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苦手な方はご注意ください。

王女は心中に失敗した

作者: 蛮野晩


『ルーデリア王女とクレイズ宰相(さいしょう)が駆け落ちした!』


 その日、王女と宰相が駆け落ちしたという醜聞(しゅうぶん)が王都を駆け巡った。

 醜聞を消そうと兵士たちが躍起(やっき)になるが、民衆の噂話を阻むことまではできない。

 人々が好奇心たっぷりに噂するには理由があった。


 三日前に宰相は毒を飲んで死んだはずだったのだから。


『三日前に死んだはずの宰相様が駆け落ちしたってどういうことだ?』

『死んでなかったのか?』

『でも兵士は駆け落ちはデマだって言ってたわ』

『あの焦った態度を見れば分かるだろ。デマってことにしたいのさ』

『それにしても驚いたな。宰相様は御年六十歳を越えてるだろ。王女様はまだ十七歳だ』

『ひえ~、いくらなんでも年の差ありすぎじゃないのか?』

『でも宰相様って素敵じゃない。グレイヘアのロマンスグレーなんて理想のおじさまって感じ』


 民衆はとんだ醜聞に他人事のようにはしゃいでいたが、ふと商人の男が深刻な顔で口を開く。


『……でもどうするんだ。王女は女王に即位したら帝国に嫁ぐことになっていただろ? だから帝国は俺たちの国に侵攻してないんだ。それなのに王女がいなくなったら……』

『そ、そうだ。王女には女王に即位してもらわないと……っ』

『大丈夫よ。この王国の大臣や貴族がこのまま王女を逃がすとは思えないわ』

『それもそうか。この王国の大臣連中は容赦ないからな』


 民衆は憶測を語りあう。

 王女と宰相が駆け落ちしたという醜聞は民衆にとってただの娯楽でしかないのだ。




 王都から遠く離れた街。その街は多くの旅人が立ち寄る大きな街で多くの人が行き交っていた。


「見て、クレイズ。とってもかわいいお菓子よ。こんなの初めて」


 私は露店でカラフルな焼き菓子を買った。

 露店に並んでいた焼き菓子は赤、ピンク、青、紫。毒々しいほどにカラフルだけど、このお菓子を見つめる子どもたちの瞳はキラキラ輝いていて、私もどうしても食べてみたかったの。


「これは最近流行している子どものお菓子だよ。子どもが好むように明るく鮮やかな着色料が使われている。味もだいぶ甘いはずだ」

「そうなんだ。……んーッ、あまい~!」


 口いっぱいに広がった暴力的な甘味。ただただ甘ったるくて細かい味なんて分からない。

 今まで食べたことがない味わいにびっくりしたけれど、これが平民の子どもが食べているお菓子なのね。


「不思議な味わい。でも子どもたちはこれが大好きなのね」

「そうらしい。見た目もかわいいと人気だそうだ」

「たしかに。かわいさと甘さは飛びぬけているわ」


 私はうんうん頷いた。

 おいしいかと問われれば難しいけれど、楽しいかと問われれば大納得だ。

 私は他にも露店を興味津々に見回した。

 ここには私が今まで見たことがない品々が並んでいる。子どもの時から食べているお菓子は一流菓子職人が作った上品な味わいのものばかり。まるで美術館に飾られている芸術品のような一品ばかりだった。

 他にも私が毎日着るドレスは上等なシルクで織られた高価なドレス。輝くような淡い色のドレスには金糸銀糸の刺繡が施されているものばかり。今までそれが普通だと思っていたけれど、街でそんなドレスを着ている平民は一人もいない。

 ここは私の国なのに、私の知らない広い世界が広がっていた。


「クレイズ、この世界は私の知らないことばかり。恥ずかしいわ、私はなにも知らなかったのね」

「ルーデリア王女……」

「んん? おうじょ~?」

「ルーデリア様……」

「んん? さま~?」


 敬称をつけて呼ばれて「んん?」とじろりと睨む。

 するとクレイズは少し困った顔をしながらも口を開く。


「……まったく、無茶を言う」

「無茶なんてないわ。ここではルーと呼んで」

「それは出来ない。せめてルーデリア様だ」

「ええ〜、それじゃあすぐに私たちに気づかれてしまうわ」

「なるべく外で名を呼ばなければいいだろう。これ以上の譲歩はできないよ」

「どうして? 何度もお願いしてるのに」


 私がじっと見つめると、クレイズも私の目を見つめる。

 クレイズに恋をしてから何度もお願いした。お城にいた時は仕方なかったかもしれないけど、駆け落ちして私はもう王女じゃなくなったのにクレイズは呼んでくれないのだ。

 二人して睨みあうように見つめあったけど。


「プッ。アハハッ、にらみあいっこみたい」

「なにを笑っている?」

「ふふふ、ごめんなさい。だってクレイズったら頑固(がんこ)なおじいさんみたいなんだもん」

「……みたいじゃなくて、私は立派な老人だよ」

「そうだけど」


 否定したいけど否定できない。

 だって実際クレイズは私と四十歳も年齢が離れている。目元と口元には深いしわが刻まれていて、後ろに撫でつけた髪はもちろん白髪。どこから見ても老人だった。

 でもね、私はクレイズのしわが好き。顔に深く刻まれたそれは大樹の年輪のような深みを感じさせるから。白髪だって月明かりの下では艶めいて灰色に輝くの。若い頃はさぞかしモテる美青年だったのでしょうね。

