3.青い光、赤い光
どこかの瓦礫の下から、かすかな、命乞いの声が聞こえる。
曇天の空。
もや状の魔力を全身からほとばしらせた巨大な鳥が一羽、耳障りな鳴き声をあげ、青い翼を大きく広げて旋回している。ガサガサと、羽根がこすりあわされて鳴る、不気味な音。
その下に広がるのは、燃えさかる民家、崩れかけの学校、瓦礫と木材の山。昨日までは人々が穏やかに暮らす市街地だったその一帯は、一羽の害鳥によってあっさりと焼け野原に変わった。
暴れる怪鳥の足や翼に魔法紐や魔法鎖を引っかけてなんとか押さえつけている地上の魔術師たちが、歯を食いしばり、息を切らせながら、石壁にしがみついている。
と、鳥が身をひるがえして急降下。とてつもない爆風が地上に吹き下ろしーー魔術師たちが築いた何重かの石壁や塹壕の一部が崩れる。魔法紐がいくつか切れた。
慌てて石を掻き分けて生き埋めになった仲間を助け出す者、自力で石や土を吹っ飛ばして這い出てくる者。
崖の上に映える大木のてっぺんから、好奇心旺盛な野猿たちがその様子を見下ろしている。
再び上空に戻ろうと羽ばたく怪鳥めがけてーーいくつもの赤い光が、流星のように降り注いだ。
撃ち抜かれた巨大な鳥が甲高い声をあげてバランスを崩す。青い羽根がいくつか散る。
石壁の裏、魔力切れの杖で仲間の折れた足を固定していたローブ姿の男が、その光と、牧草地を駆けてくる数人の姿を見とめ、鼻から息を逃がす。
「どうなってる、増援は?!」同じ石壁の裏に転がりこんできた同僚が、ローブの下から蒸気缶を全て取り出し、周囲に配ってから、問う。
「お前らが初めてだよ。本部からの増援も補給部隊も一切来ない。伝令すら帰ってこん」
まぶたからの出血を鬱陶しそうに袖で拭った男が、投げやりに説明。
別の現場を片付けて駆けつけてきたばかりの数人が、鳥に向けて杖を構えながら、もれなく青ざめる。
「それって……」年若い一人が呟き、斜め後方、雑木林に隔てられて見えない、『銀の杖』本部の方向に目を向ける。
「とにかく俺たちは、あの鳥をどうにかすることだ」
彼らの後方、空に銃口を向けているいくつもの砲台は、先ほどから押し黙ったまま。巨大な蒸気タンクに備え付けられた複数の計器の針は、軒並みゼロに近い値を指している。
足元に転がる、空になった大量の蒸気缶。
それらを不安そうに見て、召喚術師たちは荒い息を吐く。
吹き出す貴重な蒸気の中ーー杖を構えた青い髪の少年が、一瞬、意識を斜め後方に逸らし、
その瞬間ーー
空を泳ぐ怪鳥が、耳障りな奇声を街一帯に響かせて、空高く飛び上がる。
魔法紐や魔法鎖が次々と切れる。切れた衝撃で、あるいは引きずられた魔術師たちが、悲鳴を上げながら倒れる。周囲の仲間を巻き込んで石壁にぶつかる。
鳥の身体に絡みついたまま垂れ下がる魔法紐や魔法鎖の先が大きく揺れ、崩落寸前の建物に激突し、
おびただしい量の土砂や瓦礫が、少年たち召喚術師の頭上に降り注いだ。
黒焦げの建物ーー尖塔の形状からかろうじて教会とわかる建造物の屋根の端に、鳥がとまる。瓦と窓枠の破片、それから金の屋根飾りがボロボロと落ちる。
鳥の位置を警戒しながら仲間の救助に向かう者たちが、絶望に満ちた顔になったところでーー
ーー大地に轟く、いくつもの砲撃音。
鳥が飛びのいた場所に次々と砲弾がめり込んだ。木材の折れる音。砂塵と白煙がのぼる。
召喚術師たちが驚いて、後方の砲台を振り向く。
撃ったはずの射手たちも、なぜか一様に、目を見開いている。
