カレシが冷たいの
その日、バイト仲間のカナコの様子が朝からおかしかった。目の焦点が合っていなくて、なんだか夢の中にいるような感じ。
だから心配して、わたしは「何かあったの?」と尋ねたのだ。
カナコには彼氏がいる。見た目から悪そうな奴で、付き合うと聞いた時からわたしは大丈夫だろうか?と思っていたのだのだけど、どうやら近頃しょっちゅう喧嘩をしているらしいのだ。その彼氏との間に何かがあったのかもしれない。
カナコは案の定、「実はカレシがね」と切り出した。
「とても冷たいのよ。話しかけても何も答えてくれないし」
そう語る彼女の様子はどこか虚ろだった。
「なら、しばらく距離を取ってみれば?」
と、わたしは言ってみる。彼女の彼氏は下手に刺激したら無茶をしかねないタイプに思えたから、距離を取って自然消滅が一番望ましいと思ったのだ。
「それがそうもいかないのよ」と、それにカナコ。
「わたしの部屋から出て行ってくれなくて。ずっといるの」
「ずっと? ずっとっていつ?」
「昨日からかな?」
「一晩帰っていないの? なにそれ? それなのに何にも喋らないの?」
「うん。しかも、とても冷たいし」
「うわー。嫌な感じ」
ただ冷たいだけならまだ分かる。敢えて相手の部屋に居続けて、それでなお冷たい態度でいるというのは、いくらなんでも陰険過ぎやしないだろうか? ちょっとばかり性格が悪過ぎる。
「ねぇ、追い出しちゃいなよ」
女の子の部屋に上がり込んで、帰らないだけでも充分に問題があるのだ。はっきり言ってその男が悪い。
「そうしたいけど、動かないのよ。重いし」
「分かった。助っ人を呼ぼう」
わたしの男友達に彼女の彼氏の知り合いがいる。ちゃんとした人だから、相談すればきっと助けてくれる。
わたしは早速男友達に電話をかけた。事情を説明すると「なんだ、あいつ、女の家に泊まっていたのか」などと呑気な声を上げた。なんでも昨日から何処に行ったのか分からなくて皆で探していたのだそうだ。親にも連絡を取っていないらしい。
その男友達は「家から追い出すのに協力する」と約束してくれた。バイトが終わったら、カナコの家に来てくれるそうだ。
「これで安心していいよ」と言うと、カナコは「ありがとう」とお礼を言った。やっぱり虚ろな様子だ。相当に疲れているようだ。何をするか分からない男と一晩一緒に過ごしたのだから無理もないだろう。
わたしの男友達が来てくれるまでにはまだ時間がかかる。カナコの身を案じたわたしは、男友達が来てくれるまでの間は彼女と一緒にいてあげようと、バイトが終わった後、彼女に付き添って彼女の家に帰った。
カナコはアパートを借りている。彼女の部屋の灯りは点いていなかったから、もしかしたら既に男は帰ったのかもしれない。
だが、玄関を開けると、男物の大きな靴があった。どうやらまだいるらしい。真っ暗にして何をやっているのだか。
カナコが電灯を点けると、奥の部屋で男が壁にもたれて座っている姿が目に入った。部屋は薄暗くてよく見えなかったが、寝ているようで項垂れているのが分かった。
「ちょっとあんた! 女の部屋で何をやっているのよ!」
怒りを覚えたわたしは、そう怒鳴ると奥の部屋にまで進んで電灯を点けた。わたしの男友達がもう直ぐ来てくれると言えば乱暴はされないだろう。
が、わたしは部屋が明るくなると同時に悲鳴を上げてしまったのだった。
「キャー!」
その男の首元には包丁が深々と刺さっていて、血が大量に流れていたからだ。もちろん、生きているはずがない。
「カナコ…… あんたの彼氏が、彼氏が!」
振り返ってわたしはそう呼びかける。救急車はもう無駄だろう。警察に連絡をしなくちゃけいない。しかし、彼女は男の死んだ姿を見ても何故か驚いた様子を見せず、こう返すのだった。淡々と。
「ね? 何にも応えてくれないでしょう? 昨日、喧嘩してからずっとなのよ。体がとても冷たいし」
彼女の表情はとても虚ろで、なんだか夢を見ているようだった。男に近づくと、体を揺らしながら言う。
「ねー いい加減、機嫌を直してよー」
わたしはそんなカナコをただただ見つめることしかできなかった。