 どう頑張っても年の差は埋まらないけど、私にとってクレイズは誰よりも愛している人。王位を捨ててでも一緒に生きていきたいと思うほどに。


「たしかにおじいちゃんだけど、今は私の恋人でしょ?」

「……否定しないが」


 クレイズはムムッとした顔になった。

 厳格で生真面目なクレイズが困っている。

 駆け落ち計画を立てていた時だってこんな困った顔を見たことなかったのに、こうして『恋人』というたった一つの言葉を意識しているクレイズがなんだかおかしい。


「そうよ、そして夫婦になるの。これは絶対よ」

「ふ、夫婦、私ときみが……」


 クレイズが仰天したように一歩後ずさった。

 今度は私がムムッとする。


「驚きすぎよ。なんのために駆け落ちしたと思ってるの。まったく、クレイズは頭固いんだから〜」


 私は腰に手を当てて怒ってみせた。

 そんな私にクレイズがたじろぐけれど、もうダメ、我慢できなくなって笑ってしまう。


「アハハハッ、なーんてね。頭固めのクレイズが駆け落ちを決めてくれただけで嬉しいわ。ねえ、市場に行きましょう。明日からの旅に備えて買い出ししないと」

「まったく、君ときたら……」


 やれやれとクレイズは呆れたようなため息をつく。

 でも私を見つめる瞳は優しくて、いつも政務の時に見せていた厳しさはない。それがなんだか嬉しくて、私はクレイズと手をつないで市場へ向かった。




 その日の夜。

 私とクレイズは街の片隅にある小さな宿に宿泊していた。

 市場で買い出しを終えた私たちは夕食をすませ、あとはぐっすり眠って明日に備えるだけ。


「今日は楽しかったな~」


 バタリッ、とベッドに寝転んだ。

 動くたびにギシギシと軋むベッドだけど、一日の疲れがとけていくよう。

 でも隣のベッドに腰を下ろしたクレイズが眉をしかめた。


「行儀が悪いよ」

「ここに口うるさい女官はいないわ。誰も見てないからいいの」

「そういう問題じゃないよ。王女たるもの」

「王女じゃないわ」


 遮るように言った。

 不機嫌に唇を尖らせた私にクレイズが「そうだったね」と苦笑する。


「本気で悪いと思ってないでしょう」

「そんなことはない。ただ……君が女王に即位すると思っていたからね」

「……後悔してるの?」


 私はじっとクレイズを見つめた。

 私はね、クレイズと燃え上がるような恋をして駆け落ちしたの。でもクレイズはいつも冷静で、私だけがクレイズを好きなんじゃないかって思ってしまう。

 クレイズはそれを「十代の感覚にはついていけないだけ」とか「年の功だ」とかいうけれど、やっぱり寂しさ感じちゃうじゃない。

 でも私は知っている。こうして私が不安になった時、クレイズは大人ぶって誤魔化さない。私とちゃんと向き合ってくれる。


「後悔とは違うが、ルーデリア様は(すぐ)れた女王になると思っていただけだよ」

「……私が?」

「君はワガママだ。しかも一度決めたら実行する頑固(がんこ)さがある」

「なんのつもりかしら。誉め言葉じゃないわ」

「言い方を変えよう。意志の強さがある。それは王位を継ぐ人間にとって武器になる」

「…………聞きたくなかった」


 不快を隠し切れない。

 クレイズに悪気はないのは分かっているけど、それでも彼の口から聞きたくなかったわ。


「私は女王にはならないわ。もし私が女王になったら帝国に嫁ぐことになる。王国の主である女王を妻として従属(じゅうぞく)させたいと考える男の元へ。この国の女王はただでさえ大臣や貴族の傀儡(かいらい)なのに、帝国に嫁いで従属の女王になるのよ」


 諦めたように言いながら苦い笑みを浮かべた。

 もし駆け落ちしなければ私は女王に即位し、帝国に嫁がされていた。私の王国が従属する証として嫁ぐのだ。

 私は恨みがましげにクレイズを見つめる。


「……その方がよかった? その方がクレイズも宰相のままで」

「私はルーデリア様の意に従うだけだよ。臣下として当然だ。……まあ、もう宰相ではないがね」


 そう言ってクレイズが力が抜けたように小さく笑った。

 私も肩から力が抜ける。


「うん、クレイズはもう宰相じゃないわ。私の恋人のクレイズよ。私だけのクレイズ」


 私はベッドに横になったままクレイズを見つめた。

 (つや)めいた上目遣いで、誘惑するようにじっと。


「ねえ気づいてた? ベッドがある部屋で二人きりよ」

「それがなんだというんだね」

「そんなこと言うのね」


 そう言いながら横になったまま手で体の曲線をなぞる。太ももから腰へゆっくりと。


「抱いてくれないの?」

「君はまだ十七歳だ」

「誤魔化さないで。年齢なんて関係ないわ。私をまだ子どもだと思ってるから手を出さないの? ……それとも、やっぱり王女だと思ってるから?」

「…………」


 沈黙が落ちた。

 私たちは愛しあっているけどクレイズが手を出してくれることはなかった。生真面目すぎるのよ。

 駆け落ちする前は王女だからという理由だった。厳格(げんかく)堅物(かたぶつ)らしいクレイズらしい理由。

 だから駆け落ちした今なら抱いてくれると思ったんだけど……。

 ああもう()ねてしまいそうよ。


「……どうしてよ。教えて。年齢以外の理由で」

「今がどんな時か分かっているのかね。駆け落ちして逃避行の真っ最中だ。安全な場所に落ちつくまでそんなことしている暇はない」

「え、そういうもの?」


 逃避行中だからこそ情熱が燃え上がって勢いのままなだれこむものじゃないの?