水魔法の青い光。火魔法の赤い光。2色の光を煌々とまとった白銀の獣が、蒸気タンクの上に勇しく仁王立ちし、獰猛な目を鳥に向けていた。タンクの計器の針が振れ、あっという間に満タンを示す。
「銀獅子!」誰かの歓喜の声。
鉄を蹴り、軽やかに宙を飛んだ白い獣は、しなやかな動きでできたばかりの瓦礫の山の前に降り立った。木材を差し込む者と、浮遊魔法をかける者が、太い梁材をどかそうと奮闘しているその横をするりと通り抜ける。
立ち込める土埃の中、金の瞳をぎらつかせた獣は、スンと鼻を鳴らす。
表面に積もる瓦礫を風魔法で荒々しく吹っ飛ばし、見えた小さな隙間に、柔らかい体をねじ込んだ。数秒後、ガラガラと瓦礫を崩しながら這い出てきた獣の、長い毛に覆われた背中には意識のない術師二人の身体。口には少年の襟首を咥えている。
数人の召喚術師たちが、同僚の名を呼んで駆け寄る。
獣はそうっと、3人の身体を下ろす。
かすかなうめき声とともに、薄く目を開く少年。
ゼェ、と傷だらけの少年が息を吐き、言葉にならないまま、わずかに唇が動く。
頭を垂れた獣の鼻先が、少年の頬に触れる。橙色の光ーー治癒魔法が少年の身体に流れ込む。
ふわふわの前脚を、少年の手が掴んだ。
かすかに動く少年の唇。獅子の耳がピクリと動く。
「……俺はいいから、早く皆に指示を、本部をーー『総帥』」
獅子の金色の瞳が、少年の青白い横顔を見つめる。
上空から、鳥の声。
ふぅと息を吐いた獣が、少年の耳元に顔を寄せ、そっと囁く。まるで子守唄でも歌うかのように。
「……心配いらない。川の氾濫で全員足止めを食らっていただけだ。本部に異常はないよ」
その言葉が示すとおり、ちょうど、雑木林の脇にある細道から、馬車や車両の音が聞こえてきた。人々の声も。
少年の手が、獣の脚からするりと離れた。
獣はゆっくりと顔を上げ、曇天を見上げる。
歪に湾曲したクチバシから、魔力の光をごうごうと吐き出す不気味な鳥。光の先、蜃気楼で遠景の青い山々が揺らぐ。
銀獅子の脚が、鋭く、地を蹴る。
教会の石塔の壁面を勢い良く駆け上がった獣が、屋根から宙に飛んだ。大きく開いた口から、ごおお、ととてつもない量の青白い炎を吐く。地表に熱が届くほど。
膨大な魔力と、膨大な魔力とが、上空でぶつかり合う。
そこへーーたたみかけるように複数の砲撃。鳥の頭部をかすめ、背中の羽根を焼き、さらに、細かな赤い光がいくつも鳥の右翼を貫通する。
鳥の、ひときわ大きな奇声。右の翼が異様な形に歪む。クチバシからの魔力の光が不意に途切れ、その瞬間、青白い炎が鳥の全身を包んだ。
羽根を散らしながら垂直落下した巨大な鳥が、弾痕まみれの地面に衝突する、鈍い音。
もうもうと立ち上る土煙。姿の見えない敵に向かって、魔術師たちが捕縛魔法をかける。駆け寄った召喚術師たちがゼロ距離で杖を向け、一斉に強制帰還魔法をかけた。
土埃が風に流されーーそこに鳥の姿はなかった。
わっと歓声が上がる。
身体をしならせて音もなく着地した銀獅子は、その喧騒に背を向け、まだ地面に寝たままの少年の元へ向かう。少年の背中の止血を終えた召喚術師が、獣に気づいてそっと場所を譲る。
少年の頬に、獣は鼻先を寄せる。生命の危機に瀕してもなお呼ばなかったことを叱るように彼の頭部をそっと咥えてから、するりと身体をすり付けると、獣はゆっくりと踵を返す。
音もなく、しなやかな足取りで瓦礫の向こうに姿を消した。