちらを見た。


「君は昨日のことをどう思っている?」

「どうって……」

「俺に“つながってしまった”ことを後悔していないか?」


 その言葉が胸の奥に刺さる。

 彼がそう訊くのは、きっと優しさからだ。


「後悔なんてしてません」


 私は少しだけ笑ってみせた。


「アレン君と一緒にいられるなら、たとえ呪いでもいい」


 彼の瞳がわずかに揺れた。

 次の瞬間、そっと手を伸ばしてきた。


「君は本当に危険だ」

「またそれ言うんですか?」

「俺が冷静でいられなくなる」


 その言葉の後、彼の手が私の頭に触れた。

 あたたかくてどこか切ない。


「リリィ•カナン……いや、リリィ、もしこの契約が完全に発動したら、俺たちの魔力は融合する。君の感情が俺に流れ込み、俺の感情が君を侵す」

「……それでもいいです」

「なぜ、そう言える?」

「だってアレン君の心をもっと知りたいから。ちゃんと隣にいたいから……」


 その言葉に彼は目を閉じた。

 そして、わずかに微笑んだ。

 それはこれまで見た、どんな魔法よりも優しい頬笑みだった。



 その夜、再び夢の中で彼と出会う。

 けど、そこにはもう“光の庭園”はなく、柔らかな月明かりに照らされた白い部屋だった。


「来たな」

「また共鳴ですかね」

「そうだな」


 彼が一歩近づく。

 そして囁くように彼は言った。


「君がここに来るたび、俺の心が少しずつ自由になっていく」

「自由ですか?」

「長い間、感情を閉じ込めていたからな。だが、君が笑うと抑えていた何かが緩むんだ」


 そう言って、彼は静かに手を差し出した。

 私は彼の手を取ると、世界が光に包まれて、ふたりの間に小さな花が咲いた。


 それは、“心の形”そのもの。

 どんな魔法よりも美しく、あたたかかった。


 ◇


 魂契約の印が現れてから三日が経った。

 それ以来、学園では妙な噂が飛び交っている。


「ルミナスアカデミーに、運命のペアが現れたらしいぞ」

「手を繋ぐだけで魔力が共鳴するのよね?」

「相手はあの無表情の天才魔法師だってよ!」



(みんな好き勝手言っちゃってさ……。アレン君もちょっとは反応すればいいのに)