 愛が炎のように燃え上がって、世界の雑音を遮断して、二人きりの世界に堕ちるように入っていって、勢いのまま激しいイチャイチャを……。


「不用心すぎるよ」

「うぅ~っ、堅物頑固(かたぶつがんこ)老人……!」

「なんとでも言いたまえ」


 色気たっぷり展開だったはずなのに、気がつけば言い合っていた。

 それに気づいて私は「ぷっ」と噴きだしてしまう。雰囲気吹き飛んじゃったじゃない。


「もう、クレイズは相変わらずなんだから。……でもまあいいわ、堅物のクレイズが一緒に駆け落ちしてくれただけで充分よ。夫婦になったらたくさんイチャイチャしましょうね」

「イチャイチャ……」


 耳慣れない言葉にクレイズが眉間に皺を刻む。

 でもその反応が楽しくて私は笑顔で続ける。


「夫婦になったら絶対にルーって呼ばせるんだから。そして海が見える丘に小さなおうちを建てて、子どもは三人くらい欲しいわね。そこで親子五人ずっと幸せに暮らすんだから」

「……なんだその子どもが想像したみたいな夢物語は」

「夢物語なんかじゃないわ! これは現実になるの! クレイズだってそのために一度死んで生き返ってくれたんでしょ?」


 そう、クレイズは私のために一度死んで生き返った。

 ひっそり愛しあっていた私とクレイズは、私が女王に即位して帝国に嫁ぐ前に駆け落ちすることにした。でももちろん王女の駆け落ちなんて簡単にできることじゃないから私とクレイズは一計をめぐらせたのだ。

 それはクレイズが一度死んで世間の目から引き離し、三日後に生き返って私を迎えに来るという方法。

 私は一時的に仮死状態になれる毒を手に入れた。その毒を飲めば心臓の鼓動を三日間停止させることができるという毒。その毒を使えば無謀な方法も実現できた。

 そして一度死んで存在を消してしまえばクレイズが私を城から連れ出すのは簡単だった。

 宰相として長く城に勤めてきたクレイズは城内にいくつも隠し通路があることを知っていたから。私たちは隠し通路を使って王都の外へ出たのだ。


「クレイズ」


 まっすぐ見つめて愛おしい名を呼んだ。

 クレイズが振り返ってくれる。やれやれなんて顔をしてるけど、彼も私に本気だということは伝わっている。


「幸せになりましょうね、私たち。絶対よ?」

「……分かっているよ。ここまで来たんだ。最後まで付き合おう」

「ふふふ、私がおばあちゃんになっても付き合ってくれるってことね」

「…………そんなに先なら私はとっくに死んでるんじゃないのか?」

「まだ死ぬのはダメよ。頑張って寿命も伸ばして。大丈夫、クレイズがよぼよぼのおじいちゃんになっても私が面倒見るから。だから一緒にいようね、ずっとよ。二人で新天地を目指すのよ」

