第72話「エル・オーラム」
シスターに呼ばれて、診察室に入ると蒼空は検査をした結果を聞かされた。
検査の結果は、全て異常なし。
健全な女の子の身体で、普通に子供を産むことすらできると告げられた。
しかも呪いは身体に定着しているらしく、付与した人物を倒さない限りは解ける事はないらしい。
知っていた事とはいえ、改めて専門家を名乗る人から告げられると、中々に心にくるものがある。
普通ならばショックで、落ち込むところだ。
しかし今は、そうは言っていられない現実が眼の前にある。
アレから病院を出て、蒼空がチョイスしたのは、北条桐江と以前に入った事のある個人経営の喫茶店カメダ屋。
パーカーのフードを目深までかぶって、目立つ銀髪を隠す蒼空と、向かいの席に座るのは、目立つ白髪金眼を一切隠していない少女の姿をした自称〈神様〉エルだ。
頭をフードで隠した少女と、白髪で白いワンピースを身に纏う少女の組み合わせ。
こんなにも目立つ姿をした二人がいるというのに、周囲の大人達や夏休みで集まっている学生達は、一切こちらを見ない。
理由は一番目立つエルが、アストラルオンラインでいうと〈隠蔽〉のスキルを使用しているらしく、周囲からは影の薄い女の子みたいな感じに見えているらしい。
彼女は蒼空が頼んだ二つあるアイス珈琲の一つを手に取り、口を付けると、くすりと笑った。
「まぁまぁのお味ですね。お気に入りのお店なんですか?」
「オレも先月に一回来ただけだ。馴染みの店ってわけじゃない」
「それなら、なんでここをお話の場にお選びに?」
「こんな怪しさしかない不審人物を、妹がいる家に上がらせたくないから選んだだけだ」
「えー、こんな可愛い女の子を捕まえて不審人物だなんて、ソラ様は酷いお方ですね」
わざとらしい溜め息を吐いて、エルは頬杖をつく。
美少女がやると実に絵になる光景だが、演技だと分かりきっているので、蒼空はこれをスルーした。
今は茶番に付き合っている暇はない、
先程彼女は確かに〈アストラルオンライン〉にオレ達を巻き込んだ黒幕だと言ったのだ。
つまりは黎乃の両親や沢山のベータテスター達が、この世界から消えた切っ掛けを作った元凶なのである。
そうしなければならない理由があったとしても、大切な仲間を泣かせたコイツは少なくとも現状では、オレにとっては敵だ。
ハッキリ言って一発だけ殴ってやりたいところだが、どうやって会おうか悩んでた最中で、向こうからやって来てくれたのはこの上ないチャンスである。
ここで感情に任せて、全てを棒に振るほど、オレはバカではない。
聞きたいことは色々とあるけど、何よりも優先するべき事がある。
──〘マスターの世界に出現した守護機関の“神”なら、どうにかできるのではないでしょうか〙
蒼空は、ゲーム内で色々とサポートしてくれる〈ルシフェル〉の言葉を思い出して、彼女を真っ直ぐに見据えた。
「神様を名乗るおまえに、聞きたいことがある」
「アナタは世界を救った英雄です。私に答えられる質問なら、どうぞご自由に質問してください」
「……それなら遠慮なく質問させてもらうけど、おまえの力で肉体を失った〈アストラルオンライン〉のベータテスターを、救うことはできるのか?」
その問いに、彼女は目を細める。
穏やかな空気を一変させて、冷ややかな視線を蒼空に返した。
返事は、直ぐには帰ってこない。
エルは珈琲を一口飲み、間を空けると。
「できますよ」
と、答えた。
「本当か!?」
ガタッと、思わず大きな音を立てて、椅子から立ち上がる蒼空。
あ、やってしまったと思った頃には手遅れ。
周囲の視線が全て、此方を向く。
しかし、エルが指を鳴らすと謎の光がオレと彼女を覆う。
彼らは関心がなくなったのか、何事もなかったかのように談笑に戻る。
エルは肩をすくめると、すがるような目をする蒼空に向かって、こう言った。
「でも私は、彼等を救う気はありません。それが何故なのか、分かりますか?」
「……わからない」
「良いですか。私はお知らせという形で、ベータテスターの皆さんには警告しました。テスト期間を過ぎて残った場合は、トラブルが起きるので止めてくださいと。私の忠告を無視して〈あの世界〉に取り込まれた人達を救う価値が、果たしてあるのでしょうか」
「……ッ」