 ……その“天才魔法師”が、目の前で静かに紅茶を飲んでいる彼のことなのは言うまでもない。


「みんな言いたい放題ですね」

 私が呆れ混じりに小さく呟くと、彼は表情を変えずにカップを置いた。


「噂というものは事実から離れるほど熱を帯びる」

「なんか詩人みたいなこと言いいますね」

「統計的事実だ」

「……そういうとこです!」


 私がため息をつくと、彼の口元がほんの少しだけ動いた。それが笑ったのかどうか、確信は持てない。


 ◇


 放課後の部室。

 今日は恋愛魔法の“実験”という名の、ルナの暴走企画の日だった。


「というわけで! リリィとアレンの共鳴度を測定します! 題して、“手を繋いでどきどきテスト〜”!」

 ルナが腰に手を当てて、ドヤ顔で言った。


「名前のセンスがひどいな」

「ロマンがないな〜、アレンは」


 ロイが呆れ顔で笑い、セリスが無言で頬を押さえる。

 私はといえば――心臓がすでに“どきどきテスト”の真っ最中なのだ。


「で、どうすればいいの?」

「簡単!」


 ルナが目を輝かせる。


「二人が手を繋ぐだけで、魔力共鳴の波形をこの水晶球に表示できるの!」

「科学的根拠がない」

「うるさい!」


 結局、押し切られる形でアレン君と向かい合うことになった。


 静かな空気。

 彼が手を差し出す。


「いいか?」

「は、はい」


 指先が触れた瞬間――ぱっと光が弾けた。

 水晶球が淡い金色を放ち、部室の中に花びらのような光が舞う。


「わあっ! 綺麗〜!」

「数値が……限界突破してる!?」


 ルナとロイの叫び声を聞きながら、私は息をのむ。


 彼の手は思ったよりもあたたかかった。

 その手の温度が心の奥に届く。

 気づけば、彼が視線を落としていた。


「危険だな」

「な、何がですか?」

「こうしていると感情の制御が難しい」


 その言葉に息が止まりそうになった。

 彼が私の手を強く握ると、水晶球がまぶしい光を放ち、「パンッ!」と弾けた。


「やはり君のせいだ」

「えっ?」

「この心臓の速さも、魔力の揺らぎも」


 彼の声がかすかに震えていた。


「全部、君に反応している」


 彼はそれ以上言葉を続けず、手を離した。


 ◇


 夜、寮の窓から見える月が、まるで笑っているみたいに見える。

 胸に手を当てると、まだ契約の印が温かい。


 ――“感情の制御が難しい”。

 彼の言葉が頭から離れない。

 あんなふうに揺れる瞳を見たのは、初めてだったから。


「私のほうが制御できてないよ……」


 そっと呟いてベッドに身を沈める。

 まぶたを閉じると、光の中で彼が微笑んだ姿が浮かぶ。

 夢のようで、でも確かにあたたかい記憶。



 翌朝。

 アレン君は以前より柔らかい表情で部室に現れた。


「おはよう」

「……おはようございます」

「今日の研究は恋愛魔法の続きだ。ルナがまた暴走しないうちに早く始めよう」


 そう言って、ほんの一瞬だけ私を見ると、少しだけ口の端を上げた。


 それは笑顔というにはあまりにも控えめ。でも確かに、彼が笑った瞬間だった。


 アレン君が笑った。ほんの一瞬だったけど、その光景は、何度思い出しても胸の奥がくすぐったくなる。


「……ふふっ」


 思わず声が漏れて、私は机に突っ伏した。


「何一人で笑ってんのよ、リリィ」


 隣でルナが顔をのぞき込んでくる。


「まさかアレンのことを考えてたとか?」

「そ、そんなわけ……」


 否定しようとしたけど声がうまく出ない。

 頬が熱い。


「図星ね!」

「うるさいなぁ……」


 ルナは満足そうに笑って、紅茶を啜る。


「まあ、いいけどさ。あの無表情なアレンが笑うようになったのは、リリィのおかげでしょ?」

「……私のおかげなのかな?」

「間違いないよ。見てるこっちが照れるくらい」


 そんな話をしていると、扉が静かに開いた。


「早速、始めるぞ」


 アレン君の合図で部活が始まった。

 今日は恋愛魔法の分析を一時中断して、“静心魔法”の練習をすることになった。


「感情を魔力に左右されず保つ技術だ。リリィも必要だろう」

「え、それって……」

「君は顔に出すぎる」

「うぐっ……」


 ルナとロイが後ろで吹き出す。


「そりゃリリィだもん、分かりやすいよね」

「まぁ、悪いことではない。静心の基本は呼吸と集中だ。俺が魔力を流す。君は自分の心を保て」

「了解です!」


 向かい合って手を取る。また、あのときと同じ。

 指先が触れるだけで心臓が跳ねる。


 目を閉じると、彼の魔力が静かに流れ込んでくる。


「リリィ」

「はい?」

「目を開けろ」


 言われるままに目を開けると、彼がじっとこちらを見つめる。


「君の魔力は温かいな」

「え?」

「昔の誰かに似ている。俺がまだ笑えた頃の誰かに」


 彼が、自分の過去を語るのを初めて聞いた。


「……昔ですか?」

「あぁ。小さい頃、俺の魔力が暴走して周囲を傷つけたことがあってな。それ以来、笑うと心が乱れて力が溢れるようになったんだ」

「それで感情を抑えるようになったんですね」

「そうしなければ、誰かをまた壊すと思った」


 彼の声が少しだけ震えた。

 その手を私は握り返す。


「アレン君は優しいから、本当は怖くて抑えたんじゃなくて、誰かを守るためだったんじゃないですか?」


 彼の瞳が大きく揺れる。


「君は、そう言うんだな」

「だって、そう見えますよ」



 その夜。

 月明かりが寮の庭を照らしていた。

 私は窓辺で、そっとペンダントを握る。そこには、彼がくれた小さな魔法石が埋め込まれている。


「ねえ、アレン君。いつか、ちゃんと笑えるようになるといいね」


 声に出しても、届くわけじゃないけど、私は思うままに言った。

 彼が笑えるようになるその日を、私は誰よりもそばで見たい、そう強く思った。


 ◇


 朝の鐘が鳴り終えると同時に、中庭の掲示板では、多くの生徒野ざわめきで包まれていた。


「きたわよっ! 期末試験のペア発表!」

 ルナが叫ぶ声に、私は目を丸くする。


「もうそんな時期なんだね……」

「“恋と魔法は似ている”って先生の言葉どおり、今年の試験テーマは“信頼”。ペアの絆が試されるって噂よ」

「信頼かぁ……」


 名前のリストに目をやる。

 “リリィ・カナン — アレン・ヴェルディア”


