1.希少召喚獣(ファエリテ)
以下別作品と同じ舞台です。
「蒸気召喚術」
https://ncode.syosetu.com/n2749gy/
#召喚される受けBL 参加作品
鉱物を砕く音が、遠い山々に長く、長く、響く。
黒い岩山のふもとで戦火が上がった。
山を守るように築かれた高い石壁。その銃眼から突き出た鉄の筒が、次々に火を吹く。壁をよじ登っていた大小の魔獣たちが撃ち抜かれて、あるいは落下する同胞に巻き込まれ、悲鳴をあげて地面に沈む。
血を流して逃げ惑う魔獣たちが、緑の穂が揺れる穀物畑に駆け込んでいく。
そこへ、声。
「急げ!」
青と白のローブのすそがはためく。分厚いローブの表面が、宙に飛び交う小さな光の粒を次々と弾く。
ローブの下から銀色の金属缶を取り出した手が、缶の上面に小さな黒い立方体をはめ込んだ。缶からピンを抜く。途端に、勢い良く吹き出した白い蒸気が、周囲の景色を覆う。
数人の男女がめいめいに短い木の杖を構える。周囲に満ちた白い蒸気が濃い紫色に染まっていくーー
風に散らされた蒸気の隙間、地に降り立ったばかりの数匹の犬型の召喚獣が、甲高い声をあげて勇ましく吠えた。畦道を身軽に駆けて畑に飛び込むと、魔獣を追い立てて息の根を止め、あるいは畑から追い出す。
役目を終えるなり、犬たちはぱっと姿を消す。
ローブの下に手を差し込んだ一人の男が、舌打ち。「な、『缶』余ってないか」
つい先ほど、市街地で大量発生した小型霊鳥を森に追い返す、という一仕事を終えたばかりの周囲の召喚術師たちは、疲れきった顔で首を振る。
軽い足音がひとつ近づき、
「先輩方、どうぞ」
彼らの背後から、声。
振り向く者たちの前に、一人の少年が、ローブの中から数十個の金属缶を落とす。
怪訝な表情を浮かべた男が顔をあげ、少年の顔を見る。「おい、お前はさっさとーー」
「はい」短く答えた少年は同僚たちの間をすり抜けると、彼らと同じ色のローブの下から半透明の球体を取り出した。その中に黒い立方体をぐいと押し込む。途端に、勢い良く吹き出す白い蒸気。少年の手が、短い木の杖を構える。周囲に満ちた蒸気が濃い紫色に染まっていくーー
もうもうと立ちのぼる紫色の煙の奥から、ごうお、と地を裂くような、獣の低い唸り声。
周囲の中型小型の召喚獣たちが、ぶるりと身震いする。
全身に魔力をまとった、銀の毛並みを持つ大型の獅子が、蒸気の中から飛び出した。
「遅いぞ奇人!」少し離れたところから、上官の怒号。
畑に飛び込んだ獅子が、大きく口を開く。収穫前の穀物の穂を大量になぎ倒していたまだら色の竜の首筋に、深く噛み付いた。ぶん、とそのまま大きく首を振る獣。竜の肉を引きちぎる。血飛沫と悲鳴。血に濡れた牙の先から、ごう、と魔力由来の青白い炎が上がる。
すっかり炭化した肉の塊が、獅子の口からボロリと落ちた。
目の前にそびえる黒い岩山ーー石炭の採れるその場所を襲うことにばかり意識を向けていた、少し離れた丘の上に立つ黒ローブの召喚術師たちが、すぐ脇の農地で起きたその事態に気づき、青ざめた顔で騒ぎ始めた。
「希少召喚獣……!」
炭鉱前の石壁に、竜の、別の肉片がゴンと当たって落ちた。
壁の内側で魑魅魍魎と交戦していた、召喚獣に明るくない軍人たちがギョッとなる。
ぬかるむ畦道に放り出されて、泥まみれになりながらのたうち回る竜。黒い鱗があちこちに散らばる。やがてーー動かなくなった。
鋭い爪を畦道の泥に埋め、空に向けて、巨大な炎を吐く銀獅子。
激しい威嚇の仕草に、石壁を登ろうとしていた召喚獣たちはことごとく身を縮こまらせ、召喚術師の指示を無視して勝手に帰還したり、近くの雑木林に逃げこみはじめた。