「なにが面倒見るだ。なにが新天地だ。君という人は……」


 クレイズが呆れたように天井を仰いだ。でもその口元が少しだけ笑っていて、私も笑みを浮かべた。

 この時、私は信じて疑っていなかった。きっとこのまま誰にも見つからずに逃げて、逃げて、その先にクレイズとの幸せな人生が待っていると。

 海が見える丘の上に小さなおうちを建てて、子どもを生んで、育てて、子どもが巣立ってからはまたクレイズと二人で。

 そんなことを心から夢見ていた。




 翌日の早朝、私たちは街を出た。

 まだ朝陽が昇る前の薄暗い時間、朝靄(あさもや)が立ち込める中を私とクレイズは歩いていた。

 大きな街道は見つかるといけないから、ひっそりとした森の小道を二人で進む。

 この小道はめったに人が通らない道だから、だから、ああ……。


 ザザザザザッ、ガサガサガサ……。


 不自然な音と気配にはすぐに気づいたわ。

 クレイズと手をつないで走ったけれど、あっという間に囲まれて、あっという間に捕らわれて……。


 私たちの駆け落ちはあっけなく終わった。





 城の塔の最上階に私は監禁されていた。

 両手足を拘束衣(こうそくい)蓑虫(みのむし)のように拘束され、口には布を噛まされている。これは私が暴れないように、舌をかみ切ったりしないように。

 王女として捕縛したくせに、目の前にいる大臣たちは王女をなんのためらいもなく拘束した。

 身じろぐことさえできない私は深くうなだれて自分の足先をじっと見つめる。

 周りでは大臣や上級貴族たちが私のことを話しあっていて嫌でも会話が耳に入ってくる。


「駆け落ち未遂で終わったからいいものの、帝国にはなんて説明すればいいっ……」

「まったく、王女にはもう少し自覚を持ってもらいたいものだ」

「帝国の使者がこちらに向かっているようだ。今回の説明を求めている。早く言い訳を考えろ、でないと罰せられるのは私たちだ……!」

「あの冷酷無比の皇帝だ。言い訳によっては処刑されるぞ!」

「大臣、どうか助けてくださいっ。あなたの外交力はずば抜けていると貴族連中のあいだで噂になっていますよ!」

「さすが大臣、今度の避暑地にはぜひ我が領地にお越しください!」

「私に助けを求められてもねえ」

「私は処刑なんて冗談じゃない! そうなる前に婚礼を早めるのはどうだ!」

「駄目だ。帝国側は女王に嫁がせることに意味を見出している。嫁ぐのは王女を女王に即位させてからだ」

「待て、だからこそ今回の駆け落ち未遂の汚名は罪深い。クレイズ宰相を処刑して首を差しだすのはどうだ!」

「あんな罪人を宰相なんて呼ぶな! 汚らわしい……!」

「あんなに偉そうにしていたくせに王女と駆け落ちとは笑わせる」


 大臣や貴族たちが帝国にどう弁明するかを必死に話しあっている。

 その中には帝国に内通していると思われる大臣もいて、貴族たちが猫撫で声で媚びていた。醜悪で浅ましい耳障りな雑音だ。

 じっと足先を見つめていると、ふと部屋の扉が開いた。


「ルーデリア……!」


 入ってきた一人の女性。それは私の母であり、この国の女王だった。

 母上は拘束された私を抱きしめる。


「ルーデリア、無事でよかったわ!」


 私は無事なの? これが無事なの?

 母上は拘束衣の私を見つめて涙を流す。


「非力な母を許して……」


 そうね、非力だわ。ほんとうに非力。

 母として娘を抱きしめるけど拘束を解くことはできない。女王なのに大臣や貴族たちに命令することもできない。これがこの国の現実。

 母上が女王に即位できたのは病弱で気が弱い性格だから。母上には実姉がいたけど聡明だったゆえに毒を盛られ、一人で立つことすらできない体になってしまった。

 この国の王位を継ぐものは(すぐ)れていてはいけない。従順な傀儡(かいらい)でなければいけない。そうでなければ即位する前に暗殺されるから。この国の王位継承権はその程度のものだから。


「うっ、うっ、ルーデリア、ルーデリア……っ」


 母上は私を抱きしめて泣くことしかできない。

 娘の私を哀れんでくれるけれど、その非力さゆえに救うことはできない人だった。




 その日の夜。

 私は口の布をほどかれたものの、いまだに拘束されたままだった。

 蠟燭(ろうそく)だけが灯る暗い部屋。

 部屋には見張りの侍女が一人だけ。大臣や貴族はいまごろ帝国の使者に命乞いという名の接待をしていることでしょう。

 誰も私も気にしていない。


「……あなた」


 見張りの侍女に声をかけた。

 侍女は少し驚いた顔で振り返る。


「は、はい。なんでしょうか」

「クレイズはどこにいるの?」

「えっと……」

「私をクレイズのところに連れていってほしいの」


 静かに命令した。

 でも侍女は私を蔑むように見る。


「申し訳ありませんが、大臣から王女様をこのままにしておくようにと命じられております」

「そう……」


 私を侮っているのね。

 視線が落ちた。うなだれて足先を見つめたけれど、静かに目を閉じる。

 ……クレイズに会いたい。会いたい。


「…………あなたのお名前は?」

「今となんの関係が?」

「あなたは誰に仕えているの?」

「それはっ……」

「私の命令を拒むのはあなたの意志ということよね。ならば、あなたの名を名乗りなさい。誰に従うかはあなたの意志で決めること」

「っ……」


 侍女が悔しそうに唇を噛みしめた。

 でも観念したように私の拘束衣を外していく。


「……元宰相閣下は西の塔の地下牢でございます」

「そう。人払いをしておいて」

「承知いたしました」


 権威をちらつかせたら侍女は素直に従いだした。

 そのことに内心苦笑する。

 なけなしの王女の権威、わずかでもまだ残っていたのね。腐っても私も王族ということだ。




 軟禁されていた部屋を抜け出した私は西の塔に入った。

 塔の番人や兵士は私を見ると驚いたけれど見て見ぬふりをされ、あっさり通された。それは私の味方になっているわけでもなく、大臣を裏切っているわけでもない。ただ関わりたくないだけ。

