僕の右手
手紙とお絵かき帳の記述を読んだ夜はなにも考えられないまま過ぎ、まるでこの部屋から僕を消してしまったようだった。開けっ放しの窓から冬特有の刺すような冷たさが吹き込んでいる。すっかり冷え込んだ部屋にも、むかいに立っているマンションの上から朝の陽が差し込んで来始めた。
陽光には少なからず覚醒の効果があるようで、窓を閉めていつものようにコーヒーをいれようと思える程度には僕が戻った。エアコンをつけて、いつもと変わらない安っぽいインスタントコーヒーを一杯飲み終わる頃には僕は僕を完全に取り戻した。
手紙はまぁ、いい。縁が結婚するなんて想像したこともなかったし、あまりにも突然で衝撃的な内容だったから驚いただけだ。
思い出せ。僕と縁はただの幼馴染でしかない。恋愛関係にあったことなんて一度も、ほんの一秒だってない。10年も前に、傍にいただけの関係でしかないのだ。ほとんど切れかかっている関係でしかない。なによりも僕は――――縁の顔すらもう思い出せない人間なのだ。傍にいることに資格を必要とするなら、もう僕にはそんな資格はない。きっと縁と別れた駅のホームで自分から投
げ捨ててしまった。
だから、僕が傷つく理由などなにもない。そんな理由はどこにもない。割り切れない感情はどうしても残ってしまうけど、僕ならばすぐに忘れられるはずだ。僕はそういう人間だから。
問題はお絵かき帳の方だ。最後に見たときにこんな記述はなかった。実家にいたときも一人暮らしを始めた後もこのお絵かき帳は手元にあった。誰も書き込めるはずはないし、もし書き込める状況があったとしても、内容を考えれば縁を知っている必要がある。そんな人間となると極少数に限られる。あの村にいた頃の友達とは2~3年年賀状のやりとりをしたきり疎遠になってしまっていて、こちらに遊びに来たやつも一人もいない。中学から携帯電話を持っていたやつらや高校進学を機に持ち始めた何人かとは携帯番号とメールアドレスを交換はしているのだが、一度水没させてしまってこっちから連絡を取ることができない。覚えている唯一の番号は二度と会わないと約束をしたかつての幼馴染の実家のものだけだった。こんな数字の羅列なんかじゃなく、もっと覚えておくべきことがあるだろうに。いちおう番号もメールアドレスも変えていないのだが、誰からも連絡がこないままだ。普通に考えるのなら両親と僕くらいしかいないことになる。さすがにこんな悪趣味で手のこんだイタズラをする両親ではないし、あの忙しい人達が僕の部屋まで来ることもほとんど絶無と言えるほどにないので可能性はかなり低いだろう。そうなると、もう僕しか残らない。
やはり僕の頭がおかしくなったと考えるのが一番自然なのではないだろうか。あるはずのない記述。書けたのは僕だけ。見たのも僕だけ。もしこれを他の人に見せたら真っ白なページがあるだけではないのだろうか。もう僕はとっくに壊れてしまっていて存在しないものを見ているだけなのではないか。そんなことを考えてしまい、心が冷えていくのを感じた。
心を落ち着かせるためにもう一杯コーヒーを入れる。まぁ、誰かに見せてみればわかることか。今日オーナーにでも見せてみよう。あの人出勤してくるかわからないけど。立花のやつでもいいか。オーナーはまともに読みはしないだろうし、立花はバカにして笑うだけだろうけど。それでも僕の頭がおかしくなった訳ではないことはわかるだろう。
温かいコーヒーは身体だけじゃなく心も温めてくれた。なんて安っぽい心なのだろう。そう考えたとき少しだけ笑えた。ほんの少しだけど、余裕を持つことができた。笑うことは大切だ。うん、大切だ。
傍にいたときにはいつも笑っていた縁を思い浮かべながら、意図的に声を出して笑ってみた。頭の中で顔のない縁が一緒に笑っている。どうやら声は思い出せるようだ。全てを忘れてしまった訳じゃないとわかり、少しだけ安心できた。
無性に縁の声が聞きたくなった。いつもそうしていたようにバカな話を一緒にしたかった。だけど直接に会うのは怖かった。
電話なら縁だとちゃんとわかるものかな。そうならいいな。
