第30話「少女の思いと目的」
「ふぅ……」
VRヘッドギアを外した小鳥遊黎乃は、天井を見上げて小さなため息を吐いた。
胸の内を満たすのは、仲良くなったばかりの少年とNPCの少女との短くも楽しい時間。
暖かくて、面白くて、次に何が起きるのか分からない事に少しだけワクワクしてしまう自分。
詩乃に呼ばれなければ、昼ごはんを食べる事すら忘れていたのは間違いない。
だってそれ程までにあの空間が、
「楽しかった……」
思わず口から出る思いの込められた言葉。
色んなゲームを詩乃や彼女の仲間の人達と遊んだけれど、ここまで楽しかった事があっただろうか。
その要因は、蒼空とアリアとの年齢が近い事もあるだろう。
側にいる大人達はまるで腫れ物に触れるように気を使うし、ありのまま接してくれる人は全くいなかった。
誰かと一緒にいて心の底から楽しいと思えたのは、両親がいなくなって初めての事だ。
上半身を起こし、詩乃に教わり置くようになった頭元のスポーツドリンクを口にしながら黎乃は思い出す。
蒼空をはじめ見た時は、とても弱そうだと思った。
気を抜いていて隙だらけだし、気迫なんて全く感じない。
とても動画で見たような、化け物じみた動きをするような人には見えなかった。
本当に強いのかな?
疑いながらもわたしは、詩乃からもしも“ソラという強いプレイヤー”が現れたら全力で容赦なく試すように教わっていた。
だからペナルティを受けることになるとしても、迷わずに彼の頭を狙って全力の突き技〈ストライクソード〉を放ったのだが。
彼はそれを、全く見ないで避けてみせた。
正直に言って驚いた。
そんな事ができるのはわたしをこのゲームに誘った団長であり、現在の保護者である詩乃と蒼空の妹である詩織くらいだから。
しかも防具なしで戦った彼は、地面に突き刺した剣を足場に跳ぶという曲芸を披露して見事にわたしに勝ってみせた。
──上條蒼空。
わたしのハトコであり日本に住む少年。
詩乃に彼とのツーショット写真を見せて貰わなければ、とても呪いで女性キャラになっているとは信じられなかっただろう。
なんせこのゲームは性別を変えられないのだ。
あの姿を見た人々は、確実に蒼空が女の子だと思うはず。
しかも、わたしより4つも年齢が上なんて信じられない。
相手は高校一年生。
あの容姿ではどう見ても同い年にしか見えなかった。
しかも、
「わたし、蒼空が男の子だって分かっているのになんであんなに……」
冷静になって己の蒼空に対する行動を思い出して、黎乃は顔を赤く染めた。
次に会ったらあまりベタベタするのは止めようと努めていたのだが、彼が側にいると温かくて気がついたら腕にくっついてしまう。
体温的なものではない。
側にいると何だか心地よいのだ。
だから、ふと無意識に彼の腕にくっついてしまう。
でもこの行動は明らかにおかしい。
詩乃や詩織にだってこんな事したことないのに。
同じクランにいる男性には、こんな風になる事なんて一度もない。
むしろ近寄るなと威嚇しているくらいで、実力を認めているグレンですら一定距離から近寄ろうとは思わない。
だというのに蒼空の前ではガードを解いてしまう。
「わたし、どうしたんだろ……」
呟いて、黎乃はベッドから起き上がる。
部屋に置いてある姿鏡と正面から向き合うと、彼女はそこに映る白いワンピースを身に纏う自分の姿を見て、ギュッと唇を噛み締めた。
長いプラチナシルバーの髪。
水のように澄んだ青い瞳。
肌は真っ白で、日陰に当たっていないから色素がほとんど無い。
まるで物語に出てくるような、ゲーム内の蒼空と瓜二つの白銀の少女がそこにはいた。
アストラルオンラインでは、リアルスキャンですら反映させることのできなかった母から受け継いだ自慢の銀髪。
この姿で並べばきっと双子に見間違われることは間違いない。
それくらい、そっくりだ。
きっと両親にも分からないことだろう。
「……ママ、パパ」
鏡を見ながら、消えそうな声で呟く。
わたしの両親は、アストラルオンラインのベータテストをプレイ中に目の前で“光に包まれて消えた”。
嘘みたいな話だが、本当の事なのだ。
たまたま近所に住んでいた詩乃に助けを求め来てもらい、その後に警察が来たが。
両親が消えた理由は分からなかった。
消えた寝室の監視カメラには映像は何故か残っておらず、あまりにも手掛かりがなさ過ぎて警察も『娘を置き去りに行方を眩ませたのだろう』と捜査を諦めてしまった。
……違う、そんなことはないッ!