ある程度は予想していた返答に、蒼空はギリッと歯を食いしばり、冷淡な顔のエルを睨みつける。
しかし、彼女は全く動じない。
珈琲を更に一口飲み、少しだけ考えるような素振りを見せると。
「でもそうですね。そこらへんの有象無象と違って、攻略に最も貢献してくださってるアナタのお願いです。私のお願いを聞いてくださるのでしたら、その願いを叶えて差し上げても良いですよ」
やはり、こうなるのか。
どんな返答をするのか、楽しそうにオレを試すような視線を向ける白髪の少女。
こういう展開になる事を予想していた蒼空は、その挑戦するような視線を受けて、口元に微笑を浮かべた。
黎乃を助けられるのなら、どんな要求にも応えてみせる。
瞳を閉じれば、そこにはオレにいつも笑顔を浮かべてくれる黒髪の少女の姿が、鮮明に思い浮かぶ。
初めから返事は決まっていたので、蒼空は迷わずに答えた。
「良いだろう。キミの条件を言え」
「アナタなら絶対に乗ってくると思っていましたけど、本当に良いんですか?」
「ああ、相棒を助けるためなら、オレは何を犠牲にしても後悔はしない」
「………………本当に、バカなんですね」
心の底からエルは、呆れるように呟く。
しかし意味が分からない蒼空の反応は、小首を傾げるだけ。
彼女は、くすりと笑うと蒼空を見つめて条件を口にした。
「私からは、ただ二つだけです。敵に捕まっているベータテスターを全て開放した後に、魔王を倒してこの世界を救ってください。そうすればベータテスター達は、元の世界に戻る事が出来るでしょう」
「はぁ……そんな事で良いのか」
「ええ、人助けをした後に魔王を倒さなければいけないのです。これ以上に困難なものはありません。もしも達成する事が出来たのなら、テスター達を復活させたくらいでは釣り合わないくらいです」
「つまりオマケで、レアなアイテムもくれると?」
「そのゲーム脳は一度手術して、どうにかした方が良いと思いますよ」
失礼な、ゲーマーたるもの常に求めるのはレアなアイテムと、新しい冒険をする事だ。
鋭いツッコミを入れられた蒼空は、ムスッと軽く頬を膨らませる。
外見相応の子供のような仕草に、エルは苦笑すると、窓の外に視線を向けた。
そこには、黒塗りの高級そうな車が停まっている。
後部座席を開けて待機しているのは、黒いスーツを身に纏う白髪の女性。
眼の前にいるエルを、大人にしたような感じだ。
「もうそんな時間ですか。楽しい時間というのは、あっという間に過ぎてしまうものですね」
エルは名残惜しそうな顔をして、椅子から立ち上がる。
「アレ、お迎えなのか」
「ええ、私は忙しい身ですから。ソラ様にこうやって会いに来たのも、スケジュール的にはアウトです」
きっと後で側近に怒られますね、と彼女は笑った。
「なんで、そこまでしてオレに会いに……?」
「それは、どうしても会いたかったからです」
彼女とは面識がないのに、会いたかったとは。
意味がわからない蒼空に、エルは歩み寄ると心の底から嬉しそうに手を握ってきた。
そして耳元に顔を寄せると。
「私の外見と同じ少女には、気をつけて下さい。彼女は、この世界の敵ですから」
と、囁いた。
更にエルは、それだけに終わらず、軽く頬にキスをして離れる。
油断していた蒼空は、柔らかい感触が残る頬を手で触れると、茹でダコのように顔を真っ赤に染めた。
「な、なな……」
「黎明の子にも、翡翠の姫にも私は負けません。何故ならば“3年前”から、ソラ様を愛していますから」
胸を張って、彼女は断言する。
ハッキリ言って意味不明だ。
そしてやってきた従者らしき人物に小脇に抱えられて、その場から連行された。
「アナタに話したいことは、まだまだ沢山あります。また会いましょう、私の英雄様」
大手を振って、喫茶店から出て車に荷物のように放り込まれ、そのまま去っていくエル。
そのシュールな光景を眺めながら、彼女から頬に接吻を受けた蒼空がショックから立ち直るのには、実に10分を必要とした。
何故そんなにかかったのか。
それは相手が誰であれ、リアルで女の子に頬にキスをされて、告白までされたのは、生まれてはじめての事だったから。
おかげで色々な疑問が、頭の中から吹っ飛んだ。
上條蒼空、今年16歳。
相手は、NPCと自称神様ですが。
もしかして、これがモテ期の到来ってヤツですか?