お絵かき帳を開く。ヘタクソだがかわいらしく描かれた縁と僕の結婚式の絵。実現しなかった未来を描いた絵。村の風景を描いた絵。すぐに場所が思い浮かぶものもどこを描いたかわからないものもある。一緒にいた時間、縁の目から見えていた世界の絵。いつも僕の手を引いて歩いていた縁の世界そのもの。これを捨ててしまおうと一瞬でも考えたなんて。僕はどうかしていた。
なんだあんなオッサンの言葉。深く考えて話してた訳でもないのだろう。何か嫌なことがあって何か攻撃して自分の優位を確認したかっただけだろう。アルコールを飲んだ人間にはよくあることだ。自己顕示欲は常に弱者に向けられる。僕なんかおあつらえむきだ。なぜあんなに深刻に受け止め、泣いてまで悩んでしまったのだろう。恥ずかしい。
お絵かき帳の途中からは白紙のページが続いていく。最後の方のページに問題の記述はあった。
震えを止められない手で書いたような歪んだ黒い文字。意味の分からない文章や意味をなさない言葉も幾つか並んでいる。黒く塗りつぶされている部分もある。混沌の極みのように始まり、一点の意思に収束していく記述。収束点は縁自らの死。
やっぱりどう考えてもこれ遺書だよな。しかも縁から僕だけに向けられた遺書だ。文末には縁の署名と日付までが書いてある。内容的にどうしても無視することができない。書かれている日付は2月15日。縁の結婚式予定日の前日。もしこの遺書に書いてある通りのことが起こるとするならば、当然未来の話であるべきだ。届いた封筒に押された消印は1月12日であり、過去の話だとしたら手紙の方の説明ができなくなってしまう。縁がもう死んでいて、手紙だけが届けられたなんて考えたくもないことだった。
コーヒーを一口啜りながら、ただ縁に会いたいな、と思った。
会うのはすごく怖いままだけど。会ってしまえば、お互いに何か大切なものを失うことが分かっていても。それでも会いたいなと思った。
遠く離れたまま時間だけが過ぎ、残ったものが切れかけた糸のようにか細い関係だけだとしても、繋がっていたいと思った。
会いに行く理由はもう縁がくれていた。
結局僕は縁の結婚式に参加することを決めた。
それはたぶん、何かを完全に諦めるために。
気持ちを完全に切り替えて、計画を立てる。
先ずは日程。結婚式の日程は2月16日に式をすること以外は何もわからなかったので、12日から19日までの一週間休みを作ることにした。幸いと言っていいのかわからないがシフトの作成は僕に押し付けられたままになっている。ここぞとばかりに職権を濫用させてもらうことにした。たまには本当のオーナー兼店長にきっちりと働いてもらうことにしよう。減ってしまう分の給料を計算し、今月分の家賃がなんとかなるものであることを確認した。今月さえなんとかなるのであれば、最悪この休みが原因でクビになってもなんとかなる。とは言っても、同僚にだけは、なにか奢るなり、次のシフトで出来る限りの希望を考慮するなり、なんらかの根回しをして僕の味方にしておく必要はある。クビになってもかまいはしないが、あえてクビになりたい訳でもない。
オーナーは封建制の絶対君主のような人ではあるが、それでも数の暴力を完全に無視はできない。それなりに時間はあるのでいろいろと裏工作をやっておけるのは幸いだった。
次に泊まる場所。泊まる場所は昔住んでいた家しかないか。ホテルとか旅館とか連泊するような無駄なお金はないし、そもそもあの村にそんな宿泊施設はなかった気もする。引越しをした日から一度も見にすら行っていないが、倒壊したという話は聞いていないからたぶん使えるだろう。水道、電気、ガスのインフラ系は全て止まっているから快適とは言えないだろうけど、祖母が使っていた布団も残っているはずだし、寝るだけなら問題はない。暖房もないから寒いだろうけどそこは重ね着でなんとかするしかない。家はほこりだらけだろうから掃除だけはする必要がある。だとするとある程度明るい時間に着く必要があるか。
次に移動の手段を考える。と言っても原付で行ける距離ではないので、電車を使う以外にはない。PCを立ち上げてネットに繋ぎ実際の移動時間を見てみる。普通電車を乗り継いで行くなら片道約6時間。特急の列車もあるにはあるのだが、乗っても差が1時間しかないようだ。しかも特急の始発の時間の関係で普通乗り継ぎの方が到着時間が早い。料金はだいたい4,000円。乗り換えは3回。
