#56 課長はお嫁さん
3階会議室で打合せが終わると、アイナさんが「企画室に行きましょ」と言うので、言われるがままついて行く。 歩きながら「何かあるんですか?」と尋ねると、「見て欲しい企画があるのよ。意見が欲しいの」と言う。
企画室に入ると、俺が使っていたデスクは在籍していた当時のままになっていた。
自分の席に座り室内を見渡すと、以前とほとんど変わってはいなかったが、ホワイトボードには何やらギッシリ書き込まれてて、そこには俺が発案した近隣住民や小学校などを招いての工場見学のイベントに関することや、それとは別の果物を使った新商品に関するメモ書きの様なものが沢山書かれていた。
アイナさんはPCを立ち上げて資料をプリントアウトしている。
その様子を横から覗き込むと、デスクトップの壁紙が俺の横顔の画像になっていた。
「ちょっと!コレなんですか! 恥ずかしいから止めて下さいよ!」
「ナニよ急に騒ぎ出して。煩いって他所の課から苦情来るわよ?」
「PCですよ!なんで俺の顔がドアップで壁紙になってるんすか! 他の人が見たらバレるじゃないですか!」
「あぁこのことね。もうみんな知ってるから、気にしないで頂戴」
「な、なんだと!?」
「お陰でもう誰もお見合いとか言ってこなくなったんだからいいじゃない。それよりも新しい企画を考えてるの。目を通して貰えるかしら?」
「えぇまぁ見させて貰いますけど、壁紙は止めて欲しいなぁ」
プリントアウトした資料を受け取ると、『カドキュー限定商品の開発と販売』とタイトルがあり、そこには九州の特産果物を活かしたお菓子の開発とカドキューで限定商品としての販売を提案する内容が書かれていた。
俺が資料に目を通している間、アイナさんは「コーヒー煎れて来るわね」と言って部屋から出て行く。 資料から目を離して再びホワイトボードを見ると、この資料に関連する走り書きがいくつもあった。
アイナさんは直ぐに戻って来た。
手には懐かしいペアのマグカップだ。
俺のデスクに「どうぞ」と言って水色のカップを置いてくれたので、「ありがとうございます」と言って一口飲む。
「カドキューさんでの販売が好調でしょ? でもいつまで続くか分からないし、何か次の手を打った方が良いと思ったのだけど、どうかしら? 自分で考えてる時は面白いと思うのだけど、ふと冷静になると自信が無くなるから、客観的な意見が欲しいのよね」
「カドキューさんの売れ行き動向に関して俺も落ち着いてから以降のことは気にはなって居たんですが、ここまで具体的なことは考えては無かったです。面白いと思います。 少し時間貰えますか?持ち帰って俺の方でも色々調べてみたいと思いますので。 そうですね、後日ビデオ会議で打ち合わせしましょうか」
「ホント!?」
「ええ、アイナさん一人でもちゃんと企画室の業務頑張ってるんですね。 そう言えば、抹茶ドラ焼きの大喰い動画の公開もビックリしましたよ。アレのお陰で売り上げ伸びましたからね」
「うふふ、私が身を削ったのだから当然よ。もっといっぱい褒めて頂戴♡ ご褒美は熱い情熱的なキスがいいわ♡」
アイナさんはそう言ってイスに座る俺のヒザ上に乗っかってきた。
ちょっと褒めると直ぐコレである。
両手を俺の首に回して抱き着いてて、タイトスカートに包まれたお尻の重量感とスカートから伸びたパンストに包まれた美脚が俺の性癖を刺激する。
だが、ここは職場だ。
「おいコラ!ナニしてるんですか!こういうことは昨日の夜散々したでしょ!」
「昨日のは恋人としてじゃない。 ビジネスの相棒としても褒めてほしいの♡ ワタル君に褒めて貰いたくて一人で頑張ってたのよ?」
恋愛ドラマのヒロインの様に人差し指で俺の口を押えた後、甘える様に囁くアイナさん。