 この国の兵士や従者に忠誠心はなく、事なかれ主義となって静観しているだけなのだ。主が誰であろうと関係ないということ。

 私は蝋燭(ろうそく)の灯りを頼りに西の塔の階段を降りる。

 地下牢に近づくにつれてかび臭い匂いが濃くなっていく。明るい陽射しも風も一切通らない地下牢はじめじめした空気が充満していた。

 暗い通路を進んだ先、地下の最奥に地下牢はあった。

 小窓がついた分厚い鉄扉。

 鉄扉を前に緊張が高まっていく。祈るような気持ちでゆっくり開けた。


「ぅっ……」


 鉄扉を開けると、むわりっとむせ返るような血の臭い。

 蒸し暑い地下牢なのに全身の血の気が引いていく。


「クレイズ、私よ。クレイズ……っ」


 地下牢は暗くてなにも見えない。

 蝋燭の灯りで照らしながら探していると、……ひゅー。……ひゅー。細い呼吸音。

 耳をすまさないと聞こえないほど小さな小さな呼吸音。


「クレイズ!!」


 呼吸音がするほうへ駆け寄った。

 そこには鎖で両手足を拘束されたクレイズが横たわっていた。


「クレイズっ、クレイズしっかりして! ああクレイズ……!」


 抱き起こすと、ぬるり。生温かいぬるりとした感触。

 クレイズの全身をたしかめて、そこにある姿に心臓が潰れそうになる。

 だって赤い。すべてが赤くて……。


「ぅぐ、ああっ、ああ……。ああ……あ…………」


 声が出てこない。

 とめどなく涙があふれて視界が滲むのに、全身を赤く染める鮮血が目に焼き付いている。


「うぐぅっ。クレイズ、クレイズぅぅぅううううううう……!!」


 クレイズの顔と全身の皮膚が剥がされて赤い肉が剥き出しになっていた。

 片耳は削がれ、片方の眼球は抉られてぽっかり空洞になっている。鞭打たれた背中の肉は裂けて白い骨が見えていた。

 あまりの激痛にクレイズの意識が薄くなって、細い呼吸は今にも止まってしまいそう。


「うぅ、クレイズ、クレイズ……!」


 私のせいだ。

 私が駆け落ちなんてさせてしまったから、だからクレイズはっ……!


「ごめんなさい、クレイズ、ごめんなさいっ……!」


 拷問で変わり果てた姿になったクレイズ。

 もし私が駆け落ちを願わなければクレイズはこんなことになっていなかった。宰相として敬われたまま生涯を終えることをできたはず。それなのに……!


「ごめんなさい、ごめんなさいっ……。私のせいで、ごめんなさい……!」


 泣きながら謝った。

 死にたくなるほどの絶望に嘆くことしかできない。

 非力なのは私。私こそ愛する人を守ることができなかった。

 クレイズの名を呼び続けることしかできない。


「クレイズ、クレイズ」

「……ルー……デリアさ……ま……」


 息も絶え絶えに名を呼んでくれた。

 それだけで涙があふれてくる。

 こんな時でも『ルー』とは呼んでくれないのね。私はルーデリア王女じゃない。あなただけのルーになりたいの。

 私はクレイズを見つめて泣きながら笑ってみせる。


「これからもずっと一緒よ。ずっと一緒。だからルーと呼んで」


 死のう。

 あなたと一緒に死のう。

 クレイズの命の灯は後僅かで消える。

 今から医師を呼んでも助かることはない。

 ならば一緒に死のう。クレイズのいない世界に生きることに意味はない。

 ぎょろり。クレイズの眼球が私を見つめる。

 血走った眼球。かつての輝きはなくなってしまったけれど、私の愛する人の眼球。

 私はクレイズの目元にそっと唇を寄せた。皮膚が剥がされた剥き出しの肉は血の味がする。


「クレイズ、ずっと一緒よ。私はあなたと一緒がいいの」


 私はそう言って小袋を取り出した。

 小さな薬包紙が二つ。なかには粉薬が入っている。変わり果てたクレイズの苦しみを取り除くための薬が。この国で毒はたやすく手に入るのよ。

 私も一緒に飲むわ。二人で解放されるの。

 これは悲しい結末じゃない、あなたとの始まり。


「……ほんき、なのか……?」

「本気よ。一緒がいいの。だから駆け落ちしたの」


 クレイズの眼球が私を見つめている。

 私もまっすぐ見つめ返す。

 見つめあっていると、……はあ……。クレイズが細い息を吐いた。それはため息。私を見つめる瞳が了承の意志を伝えてくれる。

 そして唇が微かに動き、とぎれとぎれに話しだす。


「……そこに、ねずみが……いるんだ。悪いが……追いはらって、くれ……。あまり……好きじゃ……ない……」

「分かった。待ってて、すぐに追い払うから。私も苦手なの」


 私は支えていたクレイズの体をゆっくり横たえると、地下牢を見回して「シッシッ」と手を振る。

 ちゅーちゅーと鳴いて走り回るネズミを追い払った。


「お待たせ。こんな時だっていうのにネズミを気にするなんて。ふふふ、潔癖なクレイズらしいわ」


 私はクスクス笑いながら二つの薬包紙を開いた。

 薬包紙には粉状の毒薬。私たちが一緒に永遠に眠るための薬。


「さあ、クレイズ」


 毒薬をクレイズの舌に乗せた。

 彼が薬を飲んだのを見つめて、次は私の順番。


「クレイズ、愛してるわ。これからも二人一緒よ」


 私はためらいなく毒薬を飲みこんだ。

 毒薬が喉を下りてお腹の底に広がる感覚。これでクレイズと同じ場所にいけるのね。

 私はそっとクレイズを抱きしめた。

 意識が遠のく中、最期のお願いをする。


「……クレイズ、おねがい。……さいごに、ルーと……よんで」


 ルーデリア王女じゃくなくてルーと呼ばれたい。

 でもクレイズの眼球は濁って光を失い、薄く開いた口からも呼吸音が完全に止まっていた。

 結局一度も『ルー』とは呼んでくれなかった。


「いじわるね……」


 口元に小さな笑みを刻む。

 クレイズ宰相らしい最期に愛おしさが溢れてくる。

 私はクレイズの亡骸を抱きしめて眼を閉じた。

 薄れゆく意識の中で、ようやくクレイズと一緒になれると歓喜しながら。





 三日後、私は(ひつぎ)の中で目が覚めた。

 その瞬間すべてを悟る。

 私は心中に失敗したのだと。

 クレイズによって失敗させられたのだと。

 互いに毒を飲む間際、クレイズは私にネズミを追い払うようにいった。その時に私が飲むはずだった毒を取り替えられてしまったのだ。以前クレイズが飲んだ三日間一時的に仮死状態にする毒に。