6時間と4,000円。それが僕と縁を隔てた実際的な数字だった。数字になってしまえばなんてことはない大きさの数字でしかない。引っ越しなど、実はたいした問題ではなかったのかもしれない。もし約束がなければ、僕らはこの数字をどう埋めてきただろうか。
感傷的な気分のまま、PCを立ち上げたついでに、僕もメモ帳に遺書を書き始めてみた。もちろん半分以上は本気ではない。ただのお遊びだ。縁の遺書のこと。会いに行くと決めたことその理由。両親への感謝と謝罪の言葉。そこまで書いてみたところで恥ずかしくなったので
やめた。メモ帳は書きかけのまま保存された。
最後に、一番大切なこと。身を守るためのものを、何か考えなければならない。祈るような気持ちで何も起こらなければいいと願った。
村への出発の当日、明日からの一週間をフルタイムで働かされることが決定していて気が立っているオーナーの嫌味を背に受けながら、時給換算される規定時間きっちりでバーを出た。前もって話をつけておいたので、クローズの業務を全て同僚に任せることができた。そのまままっすぐ家に帰り、シャワーを浴び着替を済ませ、防寒対策のベージュのフード付フライトジャケットを着
て、準備しておいたキャリーケースと愛用のワンショルダーバッグを持って家を出た。
最寄の市営地下鉄はまだ動いていないので、橙色の大型のキャリーケースを引きずりながら15分ほどのJRの駅まで歩く。レンガで舗装された歩道の微妙な凸凹がキャリーケースを通して振動を伝えてくる。ガラガラと言う音が静かな街に響く。どんよりと曇った空の下、まだ明けない夜の空気は冷たく、吐いた息がほんの薄く白く残って後ろに流れていった。いつも帰り道を歩いてい
る時間に出かけて行くことがなんだか変な感じだった。
到着はだいたいお昼ぐらいの予定なので、途中のコンビニで朝と昼のニ食分の適当なパンと1Lのペットボトルのお茶を買い込む。列車の移動距離が100キロだか200キロだかを超えると途中下車ができるようにはなるので、途中で何か食べることもできるかもしれないが、あまり遅くなってしまうとまずいので一度も駅からは出ない方針でいく。
前もって買っておいた切符を自動改札に通し、長い長い移動を始めた。
始発のすぐ後の電車と言えども、市内の大動脈である環状線にはそれなりに乗客がいるものだった。スーツ姿のサラリーマンや部活の朝練でもあるのであろう制服姿の男女。どこに行くのかは分からないが定年後と思われる老人方もいる。水商売風の女性もチラホラいる。
ここは朝の人間と夜の人間のほんのわずかな交差点。
時計を確認すると列車の到着まで2分ほどしかない。けっこうギリギリになってしまったがなんとか間に合った。4つあるベンチはどれも空いていないので立ったままカレーパンをかじるが、あまりおいしくは感じない。お茶を飲みながら、2個目のパンを食べるかどうするか考えている間に列車が駅に入ってきた。最初の乗り換えまでは約15分。ガラガラの車内で角にある三人掛けの座席に座り、さらにソーセージパンを食べる。マヨネーズがおいしいが、この皮はもっとなんとかならないものだろうか。もぐもぐと口を動かしながら、前の座席に座って熟睡しているらしいサラリーマン風の中年の男をじっと見てみる。疲れきっている様子なのは今日が週末だからだろうか。もし、僕が就職活動というものをして就職できていたとしたらこんな生活をしていたのだろうか。アルバイト先のバーに来る人達もみんな同じように疲れた顔をしていることが多い。就職すれば全てがうまくいくなんてことはないんだろうな。まぁ、それでも収入と社会的地位の安定は得られるか。得られるものがそれだけしか考えつかなくて、なんだか悲しくなってしまった。僕にはやりたいことがなにもない。できることをなんとなくやって、できないことには手を付けないでここまで生きて来てしまった。