黎乃は瞳に涙をためて、拳を強く握りしめる。
北欧出身の母の血を色濃く受け継いだ自分の姿。
いつも二人は自分を宝石のような娘だと言って、愛してくれていた。
どこに行くときも一緒で、いつも皆で楽しく暮らしていたのだ。
わたしを残してどこかに消えるなんて、それだけは絶対にありえない。
「……ッ」
涙が、溢れる。
どれだけ流しても、枯れることの無い悲しみに黎乃はその場にしゃがみ込む。
──誰か、助けて。
その心の叫び声に、脳裏に浮かぶのは蒼空の後ろ姿。
思い出してみると、彼の雰囲気はどことなく父に似ている。
穏やかで、優しくて、いざという時はとても頼りになる存在感。
ああ、もしかしたらわたしは彼の見た目に母を、心に父の面影を見ているのかもしれない。
それなら少しは納得できてしまう。
心の穴を埋めてくれる見た目は少女、中身は少年の彼にこんなにも惹かれる理由に。
胸に溢れる温かい感情に、黎乃は小さく呟いた。
「……リアルで会ってみたいな」
思いを口にすると、不意にドアがリズム良くノックされる。
この叩き方は詩乃だ。
悲しみと淡い気持ちを胸の内に隠すと、黎乃は涙を拭い慌てて扉に近寄って鍵を解錠。
少しだけ緊張した面持ちで、扉を開ける。
すると扉の前には身長170程の黒髪の女性──月宮詩乃が立っていた。
「こ、こんにちは団長」
「こんにちは、黎乃。こっちでは団長と呼ぶなといつも言っているだろ」
「ごめんなさい……」
「あ……いや、怒っているわけじゃないんだ。気をつけてほしいってだけだから、謝る必要はない」
ああ、また気を使わせてしまった。
両親がいなくなって、ハトコであり唯一母と同じプロゲーマーとして交流のあった詩乃が引き取ってくれて、半年が経過しようとしている。
多少は慣れてお互いにゲームの話をするくらいには打ち解けたけど、それでも詩乃は極力わたしを傷つけまいと気を使ってしまう。
それでもこれだけはわたしに言っておこうと、詩乃は右手の人差し指を立てて見せるとこう言った。
「蒼空とゲームに熱中しているのを邪魔して悪かったな。でもゲームで適度に休憩するのは必要な事だ」
「うん」
「アイツは24時間潜っても平気な奴だがおまえは違う。心身に負担が掛からない程度に遊ぶんだぞ」
「わかった、気をつける」
「よし、チームのみんなも待ってくれている。昼食を取って休憩したら戻って良いから、とりあえずは一階に下りようか」
そう言って、詩乃は背を向けて歩き出す。
黎乃は扉を閉めると、その後ろを追い掛けた。
チームのみんなとは、彼女をリーダーとしたプロゲーマーの女性達だ。
彼女達は大手ゲーム会社に所属していて、主にバトルアクションを専門としている。
特に個人で格闘ゲーム大会を5連覇している詩乃の率いるチームは毎年上位1位から2位を争うくらいに強く、テレビでもよく取り上げられていて世間では〈戦乙女〉と呼ばれている程だ。
確かみんな、今日の仕事は午前で終わると言っていた。
昼食を済ませアップデートが終わり次第、昨日わたしと一緒にやる為に始めた〈アストラルオンライン〉にみんな潜るだろう。
みんな、わたしが今お姫様と一緒にいるって知ったらビックリするだろうな。
アストラルオンラインで詩乃が率いるプロゲーマーを主軸とした〈ヘルアンドヘブン〉も、現在は次のマップに進む為にいなくなったお姫様を探している。
蒼空との約束で彼女の事を話せない罪悪感を少しだけ感じながら、黎乃は早く次のログインをしたくてソワソワしていると。
「黎乃、一つだけ伝えたいことがある」
歩きながら、詩乃が振り返らずに何かを警戒するように小さな声で呟いた。
「アストラルオンラインでは、くれぐれも気をつけろ。アレはやはりタダのゲームではないかも知れない」
「……なにかあったの?」
「ああ、先程社長から聞かされたんだが、今から6時間後にプロゲーマーや実績のある人間にこのゲームのプレイを義務付ける事を、全世界の首領から一斉に発表されるらしい」
「え……!?」
「丁度“アップデートが終わる”時間だ。内容が記載されていない事といい、これは私の直感だがなんだかすごく嫌な予感がする。だから」
「わかった。気をつけるよ」
深呼吸をして気を引き締める黎乃。
彼女は先程のワクワクしていた気持ちを振り払うと、険しい顔をした。
そうだ……わたしはタダ遊んでいるわけじゃない。
ベータテストをプレイしていたパパとママが、なんで光に包まれて消えたのか。
それを知るために、詩乃とこのアストラルオンラインをプレイする事を決めたのだから。