 ――まさかのアレン君。


「ぴったりじゃない!」

 ルナが背中を叩く。


「そ、そんなことないってば!」

「顔、真っ赤よ」

「ち、違うよ!」


 ……違うと言いながら、うれしかった。

 彼とならどんな試験でも乗り越えられる気がする。


 今回の試験は、いつもと少し趣向が違っていた。

 “心理共鳴魔法”の実技試験。ペアの感情や思考を魔法で読み合い、互いの意図を正確に読み取りながら課題を達成するというもの。


 言わば、“心を通わせる能力”が試される試験。


「これは恋の予習にもなるかもね」

 ルナがにやりと笑う。


「なるほど、君の言うことは信用できん」

 アレン君は無表情のまま答えるが、どこか緊張の色が隠せていない。



 森の中庭に移動すると、試験開始の鐘が鳴った。

 アレン君と二人、互いの魔力を繋ぎ、心を開く準備を整える。


「それでは、試験開始!」


 試験官の声と同時に、透明な球体が二人の周囲に現れる。球体の中では、自分の感情が光に色がついて浮かび上がる。


「なんだか恥ずかしいですね」

 思わず呟くと、彼が横目でちらり。

「君は平常心を保て」

 その言葉の抑揚だけで心臓が跳ねる。


 試験内容は、浮かび上がった光の色を正確に相手に伝え、ペアで同じ色の結晶を作り出すこと。

 色の濃さ、明暗、光の速度、すべてが完全に一致しないと結晶は消えてしまう。


「まずは赤色、情熱ですね」

 私は自分の胸の中の感情を思い浮かべる。


 彼を見ると、瞳の奥に薄い赤が揺れているのが分かった。


「正確だな」


 その一言で、心がふっと軽くなる。

 だが試験は簡単ではなかった。


 次の課題では、“虚偽の感情”を見抜くことが要求される。互いに心理を読み合い、偽りを見抜かないと結晶は作れない。


「リリィ、君は嘘を隠せているか?」

 彼の声が近くに響く。


「は、はい……なんとか」

 少し顔が熱くなる。


 試験なのに、まるで二人だけの秘密のゲームみたいに感じる。


 最後の課題は“協力による魔法融合”。

 互いの魔力を完全に同期させ、光の竜を作り出す。

 失敗すると魔力が跳ね返り、互いに軽く吹き飛ばされる。


「集中しろ」

「はい……」

 手を重ねて魔力を重ねる。

 すると、ふわりと暖かい光に包まれると、光が渦を巻いて、竜のように舞い上がった。


 成功だ。

 二人の息がぴたりと合った瞬間、笑いが自然とこぼれた。


「上手くできたようだな」

「はい!」

「今日の試験、どうだった?」

「思ったより簡単でした」

「そうか」


 短い会話の中で、心の距離が縮まっていく。

 期末試験は単なる魔力テストではなく、二人ペアの心を通わせるためのものだった。


 試験が終わった翌日。

 私は小さなため息をつきながら、寮の廊下を歩く。

 昨日の試験の余韻が、まだ心に残っている。


「おはよう、アレン君」

「おはよう」


 その日の授業は、「鏡魔法」の応用。

 授業内容は魔法で自分の心を映す鏡を作り、相手に見せることで内面の理解を深めるというもの。

 ただし相手の心を無理に読み取ろうとすると鏡が反発し、魔力が跳ね返ってくる危険がある。


 担当の先生が説明する。


「今日の課題はペアで鏡を作り、互いの心を映すこと。ただし無理に笑わせたり、感情を操作したりしてはいけません。自然体で接すること。それが一番の学びなのです」


 私はアレン君と視線を合わせる。

 昨日の竜の光の感覚を思い出す。


 試験が始まると、二人で鏡の魔法陣を描く。

 彼の魔力が私の魔力と絡まって、淡く青い光が私たちの周囲を包み込む。


 鏡に映ったのは昨日の竜ではなく、私たち二人の心の断片だった。


 私の中にある照れくささや小さな喜びが、光の粒となって浮かんだ。

 そして彼の中には柔らかい赤色が滲み出していた。


「見えたな」

「見ましたね……」

 