目的の駅で乗り換えるために列車を降りる。気分が重くなったためかキャリーバックをやたらと重く感じた。熟睡していたサラリーマンも含め、車内にいた人間のほとんどが同じ駅で降りた。降りた以上の人数が車内に乗り込んでいく。今日もいつもと同じように、列車が周り、人が回り、世界が廻る。きっとそれは何かで繋がっている。僕にはわからない何かで。僕を置き去りにしたままで。遠ざかる列車を見ながらそんなことを思った。
移動したホームで10分程待ち、次の列車に乗る。この駅発の列車なのでボックス2人掛けの席に座ることができた。次の乗り換えまでは2時間ほどあるので携帯のアラームを設定し、少し眠ることにした。窓に頭を押し付けながら一番楽な姿勢を探してモゾモゾと動く。なかなかベストなポジションが決まらず、5分ほど頭を窓とシートの背もたれの間で往復させたり、目を開いたり閉じたりを繰り返した。仕事を終わらせてまっすぐ来ているので身体は疲れているのだが、どうにも眠れない。仕方なしに窓の外の風景を眺めることにした。
まだ陽の昇っていない窓からの風景は薄暗く、ビルやマンションから漏れてくる灯りも少なく、並走する国道も乗用車と大型トラックがちらほら走っている程度でほとんど色も動きもなく、見ていても特におもしろいものではない。すぐに飽きてしまったので座席に置いておいたワンショルダーバッグから、バッテリーの節約のために温存しておいたMP3プレーヤーを取り出す。どうせ眠れないのなら、と目の覚めるようなスラッシュメタルの曲を流し、また窓を見た。さっきとは目の焦点がずれ、鏡に映したかのように鮮明に反射しているの自分の表情が見えた。見慣れているはずの僕の顔は、見たこともないようなひどい顔をしていた。できるだけ考えないようにしていた不安と恐怖。縁に会うのが純粋に怖い。その感情を自覚してしまったせいで、かすかに手が震え始めていた。目を閉じ、縁の手を思った。温かい縁の手を。この手を握りしめてくれた手を。震えを止めてくれた手を。
唐突に僕の中で縁の手から先が消えてしまったような気がした。もう縁は手でしかない。そう思うことで、恐怖は驚くほどに安らぎ手の震えは止まった。耳の中で鳴り続ける騒がしい音楽が遠くに聞こえるような感じがして、僕は急速に眠りに落ちた。
眠りに落ちる間際に見た幾つもの縁の手はどれ一つとして僕の手を握ってはくれず、他の誰かの手でその全てが塞がっていた。
目的の駅への到着予定15分前に、設定しておいたアラームの振動で目を覚ました。短い睡眠ではあったがだいぶ身体が楽だ。
頭もすっきりした。厚い雲に覆われて太陽そのものは見えないが、もうすっかり明るくなっていて、列車内にもだいぶ乗客が増えていた。MP3プレイヤーのイヤホンが片耳外れていて、座席の近くにいる制服姿の男子グループの明るい笑い声が聞こえる。高校時代にはいい思い出が全くないので、会話の楽しそうな雰囲気と自然な笑顔を羨ましく思う。窓の外を見ると、道路と電柱と水のない水田の間にまばらな人家がある。なんとなく心が和むのは、僕の根がいつまでも田舎者だからなのだろうか。こんな風景の中にずっといられたら僕ももう少しマシで、彼らのように自然に笑えていただろうかと考えて、自嘲する。村にいるときだって引っ越した先だって僕は僕のままだったじゃないか。どこにいてもなにも変わりはしないさ。
彼らの期末テストの範囲と対策と諦めの話を盗み聞きしながら、降りる準備をした。窓から見える風景も有機的で牧歌的なものから無機質なコンクリートのビル群やマンションにと変わっていた。もう降りる駅は近い。今の自分はどんな顔をしているだろうと窓に目を向けてみたが、陽の上った後の窓はぼんやりとしか僕を映してはくれず、目を細めて見てもなにもわからなかった。
目的の駅に着いた。乗り換えの時間が2分しかないので急いで移動したが、荷物の大きさのせいで移動が遅いことと車両の数が減ったことで座席には座れなかった。次の目的の駅までの1時間強は長く感じることになりそうだった。
ドアに寄りかかりながら目を閉じ、縁にあったら何を話そう。そんなことを考える。一つだけ決めていることは「おめでとう」と笑顔で祝福すること。それ以外は何も考えていないのが正直なところだ。そもそも話す機会があるのかどうかすらわからない。