 私は(なげ)いた。生きていることに絶望した。

 たった一人でこの世界に取り残されてしまったのだから。

 女王に即位することを運命づけられたのだから。





 三年後。

 その日、王国は祝福に満ちていた。

 私の女王即位式の日だった。

 そして女王に即位した一週間後に帝国に嫁ぐことが決まっている。

 表向きは慶事の式典ということになっているけど国の誰もが分かっていた。傀儡(かいらい)の女王が大臣や貴族によって帝国に差しだされたのだと。

 この婚礼成立によって帝国に内通していた大臣や貴族は帝国から甘い汁を吸い、この王国の影の支配者となるのだろう。

 私の母である先代女王が病没し、新女王即位の日が訪れることを内通者たちは指折り数えて待っていたに違いない。

 でもね、この日を待っていたのは内通者たちだけじゃない。

 私も待っていた。私がこの王国の女王に即位する日を。


「ルーデリア新女王よ、歴代女王が守ってきたこの王冠と玉座が新女王を守るであろう」


 大司祭によって恭しく頭上に女王の冠を乗せられた。

 私は大司祭の宣言によって正式に女王に即位したのだ。

 玉座(ぎょくざ)()に整列していた大臣や貴族たちがワッと歓声をあげる。

 みなは玉座の私を見上げながらも、その目には敬いなどというものは一切ない。

 新たな傀儡人形(かいらいにんぎょう)が完成したとしか思っていない。

 私は心中に失敗してから大臣や貴族に逆らわずに従順に生きてきた。

 大臣や貴族の前では国政に興味を持たず、学びを遠ざけ、愚鈍な王女を演じた。

 この王国では聡明な王女は殺される。利発な王女も煙たがれる。生き残るなら気が弱くて従順でなくてはならない。だから私は愚かな王女を演じ、先代女王のような傀儡女王になると大臣や貴族に期待させたのだ。

 そうすることで私が得たのは大臣や貴族の油断。


「ルーデリア新女王、みなに宣誓の言葉を」


 大司祭が宣誓を促した。

 私は玉座からゆっくり立ち上がり、大臣や貴族を見下ろす。


「みなさま、この()き日に即位と葬礼(そうれい)の式典を迎えられたこと、心より嬉しく思っています。王女ルーデリアは三年前に死にました」


 玉座の間がざわつきだした。

 大臣や貴族が不審たっぷりに私を見上げる。


「葬礼だと? なんのことだ」「気でも触れたのか」「いったいなんだ」「王女は死んでるとはどういう意味だ」「女王の宣誓じゃないのか?」「三年前だと?」「女王はおかしくなったのか」


 囁きあっている言葉に目を細めた。

 誰がなんと言おうとなにも感じない。

 私の魂は三年前にクレイズとともに死んでいる。


「でもどうか悲しまないでください。これからは女王として職責に励みたいと思います。それでは王位を継承した女王として最初の仕事を。――――今より葬礼(そうれい)の式典を始める!!」


 バターーンッ!! ザザザザザザザッ!!

 私の宣言と同時に玉座の間の扉が開かれ、武装した兵士たちがなだれこんできた。

 あっという間に兵士が大臣や貴族を取り囲む。兵士の剣の切っ先は大臣や貴族に向けられ、華やかな式典が一瞬にして一変した。


「ど、どういうことだ……!」

「なんの真似だ! 私たちがいったいなにをした!」

「女王よ、自分がなにをしているか分かっているのか! 我らの長年の働きを愚弄(ぐろう)するか!」


 大臣や貴族が動揺して声を荒げた。

 突然のことに怯えだす者や取り乱す者もいる。

 私はそれを睥睨(へいげい)した。


「なんの真似とはおかしなことを。お前たちが長年に渡って王国と王家にしてきたことでしょう」


 私がそう言うと、今度は玉座の間に車椅子に乗った婦人が姿を見せた。

 婦人は私の伯母。そう、先代女王である母上の実姉であり、大臣たちに毒を盛られて寝たきりになった人である。

 そして伯母の後に入ってきたのは、武装兵士に拘束された帝国の大使。他にも今回の即位式に合わせて帝国から遣わされた参列者だ。


「伯母の証言と大使の自白により、内通者の存在が明らかになった。これ以上の説明は不要でしょう。たとえ大臣や貴族であろうと私の国に内通者の居場所はない! 本件に関わった者は身分にかかわらず全員の首を()ねよ!! 葬礼(そうれい)の主役となるがいい!!」


 ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!!

 ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!!

 ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!!