すっかり使い物にならなくなった召喚獣たちを帰還させ、黒ローブの召喚術師たちは悔しそうに息を吐いて、退却の算段を始める。
その様子に、軍人たちや青白ローブの召喚術師たちの間で、優勢を伝え励まし合う声が上がる。
やがて、黒い岩山の中腹から、吉報を示す空砲の音。
軍人たちが勝利の旗を揚げ、喇叭を吹き鳴らした。
一帯に響き渡った帰投を示す笛の音に、安堵の息を吐いた少年は杖をしまい、手を振って獅子を呼ぶ。
畑の中の魔獣を襲い尽くしたあと少年の元に戻ってきた大型の獣は、少年が広げていた手をすり抜け、ローブと左肩に下がる飾り紐をまとめてくわえて、ぐいぐいと引く。それから、少年のかぶっていた制帽をくわえると、身をひるがえして、一目散に畦道を駆けていく。
「こら、シロ!」慌てふたいめいた少年が銀獅子を追う。「わかった、まだ帰さないから! 遊ぶから!」
一瞬で緊迫感を吹っ飛ばした、そのふざけた様子に、青と白のローブをまとった者たちの中から、笑う声と、嗤う声。
***
吹き込むべたつく潮風。寄せては返す波の音。
眼前に広がる大海原を眺めながら、白銀の獣は前脚を伸ばして気持ちよさそうに伸びをする。鋭い牙を根元まで見せて、大きなあくび。
小屋の一階から海に向かって突き出ている古びた桟橋。その木製の柱に係留されている小さな木舟が、波が寄せるたび、軋んだ音を立てて揺れる。
桟橋の床板の隙間に刺してあった、釣り竿の先ががたがたと揺れた。
「よっしゃ」
桟橋に寝そべる大きな獣の、その長い毛の中に埋もれていた少年が、目を輝かせて身を起こす。
引き上げた竿の先、海面から現れたのは、元気よくもがく青い魚。少年が手を伸ばす前、その中空の魚が青い炎に包まれる。口から吐いていた炎を消した獣が、こんがりと焼けた魚を一口でかっさらう。
焼き切れた釣り糸の先端が潮風に揺れるのを見つめながら、少年が呆れた声を出す。
満足そうに喉を鳴らす獣が、釣り針をぺっと吐き出す。元通りに桟橋に寝そべった銀獅子は、前足の鋭い爪で、桟橋のフチに引っ付いている貝を器用に削ぎ落とし、少年の前にぼとりと落とす。それから、同じ前足でぱしゃぱしゃと水面を掻いてみせた。
「はいはい」
釣り針を結び直した少年は、その針にもらったばかりの貝の身を通すと、竿をしならせて海に放った。日差しと漂流微小生物と海中生物の魔力によって刻一刻と色を変える海面に、ぽちゃんと落ちる。
寄せては返す、波の音。
海中に伸びる蒸気用の採水管が、ごうごうと音を立てて海水を吸い上げている。
潮風に柱が軋む。舟屋全体が大きく揺れる。木材の折れる音がして、壁の隙間を塞いでいた板が落下した。土埃が舞い、木屑や塗装がぱらぱらと落ちた。差し込む日差しと隙間風。
獣の金の瞳が、少年をじいと見る。
「あー、今度直すよ」
くたびれた息を吐いた少年が、白い毛の中に再び埋もれる。制帽がずれて目元が隠れる。
少年の手が、獣の白い毛をわしわしと撫でる。
たすん、と獣の前足が、少年が腰に下げている黒い立方体ーー『素子』をつつく。
「なに、お前も来んの?」
たすん。
「えー?」思案顔の少年が、穴だらけの天井を見上げる。「……希少召喚獣を材木運びに使って、俺、どっかから怒られたりしない?」
少年の手が獣の眉間を撫で、尻尾の付け根をわしわしと掻く。長いしっぽがゆらゆらと気持ちよさそうに揺れる。
大きな召喚獣は、年若い召喚術師にごろごろと喉を鳴らす。
寄せては返す、波の音。
ゆっくりと身を起こした獅子が鼻先を少年に近づける。互いの息がかかりそうなほど近くで、少年の鼻先と、獣の鼻先が触れ合う。
目を細めて優しく微笑んだ少年は、獅子の鼻先にそっと唇を寄せた。