結婚式の出席者の一人としては一言二言話せるかもしれないが、二人だけで話す機会はないようにも思う。もし道ですれ違っても僕は縁を縁だとわからないのだから。中学のときから考えれば僕もずいぶん変わったように思う。身長もかなり伸び、髪型も変わった。声や表情もあの頃のままじゃない。縁も僕を僕だとわからないんじゃないかな。そうなら気が楽だなと思った。お互い他人行儀で「おめでとう」と「ありがとう」の社交辞令を交わして終わり。別れた後はこんなもんさと苦笑いしながら、特急列車に乗ってまっすぐに部屋に帰って、少しだけ泣いて。オーナーに頭を下げてちょっとご機嫌取りして。せっかくの休みだし、客として店に行ってみるのもいい。一番強いカクテルはなんだったか。グリーンアラスカ辺りか、ブレイブ・ブルでもいい。使う銘柄が多くて作るのがめちゃめちゃめんどくさいロングアイランド・アイスティーを嫌がらせのように頼んでみるのもいい。飲む前に普通に働かされそうな気もするけど、まぁそれはそれでいい。たぶん、何かを諦めてしまえる。それでたぶん、これから先を生きていくのが幾分か楽になる。
楽しいことと悲しいことを比べて楽しいことが少しでも多ければシアワセだとするなら、きっとそれはシアワセな世界だ。そこから先はなにも失うものがないのだから。
ずっと一緒に縁といられた、もう遠い昔に二人だけでしていたシアワセ探し。一番最初の始まりは夏休みのなのに両親がほとんど家にいてくれなくて、僕がふてくされていたときだったと思う。川原にハートの形をした石があるんだってと言い出した縁に手を引かれて二人で探しに行った。これじゃないねと言いながら水切りをしたり、川に飛び込んだり、川原に寝転んだりしながら一日中探してみた。結局その石は見つからなかったけれど。びしょびしょで泥だらけのまま二人で夕暮れの道を歩きながら、今度は何を探そうかと笑顔であれがいいこれがいいと言いあった帰り道。
眩しさを感じて閉じていた瞼を開いた。厚い雲の切れ間から陽の光が差し込んでいて、下を流れる河にキラキラと反射していた。
僕の見つけたシアワセはこんなつまらないものになってしまったけど。
縁の見つけたシアワセは価値のあるものであって欲しい。
いつまでもこんな風に光に包まれるように。
だけど。
目的の駅に着いた後、乗り換えるホームを移動するために、足取りも重く連絡橋の階段を上り、冷たいベンチに倒れこむように座りこみ、列車を待つ。自分の想像の、仮定の一つに過ぎないと分かっていても僕が探しているものの答えはもう出ていると気づいてしまった気がして。縁に会うことでその全てが現実となってしまいそうで。そのまま足が動かせなくなってしまい、座ったままで乗るべき列車の出発を見送った。運転士が訝しげな目で僕を見ていた。ここが特急電車の通過駅だったら自殺を疑われていたのかもしれない。そのくらい僕はきっとひどい顔をしているのだと分かる。
帰ろうかとさえ思った。ここまでは来たけど、もうここからは進みたくない。まるで子供だ。感情で世界の全てを決めてしまうような子供だ。何も成長などしていない。なんて情けないのだろう。
結局のところ僕は祝福などしたくないのだ。縁が誰かのものになるなんて許せないのだ。
理不尽で身勝手で独り善がりな怒り。それが今の僕の感情の全てだった。
もう欠片さえも見えない顔ではなく、温もりすら明確に覚えている手だけを思う。
その手が握るのは僕の手で、僕の手だけであるべきなのだ。
身を守るために持ってきたアレで手だけでも切り取ってしまえば。
縁は永遠に僕の――――――。
現実から自身の存在が遊離していく。
右手だけでいい。いつも僕の手を引いていた右手だけでいい。他は要らない。
あるいは自身の世界が現実から遊離していく。
見えない顔なんて要らない。言葉も要らない。つまらないシアワセなんて要らない。
そんな感覚がある。
その右手が欲しい。
凶暴なものが心のなかに芽生え、狂い出そうとしている。
それは、僕の右手だ。