メスのフェロモン、ムンムンだ。
「社内で異性の同僚に抱き着くなんて管理職にあるまじきセクハラ行為。これは懲罰委員会に訴えねばいけない事案ですね」
「ナニよもう!ケチ!」
アイナさんはそう言って、俺の唇に強引にセクハラしてからどいてくれた。
◇
4月に入れば新しい人事が公表され、俺も忙しくなってしまう。
山名のおばあ様の命令もあるので、3月は残り1週間も無かったが、慌てて入籍だけ済ませることになった。
本社にて人事の内示があった日のうちに熊本に戻り、その週末に俺の実家にアイナさんを紹介する為とんぼ返りに愛知に戻った。
実家には事前に電話で事情は全て説明してあり、アイナさんの車で浜松の俺の実家へ帰った。
実家では、俺が次長に昇進することよりも、アイナさんの事の方で驚かれた。
何せ、誰もが羨む美貌とスタイルの持ち主で、会社オーナーのお嬢様。
そして、性格にクセはあるものの礼儀作法は完璧だ。
お茶を飲む所作1つ見ても、育ちの良さが滲み出ている。
特に今日はいつもの3割増しでお上品にお澄まししてるしな。
そんなアイナさんに対して、親父もお袋も緊張していたくらいだ。
同席していた妹からは「絵に描いたような逆玉じゃん! こんな美人でお金持ちとかどんな裏技使ったの?」と言われたが、アイナさんは「私の方が一方的に惚れて、あの手この手で捕まえたんですよ。 ワタルさんったら最初強情で大変だったんですから。うふふ」と惚気た。
そして「兄のドコに惚れたんですか?」と問われれば、「匂いですね。1日中お仕事した後の匂いなんて男らしくて最高ですよ」と幸せそうに微笑みながら俺の家族に自ら性癖を暴露していた。
事前に用意していた婚姻届にその場で親父に証人欄を記入して貰い、その日は夕飯を食べたら愛知に戻った。
因みに、俺は婿養子にはならない。
アイナさんが『山名アイナ』から『荒川アイナ』になる。
俺は結婚出来るのならドチラでもよかったけど、山名のおばあ様の意向もあり、こうなった。
翌日日曜日熊本に戻る為、婚姻届は空港へ向かう前に市役所へ寄って休日窓口で提出した。
念願の夫婦となったが、しばらくは別居が続く。
何とか同居の道を探しているが、直ぐには無理な状況である。
寂しい気持ちは当然あるが、12月からごく最近までコミュニケーション自体全く無かったことに比べれば、今は仕事でもプライベートでも頻繁にビデオチャットで会話が出来るし、何よりも夫婦になれたということが、安心感になっていた。
報復人事と思い込んで、アイナさんに切り捨てられたのでは?と疑心暗鬼になってた頃に比べれば、別居生活でも天国と地獄ほどの差があった。
入籍以降、アイナさんがアパートに帰宅後に晩酌しながらビデオチャットを楽しむことが増えたのだが、アイナさんは俺の部屋着のスウェットやジャージを着込んでお酒を飲むのが好きらしく、寝るのもそのまま俺の服を着て寝ているそうだ。彼シャツならぬ、彼ジャージだな。
見た目だけはクールビューティのアイナさんのジャージ姿はまるでコントの様だけど、ジャージーなアイナさんを見ていると、「もし高校時代に恋人だったら、あんなことやこんなこと」をと色々妄想が膨らんでしまった。 今度、愛知に帰ったときは、アイナさんの出身校(有名私立の女子高)の制服や体操服でも着て貰おうかな。いつもアイナさんの性癖に散々付き合わされてるし、たまには俺も良いよね?
因みに、休みの日などは俺のトランクスも履いて過ごすそうだ。
アイナさんはそんな性癖を恥ずかしげも無く、むしろ堂々と俺に話してくれてて、「それで少しでも寂しさが紛れるのなら良いかな」と俺も放任している。




