第206話「海の国の決戦④」
【Yes】を押したと同時に、世界は純白の光に染まった。
「う、ぐぅ……ッ」
光の発生源は、言うまでもなく自分だ。
身体の内側から押さえきれない、無限の魔力が光の奔流となって周囲に放出されている。
その光の中でオレは、第一封印を解除した事によって自分の身体を構成するアバターが、指先から毛先の一本一本まで全てのデータが変換されていく。
更には背中から二つの翼が生えるという、異質な感覚に息苦しさを感じながら、ただひたすらに耐えていると。
感じていた苦しみは急に、まるで嘘だったかのように消失した。
代わりに自分の中に残ったのは、先程までのアバターとは根本的なものが違うという感覚だった。
これを表現するのならば、生まれ変わったと例えるのが適切だろうか。
「……でも悪くない」
抱いた感想を、小さな唇で呟いた。
過去にオンラインゲームでは、色んな人達からオマエは人間離れしていると言われた事がある。
頭のネジが外れてるとも、野良で組んだプレイヤーから評された事だって何度もあった。
だがこれは、冗談や比喩表現とかではない。アバターとはいえ、正真正銘の人外への転化だ。
ゲームがリアルに影響を及ぼすこの世界で、自分が変わる事に対する恐怖心とかは不思議と全くない。
むしろ身体の内側から、全身に漲る天使の力に自然と笑みがこぼれてしまう。
今なら灰色の天使──イヴリースにも勝てそうな気がしながら、オレはゆっくり瞼を開いた。
『第一の封印を解除完了。全ステータスが向上、同時にセラフィックスキル〈天の翼〉を獲得しました。今後は堕天使化した際に、MPを常に消費する事で飛行する事が可能です』
全ての工程が完了した結果を、サポートシステムとして〈ルシフェル〉が口頭で教えてくれる。
その中で注目したのは、頭の中に流れて来た翼の制御方法だった。
どうやら思考操作型で、意識を翼に向ける事で望む飛行をしてくれるらしい。
似たようなゲームを過去にした事があるオレは、翼を左右に広げて軽く羽ばたかせてみる。
すると自分の身体は、びっくりするほど簡単に地面から軽々と浮いた。
「ソラ!?」
近くにいた、クロの声が耳に届いた。
何も見えない光の中で、彼女はとっさにオレに向かって小さな手を伸ばしてくる。
(ごめん、クロ……)
この事を知ったら、自分を慕う少女はどんな反応をするのだろうか。
怒るのか。悲しむのか。
その時に彼女が抱く思いが、どちらなのかは今は分からない。だけど少なくとも、褒められない事だけはハッキリと断言できる。
先が見えない程の眩い世界で、オレは申し訳なく思いながらも、差し伸べられた手をそっと握った。
そうしたら、変化を終えた自分の身体にさらなる変化が生じた。
『第一封印の解除によって、天使長だけが所有するユニークアイテムが一つ開放されました。今後はスキルを発動する事で、自動で装備している基本衣服が最上位の物に変換されます』
広がった白銀の光が全て自分に集まり、装備していた衣服が変質を始める。
光が無くなる事で、元の広い洞窟の景色が戻ってきた。
すると全員の視線がオレに集まるのだが、そこには既に本来の姿はなかった。
長い白銀の髪に金色の瞳。左右で色の違う真っ白な翼と漆黒の翼を広げ、纏っていた装備は男物から──白く美しい西洋のドレスと鎧が複合した〈セラフィム・ドレス〉となった。
正に一言で表現するなら、神の命によって地上に降り立った天使の少女。
これが力を得る代わりに、今後〈ルシファー〉を使用しても二度と戻ることのない、オレの堕天使としての姿である。
真剣な眼差しを向けてくる、パートナーの少女に、自分は苦々しい笑みを向けると、
「ごめん、行ってくる」
「……直ぐに、追いつくから」
オレの目を見て、クロは何が起きたのか言わずとも大体察してくれたらしい。
頷いた彼女は繋いだ手を離し、自由になった自分は宙に浮くと身を翻した。
今は他の人達に、自分の身に起きたことを事細かく説明している時間はない。
こうしている間にも、地上では〈アスモデウス〉が人々に恐怖をばら撒こうとしているのだから。
翼を大きく羽ばたかせ、オレは地上に向かった敵の後を追って、大穴から外の世界に飛び立った。
◆ ◆ ◆
飛行する感覚は、以前に似たようなのをプレイした事があるのと、高い順応力によって直ぐに慣れる事ができた。
高速で空中を飛びながら、大穴を一気に抜けたオレは、強化された〈感知〉スキルを海の国全域に広げる。
身体が人間の領域を越えた影響なのか、普通の人間なら即座に容量オーバーする範囲を見ているというのに負担は全く無い。
広げた範囲内で起きている戦況を、オレは難なく把握する事が出来た。