 鏡魔法は互いの感情を正直に映すものだけど、同時に自分の弱さも映し出した。


 彼の鏡には、無表情の裏に隠れた孤独や不安が揺れる。


 試験官の先生が回ってきた。


「よし、ペアとしての完成度は十分だ。だが魔法だけでは心に伝わらない。日常の中でも相手を理解しようとする気持ちが大事だぞ」

「日常でもですか?」


 アレン君は無表情のまま頷く。


「そうだ。言葉で、行動で、互いを知ることだな」


 その言葉を聞いた瞬間、私の心が熱くなる。



 放課後、魔法部の部室でアレン君と二人きりになる。

 ルナと他の部員たちは、まだ校庭で練習中だ。

 彼が私の隣に座る。

 無表情だけど、どこか落ち着いている。


「リリィ」

「はい?」

「昨日の試験、よく頑張ったな」


 普段なら無表情で通り過ぎる彼の言葉に、私は胸が跳ねた。

 私は心の中で小さく決めた。

 これからもアレン君の笑顔を引き出してみせる、と。


 ◇


 ルミナスアカデミーの午後は、昼下がりの柔らかい光に包まれていた。

 魔法部の部室は窓から差し込む光でほのかに暖かい。机の上には昨日の試験の魔法陣の写しや筆記具が散らかっている。


「ふぅ……やっと一息つけますね」


 私は机に肘をつき、ため息をつく。

 アレン君は無表情のまま窓の外を見ていたが、その目は少し遠くを見ているようだった。


「練習するか?」


 突然の声に、私は振り向く。


「え、練習ですか?」

「昨日の鏡魔法の続きだ。もっと自然に感情を映す練習をしたい」


 そう言われて魔法陣を描く。

 二人の魔力が交わり、部室が明るくなる。


 だが今日は、ただ鏡を作るだけではない。

 アレン君が鏡の前に立つと、目を閉じて私に手を差し伸べた。


「手、つなぐ?」

「はい……」


 戸惑う私をよそに、彼の手が私の手と触れる。

 温かさが魔法の光と一緒に伝わる。

 鏡には私たち二人の気持ちが光として浮かび上がる。

 私は思わず顔を赤らめる。

 その時、部室の扉がノックされた。


「やだ、何してるの二人とも!」

 ルナが飛び込んできた。


「練習……」

 私は慌てて説明する。


 ルナは目を輝かせ、にやりと笑う。


「ふふ、見せてもらうわよ、二人の『恋の予習』ってやつをね」


 アレン君は少し眉を寄せる。

 でも心の奥では笑みを浮かべているに違いないと感じる。私にはもう分かるのだ。


 今日の魔法部は、いつもより賑やかだった。ルナがあれこれと私たちにいやらしい質問をしてきたりと、大変だったけど、すごく充実した時間を過ごせた。


 笑いも、恥ずかしさも、照れも、全部魔法と一緒に少しずつ育っていく。――そんな風に思えた。


 部活終わりの帰り道。私はアレン君を誘って校舎の裏庭にやってきた。


「で、こんなところに来て何の練習をするんだ?」


 無表情のまま、でも柔らかく彼が訊いた。

 私は意を決して答える。


「こ、告白の練習……です……」


 彼が驚いていてる。

 でも、それはすぐに冷静な表情に戻って静かに頷いた。


「分かった。それなら俺が先に言うとするか」


 そう言った彼が、私をジッと見つめる。


「リリィ・カナン、君が好きだ」


 思わず私の胸が跳ねる。練習だと分かっていながら、私は恥ずかしさのあまり顔が赤くなる。


「つ、次は私の番です……」


 勇気を出して、私は小さく口を開く。


「……アレン君、私もあなたのことが……」

 言いかけたところで、ルナが駆け寄ってきた。


「ちょっとそんな所で何してるのよ! ふ〜ん、その雰囲気、私にもちょっと体験させてよ!」


 思わず笑ってしまった。

 彼を見ると、わずかにほころんでいた。


 夕暮れの校庭で、私たち三人は交代しながら告白の練習をすることになった。


 ――本当はこうなるはずじゃなかったのに。

 