 首。首。首。首。首。首。首。首。首。首。首。首。首。首。首。首がごろりごろりと転がる。

 血しぶきが玉座(ぎょくざ)()を赤く染めていく。

 私はそれらを一瞥(いちべつ)し、帝国の大使にじろりと目を向けた。

 大使は震えあがって必死に命乞いする。他の使者たちも涙を流して許しを乞う。

 王女ルーデリアなら哀れんだかもしれない。

 でもね、王女はすでに死んだわ。私は女王ルーデリア。


「帝国の大使、ならびに使者どもの首を()ねよ! その首を婚礼の日に合わせて帝国に送りつけ、それをもって宣戦布告とする!!」


「「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」」」

「「「新女王万歳!! 新女王万歳!!」」」


 兵士たちが勇ましい歓声をあげた。

 私は玉座から眼下に広がる血の海を見下ろした。

 本当はクレイズと青い海を見ているはずだった。

 海が見える小高い丘におうちを作るの。子どもは三人欲しいわね。家族五人で仲良く暮らすのよ。


『幸せになりましょうね、私たち。絶対よ?』

『……分かっているよ。ここまで来たんだ。最後まで付き合おう』

『ふふふ、私がおばあちゃんになっても付き合ってくれるってことね』

『…………そんなに先なら私はとっくに死んでるんじゃないのか?』

『まだ死ぬのはダメよ。頑張って寿命も伸ばして。大丈夫、クレイズがよぼよぼのおじいちゃんになっても私が面倒見るから。だから一緒にいようね、ずっとよ。二人で新天地を目指すのよ』

『なにが面倒見るだ。なにが新天地だ。君という人は……』


 血の海を見ながらかつての記憶を思い出す。

 それは二度と戻らない時間。

 どれだけ願っても、祈っても、あの愛おしい時間は帰ってこない。

 王女は死んだ。三年前、クレイズとともに心中した。

 ここにいるのは女王ルーデリア。転がる首に(うやうや)しくお辞儀(じぎ)する。


「みな様、本日は葬礼の式典にご参列くださりありがとうございました。これにて葬礼の式典を閉幕いたします」


 女王即位式の日、私は玉座を血に染めた。






 ――――三百年後。


「ルメリア! あんまり遠くへ行っちゃダメよー!」

「分かってるって! 大丈夫よ、すぐそこの丘へ行くだけだから!」


 私はお気に入りの書物を持って駆けだした。

 小さな村を飛び出して小高い丘の上を目指す。

 青い海を一望できる丘は私のお気に入りの場所。

 ママは私が一人で丘へ行くことを心配するけど、私だってもう十七歳よ。まだ大人ではないかもしれないけれど、もう子どもでもないはずよ。

 私は丘まで登ると青い海を見渡した。大きく深呼吸して潮の香りを全身で感じる。

 物心ついた頃からこの場所が好きだった。

 青い海を見ていると不思議と心が満たされるのだ。

 丘の木陰に座ると書物を開けた。晴れた日は丘で読書をするのが日課だった。

 最近の愛読書は史実を元に書かれた物語。

 主人公はこの国の三百年前の君主であるルーデリア女王。この国でルーデリア女王のことを知らない人間はいない。

 今でこそこの国は民主制だけど、百年前までは女王が統治する君主制の国だった。

 なかでも三百年前の君主ルーデリア女王は歴代女王のなかで最も(すぐ)れた女王だと現在でも尊敬されている女王だ。その一方で即位式の日に玉座(ぎょくざ)()を血の海にした冷酷無比な女王として畏怖(いふ)されている。


 別名、喪服(もふく)の女王。


 ルーデリア女王は即位してから死没するまで喪服を着用していたという言い伝えもある。実際当時の肖像画はすべて喪服姿で描かれていた。

 なぜ女王が生涯喪服を着ていたのか謎だけど、この時代に多くの血が流れたことも史実だった。


「この喪服の女王が王国の(いしずえ)を築いたんだよね……。この時って戦争ばっかりだったけど」


 三百年前の王国は帝国の侵略にさらされていたばかりか、王国内でも大臣や貴族が権力を握って好き放題しているような国だった。

 しかしルーデリア女王は即位したその日に裏切っていた大臣や貴族を処刑して一掃し、内政の仕組みを新たに立て直したのだ。

 それを可能にしたのは王女時代のルーデリアの働きだといわれている。

 ルーデリアは伯母など信頼できる親類と協力し、為政者や商人などと繋がりを太くした。大臣や貴族が利権を握っていた経済を排除し、基盤そのものを塗り替えたという。

 こうしてルーデリアは女王に即位する前に大臣や貴族に気づかれないように盤石な地位を築き、女王に即位したと同時に暴利をむさぼっていた大臣や貴族を一掃して民衆の支持を得たのだ。

 それは圧倒的な熱狂の嵐を巻き起こした。

 ルーデリア女王は帝国に宣戦布告して五年間にもわたる長い戦争を起こしたけど、この戦争によって帝国は脆弱化(ぜいじゃくか)して内戦が起きたことで消滅した。

 ルーデリア女王は帝国を退けた戦勝国の女王となって、それから二百年続く王国の栄華と栄光の(いしずえ)を築いたのだ。

 しかしどれほどの称賛にも女王はにこりともほほ()まず、生涯にわたって独身を貫き、喪服を着ていたという。謎めいた女王の伝説は三百年経った今でも色褪(いろあ)せずに語られていた。