(今の所〈アスモデウス〉の復活で引き寄せられた、モンスター達の処理に問題はないか)
各地では冒険者達とモンスターとの、大規模な攻防が繰り広げられている。
全長10メートルの巨大なドラゴン。大きなカニ型モンスター。飛来してくるミサイルのようなサメ。地上を高速で爆走しながら、襲ってくる大きなアリゲーター。
そんな色々なモンスター達が襲撃している中で、最も激しい戦地はやはり港方面だった。
クジラ達と大砲を搭載したルーカス率いる帆船部隊が、大型のモンスター達と懸命に戦ってくれている。
皆が〈アスモデウス〉の討伐を信じて、武器を手に頑張っているのだ。
……長期連戦はいずれ限界が来る、一刻も早く勝利条件である『アスモデウスの討伐』を達成しなければ。
旅を共にした者達、現実世界を救う為に奮戦する冒険者達の姿に、胸の内側が熱くなったオレは、魔剣を握る右手の指に力を込める。
広げた〈感知〉範囲内では地上に敵の姿は見当たらなかった。そうなると残る場所で考えられるのは、
(──上しかない)
下に向けていた感知範囲を上に向ける。
そこでオレは、今にも地上に向かって〈魅了〉をばら撒こうとしている、半人半漁の巨大な怪物の姿を発見する事に成功した。
なるほど、確かにアレならば一気に国全域にいる者達を、自身の支配下に置くことができる。
流石に国中の者達を、歌で〈魅了〉から開放するのは、ラウラとサラの二人でも難しいかもしれない。
物量で攻められたら、精鋭の攻略パーティーも壊滅する事は必至だ。
追い詰められた敵にとっては、正に逆転の一手と言える作戦だった。
でもそれは全て、奴の思い通りに事が運んだ場合の話である。
今回ばかりは、大災害〈アスモデウス〉も相手が悪かったとしか言いようがない。
素早さを付与スキルで強化し、オレは遠く離れた敵に向かって飛翔する。
(ぐ……ッ!?)
瞬間移動に等しい加速だった。
強化されたステータスに、加速スキル〈アクセラレータ〉を使用することで、自分は通常では考えられない速度で彼我の距離を詰めた。
敵からしてみたら、いきなり目の前にオレが出現したと錯覚するレベルだった。
右手に〈白銀の魔剣〉を構え、速度を加えた超速の突き技〈ストライクソード〉を大きな胸の中心に叩き込んだ。
『GAAAAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa────ッ!!?』
耳障りな叫び声と共に、発動寸前だった〈魅了〉の歌は強制的にキャンセルされた。
敵は忌々しそうな顔で睨みつけ、右の鋭い爪を振り下ろした。
危険を事前に察知したオレは、翼を強く羽ばたかせ後方に大きく回避する。
だが攻撃は、それだけで終わらない。
爪が空振った〈アスモデウス〉は身体を勢い良く回転させ、後方に下がったオレに今度は鋭い尻尾の打撃を放ってくる。
これを右に大きく飛んで回避すると、今度は周囲に水の刃が発生した。
『マスター!』
「わかってる!」
翼を広げ、弾幕ゲームのように放ってくる〈アクアブレイド・ランページ〉を紙一重で避けていく。
一撃でも直撃したら、HPが大きく削られそうな威力を肌にビリビリと感じる。
集中して数十本もの水刃を避けきったオレは、ラッシュが止まった一瞬の隙きを利用し、土属性を付与した飛ぶ斬撃〈アース・アングリッフ・フリーゲン〉を御返しに放った。
弱点属性の一撃を頭に受けた〈アスモデウス〉は、動きが一瞬だけだが停止する。
魔剣を横に構えた自分は、更に加速スキル〈アクセラレータ〉を始動させ、接近した。
「ハァッ!」
土属性を刃に纏い、高速の水平二連撃〈デュアルネイル〉が敵に大きな二筋の赤いラインを刻む。
だがこれでも、ようやく一割削れるかといった感じだった。
与えたダメージは微々たるものだ。どうやら最後の一本になった事で、敵のステータスが更に大幅に強化されているらしい。
たった独りで、コレを削り切るとなると中々に骨が折れる。
(あと一人か二人くらい、援軍がほしいところだけど流石に厳しいよな……)
頼れる仲間達は扉を開けて、地上に向かっているようだが、飛行する手段を持たない為に共闘する事は出来ない。
つまり〈アスモデウス〉の残り一本は、自分一人で削り切るしかないのだ。
世界を脅かす、強大な怪物に立ち向かう一人の天使。構図的には、正にファンタジーの世界だ。
オレが白銀の魔剣を構えると〈アスモデウス〉もここが正念場と判断したのか、両手の爪と鱗の鎧を更に大きく、鋭く形状変化させる。
睨み合う自分と怪物は、お互いに殺意をぶつけると同時に前に出て、
──海の国の命運を掛けた、最終決戦を始めた。