 翌日の放課後、部室に行くとルナが私を見るなり、慌てて声をかけてきた。


「リリィ、恋の魔法が暴走したかもしれないよ!」

「えっ!?」


 昨日の感情を魔法に乗せる実験の続き。

 その魔法陣が消されずに部室に残っていた。

 魔法陣は光を放ちながら、呼吸しているかのように鼓動していた。


 それを見たアレン君が魔法の解析を始める。


「誰の感情が残ってる?」

「リリィの、だと思う」

「実験中にアレンのこと考えてたでしょ?」

「ち、違っ――」

 顔が一気に熱くなる。

 否定したいのに、光が強くなっていく。やっぱり私の感情に反応してるみたい。


 彼はその光を見つめながら、小さく息を吐いた。


「危険はなさそうだな」

「今の光って、なんの感情なの?」

 ルナが尋ねる。


「好意だな。しかもかなり強い」


(うわああああああああぁぁぁぁ――っ!!)


 部室の空気が一気に凍る。

 私の心臓も止まりそうになる。


「へえ〜、リリィ。ねえ、“誰に”とは聞かないけどさ~?」

「言わないでよ、ルナ! お願いだからっ!!」


 アレン君は黙ってるけど、その頬には赤みが差していた。




 その日の帰り道。校舎裏の並木道を歩いていると、背後から声がした。


「リリィ」

「アレン君」


 彼がゆっくりと近づいてくる。


「今日のことは気にするな」

「……はい」

「ただ、ひとつだけ、あの光を見たとき、俺も心が動いた」

「え……?」

「今まで感情を抑えるのが当たり前だったが、君といると……やはり、それが難しい」


 無表情で通してきた彼が、ほんの一瞬、穏やかに笑った。


「笑いましたよね?」


 私がそう言うと、彼は目を伏せて言う。


「リリィのせいだ」


 その言葉が嬉しくて、胸がぎゅっとなる。

 初めて彼の満面の笑顔を見た。

 それだけで魔法よりも温かいものが、胸いっぱいに広がった。



 数日後。

 期末試験の発表と同時に、魔法部の活動報告会が行われた。 


 テーマは、『恋と魔法の共鳴』。


 ルナは、ド派手な演出で会場を盛り上げ、アレン君は冷静に論文の発表をする。そして最後に私の番。


「――魔法には理論があるが、心にも理屈がある。だからこそ、恋と魔法は似ているものだと考えます」


 拍手が起こり、アレン君が静かにこちらを見た。

 視線が交わる。

 たったそれだけで、また心が熱くなる。

 発表のあと、部室に戻ると机の上に一枚の手紙が置かれていた。


 《ルミナス祭・夜会招待状》。

 ――アレン君からのメッセージだ。


 夜会の噴水広場、月明かりの下で待つ、と。


 私はその手紙の内容から、これから何が起きるのか分かった気がする。


 満点の星空。

 外は少し冷たい風が吹いてる。

 でも私はこれからのことで、体が火照っていた。

 街灯の明かりで照らされた噴水の水飛沫が綺麗に輝いてるのが見える。

 そして、そこに彼の姿があるのも。

 

 ◇


「リリィ・カナン」


 彼はいつもより穏やかな声で話しかけてきた。


「ひ、ひゃい!」


 緊張のあまり、声が裏返ってしまった。

 恥ずかしさのあまり、下を向く。


 でも、彼は冷静に淡々と告げる。


「次の予習は、“恋の本番”にしよう」


 そう言った彼は、ゆっくりも手を差し出した。

 私は涙を浮かべながら、その手を握った。

 そう、いつもより強く握りしめた。


 魔法学園ルミナスアカデミー魔法部の恋の予習は、今日をもって、最高の形で終わりを迎えました。



 〜 完 〜

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

リリィとアレンの後日譚も少しだけ書きましたので、二人の続きが気になる方は、↓から是非見てやってくださいませ。


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