「怖い女王なのに、ふしぎ……。みーんな大好きなのよね」


 書物を読みながらぽつりと呟く。

 ルーデリア女王は決して優しく慈悲深い女王ではなかった。正直、私はあまり好きじゃない。

 勝利したとはいえ帝国との戦争では多くの血が流れた。大河(たいが)も大地も万を超える人々の血で赤く染まったのだという。即位の式典でも戦争でも政争でも、この女王のエピソードは血に塗れたものばかりだ。

 でも学校の史学の授業では人気の歴史上の人物だった。

 一代で王国の(いしずえ)を築いた女王にどの生徒も「かっこいい」「ステキ」とうっとり憧れを抱くのだ。


「――――怖い女王っていうのは、浅慮(せんりょ)すぎないかね?」


 ふと背後から聞き慣れない老人の声がした。

 ハッとして振り向くと、そこには十歳ほどの少年がいた。

 自分よりも年下の少年。でも気難しい老人のように眉間に皺を刻んで、腕には分厚い書物を持っている。


「あなたは誰?」

「クリスだ。今日、この丘の(ふもと)の村に引っ越してきたばかりだ。静かな場所で本でも読んでいようと思ったが……」

「ごめんね、ここは私もお気に入りなの。私と同じ村に引っ越してきたのね。よろしくね」


 困惑しつつも自己紹介した。

 クリスは年齢よりもずっと落ち着いた雰囲気を纏っていて、なんだか不思議な感じ。あまり年下らしさを感じない。

 クリスは私が呼んでいる書物をじっと見ていた。

 子どもが読むには難しい記述が載っているけど、クリスなら読んでいても違和感ないかも。


「……この本、知ってるの?」

「知っている。脚色しすぎてルーデリア女王が神格化している部分もあったが史実が忠実に書かれていた。いい内容だったよ」

「そ、そう……」


 クリスの書評に思わず苦笑した。

 どうやら年寄り臭いという第一印象は間違っていなかったようね。


「ルーデリア女王が好きなの? かっこいいもんね」

「かっこいいと思ったことはないが、(すぐ)れた女王だと評価している」

「評価……」


 なんなのこの子……。

 私より年下の少年なのに、私よりずっと年寄り臭くて気難しそう……。


「生意気……」


 ぽろっと思わず本音が。

 クリスが面白くなさそうに私を睨む。


「生意気とはどういう意味だね」

「……そのままの意味よ。ルーデリア女王だって三百年後に子どもにそんな評価されるとは想像もしてなかったと思うわ」

「私は思ったままを言っているだけだよ。帝国と戦争するための準備を即位前から用意周到に行なっていた。周辺国と内密に条約を締結(ていけつ)させ、商人を掌握(しょうあく)することで経済も安定させたんだ。強引な統治に恐怖政治を敷いたと責める歴史学者もいるが、それでも私は(すぐ)れた女王だと思っているよ」


 クリスはかつての女王の光と影の部分を公正に評価した。子どもの顔をしながら年寄り臭い口調で。

 それはやっぱり生意気だけど、不思議と嬉しい気持ちがこみあげる。

 泣きたくなるほど胸がいっぱいになる。どうしてだろう、私が褒められているわけじゃないのに満たされていく。


「私、まだあなたに名前を言ってなかったわね。ルメリアっていうの。十七歳よ。あなたより年上なんだから」


 わざわざ年上アピールした私にクリスが少し面白くなさそうな顔になる。


「年齢になんの意味があるというんだね。たった数年の違いにそれほど意味があると思えないが」

「そうかもしれないけど、クリスはとても賢そうな男の子だから、放っといたら生意気されそうで」

「なんだそれは……」


 クリスが呆れた顔になった。

 眉間に皺が刻まれて、やっぱり少年らしからぬ年寄り臭さだ。

 思わずクスクス笑ってしまう。


「せっかく同じ村に引っ越してきてくれたんだから覚えてね」

「分かっているよ。ルメリア、……ルー」


『ルー』


 呼ばれた瞬間、ぶわりっ。瞳から涙があふれた。

 分からない。でも涙が次から次へとあふれてくるの。

 クリスも驚いたように目を見開いていて、「勝手に口が……」と片手で口を(おお)う。

 クリスが困惑して私を見た。


「どうして、泣いてるんだ……」

「うっ。……わ、分からないけど、勝手に涙が溢れて……。っ、うぅ」


 今までルーなんて呼ばれたことないはずなのに、初対面の男の子にルーなんて呼ばせたくないのに、どうしてだろう。胸がいっぱいになって全身が歓喜している。叫びたいほどの喜びに涙があふれて止まらない。

 でもそれは私だけじゃないはず。

 だってクリスも泣いていた。泣きながら私を見つめていた。

 どうしてこんなに涙がでるのか分からない。でも。


「ぐすっ。……お願い、もういちど呼んで、……ルーって、呼んで……っ」

「っ、……ルー。ルー……。ルー」


 クリスは私の名を呼びながら涙をぽろぽろこぼす。

 繰り返される呼び名に私の涙もぽろぽろ止まらない。

 切ないほどに胸が締めつけられて、苦しいのに嬉しいの。

 こうして私とクリスは泣きながら笑いあう。

 青い海が見える小高い丘で。

 三百年の時を越えて巡り逢えたのだと。




こんにちは。

小説を読んでくださってありがとうございます。

今回は切なめハピエンです。楽しんでいただければ嬉しいです。

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